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最大最強の人工言語は英語か…と書きかけてそれはクレオール語のことかーい!?と自己突っ込み

あいも変わらず人工言語について愚にもつかない雑考を巡らせている。今回は、ぜんぜんまとまってないけどその断片を集めたメモです。結論やオチはないです。

 

前回 、前々回 の拙エントリーに、人工的に言語を作って普及させた目的は母語の異なる集団の意思疎通を図るため、という意味のコメントやブックマークコメントを何人かの方から頂きました。説得力のある説だと思います。

 

そして「だとしたら英語こそが最強の人工言語ではないか」とリプしたり、また英語に関しては他の方からもブコメで言及をいただいたりしました。

 

それってクレオール語のことかーい!??

kotobank.jp

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クレオール語やピジンという概念は英語と現地語の接触により生まれたものだが、それが英語自身の研究に逆輸入されているのは興味深い。

 

ちなみに「クレオール語」には「語」をつけるべきだが(クレオール料理などというものもある)、「エスペラント」は「語」をつけるべきではない(エスペラント語と書くべきではない)のだそうだ。

 

ただし確認のため検索したところ、クレオール語という用語は特定の時期に一度だけ起きた現象を示す固有名詞に近いもので、普通名詞のように用いるべきではないとする文献を紹介するブログがヒットした。そうなのか。

user.keio.ac.jp

 

それで、ちょっと思い出して蔵書を少し拾い読みした。

原著初版1904年、日本語版1982年と古い本ではあるが、Amazonで新刊が手に入るロングセラーである。

ほんの一例だが、1066年のノルマン征服(Norman Conquest)は英語にとって明らかな画期だったろうけど、その影響は即時に現れたわけではなく文章語(すなわち教育)を通じて約1世紀にわたりゆるやかに生じたことが論述されている(上掲書p47~)。

英語にはノルマン征服に先立つデーン人、北欧民族の征服と移住(9~11世紀)の時期の同時代文献も、多数残されているようだ(P44~)。時代が下れば下るほど、残されている文献の浩瀚さもいや増すであろう。英語学の研究は当然それらを踏まえて行われているのであり、何も知らん奴が思いつきで口を挟むと恥をかくだけというか、恥をかいたことに気づきすらしないあるある。

 

日本の場合、約1万年続いた縄文時代の後を受けた弥生時代に大陸、半島から大規模な移住があったことはDNA解析によって裏付けられているが、BC10~5世紀のこととあって同時代の文献が残されていない。それだけトンデモが発生する余地が多い。あかんやないか。

またしても話は逸れるが縄文がそれ以降の弥生~現代を合計した3、4倍もの期間にわたり続いたことは、考えるたびに驚きを感じる。

 

そもそも言葉を人工的に作るというのはどういうことか、きちんとした定義が必要になるだろう。人工言語と言い切っても異論の出にくいであろうエスペラントやプログラミング言語だって自然言語から大量の語彙を借用しているのであるし、また共通語、標準語の造成という意味であれば、古代から近代に至るまでおびただしい事例が見いだせるだろう。

 

フィクションだが井上ひさし『國語元年』には、こんな試みが登場する。Amazonでは新潮文庫の新刊が入手可能だが、私が持っているのは中公文庫版なのでページが違うと思う。作中人物の南郷清之輔という明治政府の文部官僚が、大臣の「共通口語を作れ」という命を受けて物語の最終盤で提出する草案である。

 全國統一話シ言葉
  文明開化語規則九ケ條
   文部省學務局四等出仕
    南郷清之輔考案
一 作用ノ詞ハ一切ソノ活用ヲ廢シ 言ヒ切リノ形ノミヲ用ヰルコ卜
二 文末ハ言上切リノ形二「ス」ヲ付スコト
三 言ヒ付ケルトキハ文末二「セ」ヲ付スコト
四 可能ヲ現ハサントスルトキハ文末ニ「―コトガデキル」ヲ付スコト
五 否定セントスルトキハ文末ニ「ヌ」を付スコト
六 物ヲ訊クトキハ文末二「力」ヲ付スコト
七 丁寧ノ意ヲ現ハサントスルトキハ文末二「ドーゾ」ヲ付スコト
≪後略≫

井上ひさし『國語元年』(中公文庫) P277 ルビ省略しました。改行位置変更しました。

 

これが意外なくらい巧くできていて舌を巻く。つかたしか誰かがそういう書評を書いていたのに興味を抱いて読んだのだった。誰の書評だったかは忘れた。

清之輔 酒など要るヌ。
ちよ それじゃお茶でもいれますか。
清之輔 茶も要るヌ。部屋へ下って早く寝るセ。

同 P278

ちよというのは登場人物で女中である。

巻頭にNHKでドラマ化されたときの作中人物の年齢と配役が載っていて、南郷清之輔(川谷拓三)三十二歳、御田ちよ(島田歌穂)十八歳などとあることも、今となっては興味深い。

 

逆に言語を分離しようという動きも、絶えずあるそうだ。

たった今、別の蔵書をあたったら、たまたまとても印象深い一節に行き当たった。

 他方,そのまま放置しておけば,隣接言語に従属した単なる方言にとどまるか,あるいは輪郭を失って吸収されてしまいかねないといった状態のことばがある.このようなことばに隣接言語とのへだたりを作り出そうとして,意識的な造成(Ausbau,アウスバウ)を加えて「別の言語」にしたてあげたばあい,この言語は「造成言語」(Ausbausprache)と呼ばれる.
≪中略≫
たとえば,かつては「小ロシア語」と呼ばれたウクライナ語が「大ロシア語」の方言の地位に転落しないためには,絶えまなくロシア語との境界をはっきりさせ,その距離を保っておかなければならない.

田中克彦、H.ハールマン『現代ヨーロッパの言語 』(岩波新書) P77

スイスにおけるドイツ語も、自らの言語をシュヴィツェルテューチ(Schwyzer-tüütsch)と呼び、ドイツ語から遠ざかろうとする動きがあるとのこと(P78)。

『現代ヨーロッパの言語 』は残念ながら版元品切れ、Amazonではマーケットプレイス品が入手できるようだ。

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