しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることで人権を守ろうとする試みは歴史的に全て失敗している

大川玲子『聖典「クルアーン」の思想 イスラームの世界観』(講談社現代新書)

聖典「クルアーン」の思想――イスラームの世界観 (講談社現代新書)

聖典「クルアーン」の思想――イスラームの世界観 (講談社現代新書)

第二章「預言者たちとクルアーンに先行する諸啓典」がいいです。コーラン(本書の表記は「クルアーン」)の、ユダヤ教キリスト教を巧みに取り込んだ上で自らの優越性を示す手法が実に巧妙。コーランは、先行する経典(新旧両約聖書およびコーラン自身)の不適切な部分を「取り消す」ことができるのだそうだ(p124〜)。ちょうど不適切な法律を、後の立法によって取り消すことができるように。コーランが自らの正統性を保証しようとするやり方は、法律が自身の体系の正しさを保とうとする方法に似ているのかも知れない。ただしイスラムにおいてはムハンマドは最後にして最大の預言者だから、ムハンマド以降には預言者が現れることはないとすることによって、後世においてコーランが改訂される可能性を奪っている。
それから印象に残ったのは、第三章「「天の書」とクルアーン」における、「アッラーは全知全能の絶対的存在である。人間を含めた全存在の全事柄をあらかじめ決定する。そうすると、人間には自由意志がないのだろうか?」(p147)という設問。本書の結論は、あるとしても相当に限定的というものである。レバノン出身で在米のサニア・ハマディという社会人類学者の著作が引用されているので、孫引きします。

 ……アラブ人たちは、環境をある程度左右し、自ら運命を切り開き、気持次第で願いごとをかなえ、自分の行動で運命を変えることがかなり可能だという事実に、ほとんど気づいていない。
 彼らのあきらめと自己犠牲の態度には、多くの要因がからみ合っている。その最大のものは宗教的な影響力だが、経済要因もまたアラブ人の運命観を形成するうえに大きな役割をはたしている。大部分のアラブ人は、何代にもわたって、恵まれない悲惨な生活を送ってきた。
 彼らの運命論者的な態度は、生まれてから死ぬまで、いつも物質的に足りない中で生活してゆくという現実の経済状態から生まれたものである。……(笠原佳雄訳『アラブ人とは何か』

(本書p147〜148)
うーん、民族や文化に優劣がないように、宗教にも優劣はないものだと私は思っているのだが、程度の差こそあれ個人的に「体質に合う・合わない」ということがあることも全否定は難しいように思う。私自身はあまりにもキッチリと合理的に整理された宗教より、例えば仏教みたいなゆるゆるの宗教のほうが肌に合いそうな気がする(私は仏教もきちんと理解しているわけではないので、「仏教はゆるゆるの宗教じゃない!」という反論があったら「ごめんなさい」と素直に謝りますm(_ _;)m)。