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宮元健次『神社の系譜 なぜそこにあるのか』(光文社新書)

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)

神社の系譜 なぜそこにあるのか (光文社新書)

この半年ばかり、仏教関係の本はけっこう読んでいるのに、そう言えば神道の本はあまり読んでないなと思って、手に取ってみた。
平将門を祀る神田神社に明治天皇が参拝することになったとき、「天皇が朝敵を拝むなどとんでもない」と言って主祭神を入れ替えたところ、江戸っ子は本殿には誰も賽銭を投げなくなり、将門を遷座した末社に参拝者が詰めかけたというエピソード(p22)は、『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)』にも載っていたな。
桓武天皇を祟ったと言われる早良親王の話(p30〜)や、菅原道真を祀った天満宮の話(p38〜)は、『神仏習合 (岩波新書)』でも扱われていたっけ。
しかし、この本の主な関心事は、神社・仏閣の立地というかグランドデザインの解明に向けられている。すなわち、夏至や冬至に特定の場所からの日の出や日没が見られる角度(「自然暦」と言うのだそうだ。p31他)に基づいて、立地が選定されているというのだ。
図があると早い。本書P61より「三輪山を中心とした自然暦」だそうだ。本書には、こんな図が二十数枚、掲載されている。
一冊読んだだけでは速断かも知れないが、神道と仏教は、関心の方向がずいぶんと違っているように思われる。仏教に呪術性がないとは口が裂けても言わないけれど、あくまで「上救菩提下化衆生」すなわち自己と他者の救済を目指すもののはずである。一方、神道にはアミニズムやシャーマニズムの色彩を色濃く感じる。近代における神道をベースとした国学の隆盛が、明治維新後の国民国家の成立の下準備をしたというのは理解できるが、乱暴に言えばナショナリズムというのはややもすると「わたしはえらい」と言っているのにすぎないのであって、ある程度以上の深遠性や普遍性を持つには、限界があるというのは言いすぎとしてもかなりの困難が伴うのではなかろうか?
神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神仏習合 (岩波新書)

神仏習合 (岩波新書)