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しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることによって人権を守ろうとする試みは経験的に全て失敗している

大相撲春場所千秋楽の白鵬バッシングに感じた違和感は主語を思いっきり大きくとると「日本社会のルールというものに対する意識のユルさ」なのではないか?

別のことを先に書こうと思っていたが、時事ネタなのでササっと書いてしまう。

はてな」トップの「エンターテイメント」に、大相撲春場所千秋楽の結びで白鵬が見せた変化に対する記事が2件並んでいた。

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痛いニュースと…

blog.livedoor.jp

 札幌訪問型鍼灸治療院つちだ さんのところの記事である。

www.cloudsalon.net

私の意見は後者のブコメに書いた通り、「変化がある」という可能性はないよりあったほうが面白いし、変化をルールで禁じるなんてとんでもない、というものだ。むろんそうでない意見も多い。異なる意見があることは当然だ。しかし私と異なる意見のブコメを読んでいて、何となくモヤモヤと感じた違和感を言語化できそうな気がしたので書いてみる。

それは、「明文化されたルールより不文律を尊重すべき」とでもいうような空気だ。

大相撲で変化をルールで一律に禁止することはできまい。それは多分、今回の件に対する賛否の立場を問わず、共通認識だと思う。かつての舞の海のような力士が活躍する機会まで失うことになる。

かといってまさか、立場によって適用されるルールに差異を設けるわけにもいくまい。ゴルフのハンディのように。将棋の駒落ちのように。いやしくもその種目のトップに君臨するリーグで、ハンディ制を採用しているところを知らない。いやあるのか? ないよね。

言うまでもないことだが

「明文化されたルール」>>「不文律」

でなければならない。

しかし往々にして

「不文律」>「明文化されたルール」

みたいなことを言い出す人はいる。

これはスポーツに限ったことではなく、冗談半分で(つことは半分本気で)主語を思いっきり大きくすると、我々の住む日本社会では随所にそういう傾向が見られるような気がする。

それによって我々は「空気を読むこと」=「明文化されたルールより不文律を優先すること」を迫られ、そのためその分だけ我々の住む社会は少し息苦しく住みにくく感じられる。

例えば企業と個人が裁判をすると、個人が負ける傾向にあるとかね。逆に個人が勝つとニュースになるくらいだ。

個人特定につながるからあんまり詳しくは書けないが、弊ブログに非正規労働者の雇止め裁判を傍聴したことを何度か書いた。

傍聴 の検索結果 - しいたげられたしいたけ

結論を書くと、原告すなわち非正規側の全面敗訴だった。判決理由がすさまじい。誤解を恐れずわかりやすく書くと、雇用されるとき雇用側の「いつでも解雇できる」旨の契約書にハンコを押したではないか、ということに尽きる。しかしその契約書に同意しなければ、そもそも採用してもらえないのだ。だからハンコを押しても押さなくても、非正規側は100%負けることになってしまうではないか。

民法などに、一方の権利を著しく損なう契約は無効という明文化された条文があるはずなのに、そちらはきれいにガン無視されたそうだ(判決文までは見ていないので、どの条文を基に争ったかまでは、今は書けません)。

裁判までやったわけではないけど、最近閲覧したブログの中では、「た」さんがちょっと怖いことを書いていました。損保会社が支払いを全力で渋ってきたという話です。

tamu2822.hatenablog.com

これなんかも、もし争ったらぜってー企業に優しいパターンだと思いません?(根拠なし

スポーツに話を戻すと、愛国者さんたちから「嫌なら出ていけ」「モンゴルに帰れ」という反論が出てきそうである。現実にそんな心ないヤジが飛んだという嫌な報道もある。

それでいいの? 本当にそうなりかねないよ。

今はモンゴル出身力士が隆盛を極めている。だがちょっと前には、ハワイ出身力士が番付上位を賑わせていた。今はなぜハワイ出身力士、いなくなってしまったんだろう? どうして続かなくなっちゃったんだろう? ちょっと嫌な想像が頭をよぎる。

モンゴルは多分太いパイプがあるため人材の供給が続いているが、もともとモンゴルは広い国土と地下資源に恵まれた国で、また国境を接するロシアと中国が、ともに内陸の開発にエネルギーを注いでいるので、今後飛躍的に発展する可能性を秘めた国のひとつと言える。

そうなってからも、日本の相撲界を相手にしてくれるだろうか?

国際的と言われるスポーツは、いくつもある。サッカー、ゴルフ、テニス、野球など。世界のトップ選手たちは、条件のいいところを目指して軽々と国境を越えている。

そういうことがあるのは、明文化されたルールが保証されていることも、重要な要件の一つではないだろうか?

例えば欧州かどっかのサッカートップリーグで、日本人選手がオフサイドトラップを仕掛けたりイエローカード狙いの転倒をしたりしたとき、「日本に帰れ」と言われたら我々はどう感じるだろう。欧米人の人種偏見が根強く時に日本人のそれより強烈なことは知らないではないけど、それにしてもだからって「サッカーのルールを属人的に変更しよう」などという議論が出てきたというニュースは、聞いたことがない。あるのか? ないよね。

ルールの公平性と明文化されたルールの尊重こそが、相撲に限らずスポーツの隆盛を支える基本ではないか、ということが再確認したくてエントリーを起こしました。