しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを要求しない

薄曇|日記

マンガの話

そう言えばしばらくマンガを読んでなかったなと思ったら、偶然amazonで、古〜い、しかし子ども心にとても気になっていたマンガが復刊されているのを見つけたので、つい大人買いをしてしまった。
アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))
アシュラ (下) (幻冬舎文庫 (し-20-3))
銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)
銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)
いずれも上下二分冊である。
『アシュラ』は「食人」、『銭ゲバ』は「(殺人も含め)手段を選ばず成り上がろうとする男」という、少年誌連載とは思えないすさまじいコンセプトで、かつて話題を撒いた作品である。
しかし、今の目で見てみると、どうしても完成度の低さが目立つ。ラストはいずれも唐突に終わったという印象が否めない。ストーリーの収集がつかなくなったので作者が物語を放り出したとしか思えないのである。また『銭ゲバ』の「大会社の社長に懐に飛び込むようにして取り入り、出世街道を進む」という筋立ては、植木等の『無責任男』シリーズそのままじゃないか。
つまりは、どうもコンセプトだけのマンガだったようである。ただそのコンセプトの強烈さが、いつまでも記憶に影響を残す。
『アシュラ(上)』(p221〜222)より。飢餓のためやむなく家族の肉を口にした孤児が、物語の重要な登場人物である法師と出会うシーン。

吹き出しの文字が小さいので、少年と法師のセリフをタイプすると…
少年「法師」
法師「苦しいか」
法師「わかっておる おぬし人肉を食らったな」
法師「すくわれたいか」

法師「南無阿弥陀仏」
法師「南無阿弥陀仏ととなえなされ ただ一心にとなえなされ」
少年「南無阿弥陀仏」
今、気づいたのだが、少年も法師も名前がないのだな。
このシーンは、凡百の解説書よりも圧倒的な説得力をもって、『歎異抄』の精神に、浄土教というものの精神に、我々を肉薄させるんじゃないかと思う。
ただし作者はその後、どっちかと言うと仏教よりキリスト教に接近していったようだが。
追記:
下巻を読み返していたら、少年にはちゃんと「太郎丸」という名前があるのに気づいたので訂正します。

お客さんから物をもらう

気にかけていただけるだけで、ありがたく、また恐縮ですm(_ _;)m
しかしCamusのコニャックVSOPとは…自分で言うのも何だが、ネコに小判つかブタに真珠つか…私はふだんハコの酒か一番安い発泡酒しか飲まない、違いのわからない男。
どやって飲めばいいんだコレ?氷を入れてサイダーで割ればいいのか??

アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))

アシュラ (上) (幻冬舎文庫 (し-20-2))

アシュラ (下) (幻冬舎文庫 (し-20-3))

アシュラ (下) (幻冬舎文庫 (し-20-3))

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 上 (幻冬舎文庫 し 20-4)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)

銭ゲバ 下 (幻冬舎文庫 し 20-5)