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『日本人の英語』シリーズは何よりエッセイとして読む価値あると思う

前々回に引き続き前回の記事にも多くのアクセスをいただきました。ありがとうございます。当初、一つの記事として書くつもりで着手したのですが、長くなりそうだったのとテーマが複数になりそうだったので、分割しました。今回で一区切りです。

リアルの知人である教育大学の先生から聞いた話によると、「あらゆる生徒に適した授業はない」というのが現時点での研究の結論なんだそうです。同学年の生徒を集めた授業でもそうなのですから、誰が読むかわからない書籍というものに関しては、誰が読んでも面白い本というのは、もっとないと想像します。レベルが高すぎるor低すぎるということはあるでしょうし、単純に合わないということも、あると思います。

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これまでリンクを貼りませんでしたが、今回の記事を書くにあたって、 id:naruoe さんの、こちらのホッテントリが念頭にありました。

naruoe.hatenablog.com

ブックマークコメントには「あれは読み物だ」「入門書ではない」という意見が多く寄せらていました。私も同感で、『日本人の英語』シリーズはエッセイとして読むのが一番だと思っています。

ピーターセン氏の新書の中ではもっともエッセイ色が強いと考える『英語の壁 文春新書 326』から、ほんの一例を。

P78からの「私は何も知らない」と題された一文である。著者の勤務する大学では、海外留学希望者に英文によるエッセイを課している。応募者の一人である女子大生が、著者に送信したエッセイには、こんなフレーズがあったそうだ。以下、本文を引用する。

 I'm  a son of darkness.(私は、闇の息子です)

 一見するといささか恐ろしい、この具体的に何が言いたいのか見当もつかないワンフレーズは、いったいどこから拾われたものだろう、そして、彼女はどうして大事な「応募書類」に自分が「闇の息子」だなんて不気味な話まで持ち出していいと思っているのだろう、と不安に駆られた。 

上掲書P78~79

文章は続くが、「いらすとや」さんのこの力作イラストを思い出したので、ここに挿入しないではいられない。

 

f:id:watto:20161015221245p:plain

中二病のイラスト | 無料イラスト かわいいフリー素材集 いらすとや

 いずれにしても、私の一存で添削できるような言い回しではないので、とりあえず本人に説明してもらうことにした。すると、結局、彼女が書こうとしたことは、悪魔崇拝カルトや、吸血鬼、あるいは「男」としての自分の暗黒面などのような話ではなく、単に「わたしは、無知の人」だということがわかった。これにも驚いた。さらに訊ねると、こんな話があった。

 「つまり、“無知の人” って、要するに、“無知人” ってことですか」

 「えっ? あっ、はい、そうです」

 「要するに、“ignorant” のことですか。自分が “an ignorant person” だと、謙遜のつもりで書きたいわけですね」

 「……ああ……はい、たぶんそうだと思います」

 「でしたら、なぜ “son of  darkness” なんて言葉を使うんですか」

 「いや、あの~、辞書でそうなっていたんですけど」

 上掲書P79、太字部分には原文では傍点もあり

この後、女子大生が使用したという受験用和英辞典を調べたら、“darkness” の用例として本当に “son of  darkness” が載っていたという記述が続く。著者によると、「暗黒の王子=魔王サタン」くらいしか連想できない表現だから、おそらく19世紀の欧米で流行っていた文化的偏見たっぷりの「明」と「暗」の対照に元づいた表現を、辞書編集者が洞察不十分のまま例文として採用してしまったのではないかと推測するのである。

この女子大生の場合、担当者がピーターセン教授であったという幸運に救われただけで、ひょっとしたら邪気のない留学希望者が、エッセイ一つで先方では「こいつはカルトの悪魔崇拝者か?」「ジェンダーに関する急進的なオピニオンの持ち主か?」などと警戒されていたかも知れない。

こういうエッセイって、面白くないですか? 

女子大生のセリフも、著者が想像で復元したものだろうけど、いかにも本当にそう言ってそうで好きだなぁ。

前々回の記事に書いた話題に戻って、英語というのは年々変化するものであるらしい。いっぽう、辞書という編集に多大な労力を要する書物は、必然的にアーカイブという性質を持つ。時代を薄くスライスしたような古い英語が保存されていることがあるのだ。

別の例を、確か同じ著者が書いていなかったかなといろいろ探して、『日本人の英語』シリーズではなく『辞書を語る (岩波新書)』というアンソロジーに収録されていたのを、ようやく見つけた(これを探すのに手間取ったので、三日連続更新ができなかった)。「辞書と格闘する」と題された文章から、引用させていただく。

 私は好きで毎日いろんな辞書を使っている。おそらく合計して最も助かっているのは『新和英大辞典』(第四版)である。それにしても、毎日のようにこの編集部に手紙を書きたくなる。別に英語が文法的に間違っているわけではないが、和文用例が通常の日本語であるのに、その英語対訳には古風で堅くて、普段は使えない言い方が実に多い。

 極端な例であるが、「本当に情け無い」という日本語の対訳として、今世紀におそらく一度も真面目に使われた例のない “Woe is me!” まで紹介されている。あるいは、「目」の項目の中に、「そのときの彼の眼鏡がいやに目についた」という日本語の対訳として、

 “The spectacles he was wearing then took on an uncanny salience.”

という英語が示されている。四角張った文のパロディとしか受け取りようのない英語である。

上掲書P60~61

著者は、一般の英米人にどんな印象を与えるかを説明するには自分の日本語力では不可能としながらも、「静かに会話をしている声がかすかに聞こえる」と訳すべき英文を「静かに打語らふ声のかすかに聞ゆ」とするようなものだと説明する。

ただし、著者は次のようにも言明しているので、念のため引用させていただきたい。

ただ、いずれにしても、忘れてはならないのは、アメリカの出版社はちゃんとした和英・英和辞典を作っていない点である。

上掲書P61

このようなエッセイは、読んでいて楽しいのみならず、記憶のどこかに残っていれば、英語を書かなければならない機会があるとき、役に立つことがあるんじゃないだろうか。もしそんなことがあったら、私は自分の書いた英文をなんとしてもネイティブにチェックしてもらおうと、決意を固めている。

もう一点、ぜひ書いておきたいことがある。さんざん文章を引用させてもらったが、引用文の分量は、どれも230ページくらいある元の新書の、1ページ分にも満たないのだ。読みやすくしようと思って、英文の例文も、かなり省略してしまった。書籍には書籍の、辞書には辞書の限界があるように、ブログにはブログの限界があることもまた、我々は認識しなければならないと考える。

英語の壁   文春新書 326

英語の壁 文春新書 326

 
辞書を語る (岩波新書)

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