🍉しいたげられたしいたけ

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西原理恵子『毎日かあさん3 背脂編』(毎日新聞社)

毎日かあさん3 背脂編

毎日かあさん3 背脂編

…というのも読んでいます。カモちゃんサイバラという希代の才能を受けついたご長男は、学校の成績においてはいたく苦戦をなさっているようで、本書p57では「94−17」という引き算の筆算を前に「おかーさん、これは強敵だあ〜」とザセツの危機に瀕しているようである。
実はこの数字を見たとき、私も一瞬固まった。なぜか計算できない!
いや、もちろんその気になれば「10のケタから1借りてきて…」と計算することはできるのですよ。答えは67だ。大の大人なのだから、これくらいできて当然だ。しかし今なぜあらためて94−17=67なのかと考えると、不思議な感慨に襲われないではいられない。我々がこの94から17を引いて67という正しい答えを得るという過程は、機械的な訓練の結果であり、なぜ94から17を引くと67になるのかということを、理解していると言えないような気がする。「借りたら?」「返さない!」というサイバラ母子の会話は、絶対に正しいのである!
自然は計算をする。自然は計算を過つことはない。もし94に相当する物理量があり、もしそこから17に相当する物理量が取り去られたのであれば、後に残るものは間違いなく67である。それどころか自然は、微分積分微分方程式を含むありとあらゆる複雑な計算を一瞬にして成し遂げて、過ちを犯すということはありえない。
アインシュタインの金言「この世界に関して永遠に不可解なのは、「世界が分かる」ということだ」(『科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか (中公新書 (1843))』より)を、あらためて噛み締める。私にとっては、「定規とコンパスによる体の拡大はベクトル空間の基底を2倍ずつ増やす」という数学的事実も、「94から17を引くと67になる」という数学的事実も、いずれ劣らぬ自然に対する不可解と畏敬の念を喚起するものなのだ。
(あ、計算結果はわざとボケてます。念のため(^^;)
科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか (中公新書 (1843))

科学者という仕事―独創性はどのように生まれるか (中公新書 (1843))