しいたげられたしいたけ

建築家は外装の失敗をツタで隠し、料理人は味付の失敗をマヨネーズで隠し、政治家は内政の失敗を戦争で隠す

スティーブン.W.ホーキング、佐藤勝彦 (監訳・解説)『時間順序保護仮説』I\

時間順序保護仮説

時間順序保護仮説

だいたい読んだ。だいたいと言うのは、表題の「時間順序保護仮説」はまるっきり歯が立たなかったからである。原則としてこの日記の書評は完読した本をとりあげることにしているが、きびしすぎると窮屈なので例外は認めることにしている。
著者が1991年におこなった四つの講演の講演録。前述の「時間順序保護仮説」は学会発表だが、残り三つは一般向け。そしてその三つはたいへんに読みやすく、しかも論理が明晰で、「なるほど、頭のいい人はものごとをこんなふうに考えるのか」と思わないではいられない。
たとえば最初の「全てのことは予めどうなるかが定められているのだろうか?」という表題の講演だが、著者はこの設問を、まず3つの小問題に分割する。すなわち…
(1)単純な一つの理論で、私たちの身の回りの複雑な事柄から些細な事柄まで説明できるのだろうか?たとえばファッション誌『ヴォーグ』の次号の表紙を誰が飾るかが「大統一論」によって予言できるのか?
(2)私たちは必ず正しい判断を下すように、理論が決めているということがあるだろうか?
(3)私たちの自由な意志とか責任というものもまた、科学法則によって決定されているのだろうか?もしそうなら、犯罪を犯した人間は犯罪を犯すように運命付けられているので罰することもできないのか?
そしてこれらの小問題に、物理学など最新の科学の知見を適用してゆく。不確定性原理とかDNAとか、「ここでこれを使うだろうなぁ」となんとなく予想がつきそうなものもあれば、「おっ、ここでこれが出てくるのか!?」と意外なものが飛び出すこともある。
著者の結論は、いかにも一般常識をそなえた人間を納得させるような、穏健なものである。書いてしまうと答えはイエスだがノーでもある。なぜならどのように決められていることを知ることができないからである。(p24)ただしいきなり結論に飛びつこうとするのは野暮というものであり、結論に至る道筋をいかに楽しむことができるかが、読み手の知的な力量のようなものを量るバロメータにもなりそうな気がする。そんなものを量ってどうするのかという気もするが。
巻末には原文の英語が付されている。佐藤氏の解説によると、著者の使用するワードプロセッサ*1の制限から、単語数は3000語程度に抑えられているという。もし英語で講演する機会があれば、これらの英語を徹底的に読み込んでお手本にさせてもらおう。そんな機会があるのかどうかは知らないが。
Amazonで調べると新刊は品切れなのが残念。マーケットプレイスであれば入手できる。

*1:人口音声を発生させる装置のことであろう。著者は難病のため声を失っている