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京都府宮津市「つかずの鐘」の物語が韓国慶州「エミレの鐘」のそれにそっくりな件

物語の相似や古形を見つけると、保存したくなる性癖がある。ただし今回のものは、読んで楽しいものじゃないです。

 

京都府宮津市の古刹成相寺〔なりあいじ〕の梵鐘に、こんな物語が伝わっている。

つかずの鐘 京都府の民話 <福娘童話集 きょうの百物語>

長い話ではないので、正確なところはリンク先を読んでもらった方がいいが、ざっとあらすじを紹介すると、次のような感じだ。

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戦乱で毀損されてしまった成相寺の梵鐘を再鋳するために、村人から寄進を募ることになった。だが村はずれに住む両親と赤子の三人家族は、あまりにも貧しくて一文の銭も出すことができなかった。寄付を集めにきた寺男がそれをなじると、女房は「そんなに言うなら私たちの命より大事なこの赤ん坊を持って行ってもらうしかありません」と答えた。

鐘の鋳造は難行し、三度まで再鋳造を行うはめになった。その三回目の鋳造の折、貧しい夫婦の赤ん坊が行方不明になった(他ソースでは、赤ん坊が誤って銅の炉に落ちた、あるいは赤ん坊を炉の中に投げ入れたというものもあります)。

三度目にしてようやく完成した鐘をついたところ、さまざまな災厄が起き、しかも鐘の音に交じって赤ん坊の泣き声が聞こえてきたという。

その後、夫婦は村からいなくなり、梵鐘も撞かれることはなくなったという。

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幼い頃に祖母からこの話を聞かされて、トラウマになった記憶がある。しかし長じてからこの話を他人にしたところ、「赤ん坊を殺す必然性がない~w」と一笑に付されたこともあった。

 

なお成相寺梵鐘には、1609年の銘文があるそうである。

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ところで『マンガ ものがたり韓国史〈1〉檀君神話から統一新羅まで』に、新羅36代恵恭〔ヘゴン〕王(765-780) の時代の事跡として、こんな物語が載っているのを見つけた。成相寺の銘文より800年以上も昔のことになる。

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先王の供養のため奉徳〔ポンドク〕寺の鐘を作ることが命じられ、寄進を募ることになった。

だが貧しい未亡人は布施するものを持たず、どうしてもと言うなら赤ん坊を差し出すしかないと答えた。

マンガの一部をスキャンして示す。

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上掲書P244

 

ところが鐘の鋳造は難行し、6回作り直しても完成せず、責任者は投身自殺するに至った。

ある晩、住職の夢に、神とも魔ともつかぬ老人が現れ、赤ん坊を銅と一緒に溶かせば鐘は完成すると告げた。

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上掲書P247

 

あろうことか住職は夢告を信じ、未亡人を探し出して赤ん坊を取り上げるよう命じた。

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上掲書P248

 

後継の責任者に任命されていた賢臣は、この判断に泣いて反対し、ついには盲目になってしまったという。

反対にもかかわらず、赤ん坊(女児だったという)は炉に投げ入れられた。

その結果なのかどうなのか、鐘は今度こそ見事に完成した。しかし…

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 上掲書P250

 

エミレ(에밀래)というのは、検索すると「お母さん」を意味する古語のようである。「おっかあ」というところか。

こうしてこの鐘は「エミレの鐘」と呼ばれるようになり、やはり撞かれることはなくなったという。

鐘の実物は、現在、慶州博物館に保存されているとのことである。

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「エミレの鐘」で検索すると、日本語のサイトも多数ヒットする。だが「赤ん坊」ではなく「娘」とするサイトが多いようだ。

 

「だから何だ?」という結論は、今回は、ない。このようによく似た物語を集めること自体が好きなのである。

マンガ ものがたり韓国史〈1〉檀君神話から統一新羅まで

マンガ ものがたり韓国史〈1〉檀君神話から統一新羅まで