しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

巨大ロボットを操縦する方法あれこれまたは主人公に感情移入させる方法について

やることが遅いといういつもの悪い癖で、何か軽く書こうと思いながら1週間近く経ってしまった。先週のこの「はてな匿名ダイアリー」(通称「増田」)についた b:id:nezime さんの、このブックマークコメントを読んで吹き出してしまったのが発端である。

俺は空手やってて結構ガタイがいいんだが そのせいか、付き合ってる女が高..

いけ マスダ! メガトンパンチだ!

2017/11/21 07:26

b.hatena.ne.jp

この元ネタが、横山光輝原作の巨大ロボットマンガ『ジャイアントロボ』であることを記憶している人は、どのくらいいるだろうか…と自分のブコメには書いてしまったが、確認のため「メガトンパンチ」を検索したら「プロボクサーの必殺技の別称」という説も出てきた。

さらに元をたどれば「メガトン」というのは核兵器エネルギーのTNT火薬換算値であり、広島型原爆が15キロトンであるのに対し、かつて米国と旧ソ連が競って行った核実験の規模が巨大化していることを語るのに、恐怖を込めて用いられた言葉だった。あの頃の核戦争に対する危機感は、今どきの北朝鮮の核実験やミサイル実験の比ではなかった…と、一言多いこれもいつもの悪い癖。

ポケモンのスタッフが何を元ネタとしたのかは、インタビューしてみないとわからないところではあるが。

今回は社会問題とか深刻な話がしたいわけじゃない。いつもの物語論つか古いマンガの話である。ジャイアントロボにしろポケモンにしろ、音声操作型というのは一周回ってかえって新しいんじゃないかと感じたので、エントリーに仕立ててみたくなった。 頭の中にあったのは、巡回しているブログでレビューを見かけることが多くなったこいつだが、Siri も Cortana もありうる。

『ジャイアントロボ』含む横山光輝の一連の作品については、id:iirei さんが同時代の手塚治虫の生み出したヒーローたちと対比して論じた、こちらのエントリーが興味深いと感じた。よく比較される『鉄人28号』と『鉄腕アトム』との対比につき、「ことロボットが絡むお話では、横山光輝さんのほうが優れていると思います」としたものだった。

d.hatena.ne.jp

その論拠についてはリンク先の元記事を参照していただくとして、私は iirei さんがエントリー中に挙げた作品名を眺めているうち、横山と手塚の作品の共通点に気づき、コメント投入させてもらった。

すなわち、横山マンガのロボットは自我を持たず主人公に操縦されるタイプが多く、手塚マンガのロボットは自我を持つタイプが多いんじゃないかということである。

● 横山マンガ

『鉄人28号』…主人公=金田正太郎のリモコンで操縦される

『ジャイアントロボ』…主人公=草間大作の音声による命令で操縦される

『バビル2世』…主人公=山野浩一が「三つのしもべ」と呼ばれるロボット(だよね?)をテレパシーで操る

『マーズ』…主人公=マーズがガイアーというロボットを操る

● 手塚マンガ

『鉄腕アトム』…主人公=アトムは自我を持つ

『マグマ大使』…主人公=マグマ大使は自我を持つ

『魔神ガロン』…ガロンの心臓部に相当するピックは自我を持つ

ロボット物ではないが『ジャングル大帝』、『ビッグX』、『ミクロイドS』、『三つ目がとおる』など手塚には「主人公自身がスーパーヒーロー」という設定が目立つ。

思うに手塚は本人が天才だったから、自然に自分が生み出す主人公自身もスーパーヒーローになったんじゃないだろうか。そりゃ天才と言えば横山だって天才なのだが、凡人が努力を重ねれば横山には追いつけるんじゃないかという気がするが、手塚にはそういう気が全然しないという意味で。

同時代のマンガ家名をもう一人(?)出すと、藤子不二雄のスーパーヒーローは、主人公の友達というほぼワンパターンだった。弊ブログで藤子に言及するのは何度目だ?という気もするが、まあいい。藤子不二雄というのが藤本弘(藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(藤子不二雄Ⓐ)の共同ペンネームで、藤本と安孫子がお互いを尊敬しあっていたことと関係があるだろうか。

