大昔、入り浸っていた旧2ちゃんねるオカルト板「ウミガメのスープ」スレッドに、こんな問題を投下したことがあった。
この問題は拙編著『推理クイズ道場ウミガメのスープ』にも収録したので、そちらから引用する。うわ初版2004年だから、もう22年も前になるのか。
改行位置、変更しています。以下同じ。
世界一、世界二、世界三
その当時「世界第一の頭脳を持つ」と言われた男は、その文章を一読してただちにその矛盾を見抜いた。
だが、多分「世界第二?の頭脳を持つ男」と「世界第三?の頭脳を持つ男」は、「世界第一の頭脳を持つ男」に、それを発表するのをしばし思いとどまるよう説得している。
なぜ?
『推理クイズ道場ウミガメのスープ』P91


Q&Aは省略してANSWERのみ文字を貼る。
ANSWER
「世界第一の頭脳を持つ男」とは不完全性定理のゲーデル。当時ナチスに迫害されてアメリカに亡命していたが、周囲に説得されてアメリカ国籍を取得することになった。
当時も今も米国籍を取得するためには、星条旗と米合衆国憲法に忠誠を誓う必要がある。ところが「世界第一の頭脳を持つ男」は、米合衆国憲法を一読、条文の矛盾を発見し、アメリカがナチスドイツ並みの独裁国家になる可能性があることを発見した。
だが彼に米国籍を取ることを強く勧めていた「世界第二?の頭脳を持つ男」こと相対性理論のアインシュタインと「世界第三?の頭脳を持つ男」ことノイマン型コンピュータのフォン・ノイマンは、彼の学問的純粋さ(早く言えば学者バカさ加減)をよく知っていたため、「今それを言うと米国籍が取れなくなるかも知れないから、国籍を取るまでは黙っていてくれ」と頼んだという。
同 P92
この問題に限らずウミガメのスープに投下した問題は、いちいち典拠を当たったわけではないから、細かい部分をチェックすると不正確なことだらけである。
第一に、ゲーデルが合衆国市民権を取得したのは、第二次世界大戦終結後の1947年である。
第二に、その際に保証人になったのはアインシュタインと、もう一人はノイマンではなくノイマンとともにゲーム理論の創始者として知られるプリンストン高等研究所のオスカー・モルゲンシュテルンである。
第三に…きりがないからやめておく。
直近何年か、漠然と典拠を探さなければと思っていたが、数日前に本棚からあっさり見つかった。高橋昌一郎『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』(講談社現代新書) である。おそらく同様のエピソードを収録した書籍は、他にも多数あると思われるが。
『ウミガメのスープ』は、版元品切れになって久しい。せめてもの訂正のつもりで『ゲーデルの哲学』から関係部分を弊ブログに引用しておきたい。引用の四要件は満たしているつもりだが、権利者から怒られたら消します。
アメリカ合衆国移住
一九四五年八月、第二次世界大戦が終結した。この頃になると、ゲーデル夫妻は、典型的なアメリカの日常生活に馴染んでいる。<中略>一九四七年十二月、四十一歳のゲーデルは、アメリカ合衆国に永住することを決意した。ゲーデル夫妻は、もはやオーストリアにもチェコスロバキアにも戻る気持ちはなかった。おそらく、その前年にプリンストン高等研究所終身研究員に任命されたことや、この頃に回転宇宙論解に関する最初の論文を書き終えたことから、法律上の立場を明確にしょうと考えたものと思われる。当時、合衆国市民権を取得するためには、二人の保証人と合衆国憲法についての簡単な面接試験が要求された。ゲーデルの保証人を引き受けたのは、アインシュタインとモルゲンシュテルンだった。
ゲーデルは、この面接試験を非常に重要なものと考えたらしく、合衆国憲法を一から勉強している。試験前のゲーデルは、「インディアンがいつアメリカで居住を始めたのか調べなければならない」とワンに語った。しばらくすると、ゲーデルは、アメリカ合衆国憲法に「矛盾」を発見したと周囲に話している。さらに、面接の前日、ゲーデルは、合衆国が合法的に独裁国家に移行する可能性を発見したと言って、モルゲンシュテルンを驚かせた。
翌朝、モルゲンシュテルンは、ゲーデルとアインシュタインを車でトレントン裁判所まで送った。<中略>
ゲーデルの移民審査を担当することになったのは、アインシュタインの移民を許可したフィリップ・フォーマン判事だった。判事は、にこやかに挨拶した後、二人の保証人がゲーデルの面接試験に同席することを特別に許可した。
まず、判事が、「あなたは、現在ドイツ市民権を所有していますね」と尋ねると、ゲーデルは、それを遮って「いいえ。オーストリア市民権です」と言った。「いずれにしても独裁国でしたな。しかし、わがアメリカ合衆国では、そのようなことは起こりえませんからね」と判事が言うと、ゲーデルは、「それどころか、私は、いかにしてそのようなことが起こりうるのかを証明できるのです」と言った。アインシュタインとモルゲンシュテルンは、慌ててゲーデルを制して、一般質問に話題を戻した。
一九四八年四月二日、ゲーデルとアデルは、アメリカ合衆国市民権を宣誓した。これによって 二人の移民は終了した。彼は、この際に洗礼名「フリードリヒ」を正式に削除し、宣餐書に「クルト・ゲーデル」と著名した。
『ゲーデルの哲学』P153~155
引用文中ワンはロックフェラー大学ハオ・ワンとして同書P120に初出、回転宇宙論解に関してはP150~に「一般相対性理論の回転宇宙論解」と題された節があるが詳述は省略する。
ついでながら「人間のフリをした悪魔」とまで言われたノイマンが、「二十世紀最高の知性」と呼ばれるたび「それは私ではなくゲーデルだ」と謙遜したというエピソードは、「はじめに」P5に見える。