ものごとはいつもそうそう単純なものではないけど、ついそんなふうに考えたくなってしまう。

スポンサーリンク

 

巨大ロボットに話を戻して、ロボットの操縦方法に関しては、少し遅れてやってきたもう一人の天才・永井豪が『マジンガーZ』で搭乗型というのを発明し、以降はほぼそれに席巻されてしまった観がある。このパターンで『ガンダム』、『パトレイバー』、『エヴァンゲリオン』など数知れぬ人気作品が製作されたし、今も製作され続けている。搭乗型ロボットの元祖はフランス映画『やぶにらみの暴君』という説があるとか、『マジンガーZ』登場後しばらくは搭乗型は永井のダイナミックプロの専有物であったとか、ネットを検索して彷徨すると時間がいくらあっても足りなくなる。

 

6月の東名高速における死亡事故をきっかけに、一時期、危険運転に関する記事がメディアに溢れたことがあった。確かどこかの新聞社が出した記事だったと思うが、自動車という装置は、固いボディを持ち運転者の意のままに扱えるので、人間の自我を肥大させるのにもってこいだというようなことを論じたものがあったとうろ憶えの記憶がある。もっともだと思うと同時に、えらく月並みな分析だなとも感じた。元記事が出てこないか検索してみたが、探しきれなかった。

思うに、読者、視聴者をいかにスーパーヒーローに感情移入させるか?というのは、地味だが案外重要なことなんじゃないかという気がする。生まれながらの天才を主人公としてポンと提示しても、読者が感情移入してくれるとは限らないのだ。永井豪の別の人気作品『デビルマン』は主人公が敵の一人と合体してスーパーヒーローになったし、石森章太郎の『サイボーグ009』や『仮面ライダー』は主人公が敵の組織に拉致されて本人の意思とは関わりなしにサイボーグに改造された。読者の分身を主人公に仕立てるためには見事な筋立てだったと思う一方、子ども心にトラウマになりかねないショッキングな物語だったとも思う(それゆえ長く記憶されている?)。「搭乗型ロボット」にはその手の抵抗が少ないという意味で画期的だったと思う。だからこそ巨大ロボットの操縦方法を一気に独占してしまったのだろう。

ただしワンパターンの嫌いは否めない。読者をスーパーヒーローに感情移入させる未知の方法を思いついたら、ひょっとしたら人々の記憶に長くとどまる物語を創作するという野望を成就できるんじゃないかな、とお定まりの妄想。

特撮実写物の『アイアンキング』というのを思い出した。ネットでは「特撮史上最弱のヒーロー」などというありがたく称号を与えられているが、放送当時は決して嫌いじゃなかった。当時の青春ドラマのスターであった石橋正次が演じた主人公はただの人間で、主人公の友人が巨大ロボットに変身したのだった。え、今ウィキペを見たら、その主人公の友人を演じたのは元日活の浜田光夫!? なんだこの子どもにはわからない無駄に豪華なキャスティング?? いやパターンに嵌まらない例(パターンの組み合わせの例)もあると言いたかっただけなのだが。

 

もう一つ、これも妄想に近い戯言だけど、「搭乗型ロボット」→「自動車」、「音声操作ロボット」→「音声認識アプリorガジェット」というアナロジーが成立し、現実がマンガを逆の順序で追っかけているとしたなら、「自我を持ったロボット」は何に相当するんだろう? 無責任にあれこれ想像してみるのも楽しいかも知れない。

   *       *       *

元の増田の記事の内容については、一切言及しませんでした。私の閲覧範囲では、高円寺ららぁ(id:koenjilala)さんのこちらの記事がシリアスで考えさせられ読みでがありましたので、勝手ながらリンクを貼って紹介させていただきたく。

blog.lalamiamor.net

追記:

セネシオ(id:cenecio)さんから言及いただきました。ありがとうございました。日本アニメの海外への影響に関する記事です。感謝しつつ、こちらからもリンクを貼らせていただきます。

cenecio.hatenablog.com