しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない

杉晴夫『ストレスとはなんだろう』(講談社ブルーバックス)

ストレスという単語が耳目に触れない日はないくらいなのに、自分はストレスについて全然知らなかったことを思い知らされました。読みやすいし面白い!自分的五つ星。
十九世紀のコッホを嚆矢とする細菌学はめざましい成果を挙げ、人類の平均寿命を飛躍的に延ばした。だが皮肉なことにこの「成功体験」が、「ストレスの発見」をむしろ難産にしたという。「ストレス学説」の始祖ハンス・セリエは、医学生時代、医学部の教授たちが患者たちの一様に示す「白く荒れた舌、発熱や胃腸障害によりやつれた様相」という「明らかに病気とわかる症状」には注意を払わないことに驚いたという(p18)。
本書によると、このようなどの病気にも共通する「明らかに病気とわかる症状」を「非特異的反応」(p19、75、77)と言うんだそうだ。一方、教授たちが着目していたのは、トラホームなら目の病変、中耳炎なら耳の痛みといった、特定の部位に発生する特定の症状であり、こちらを「特異的」と言うのだそうだ。
先走って今日の言葉を使ってしまうと、細菌学はまさに「要素還元主義」の成果であり、ストレスを生むプロセスは「要素還元主義」をはねのけて容易に受け付けぬ「複雑系」の所産であろう。本書には「要素還元主義」という言葉も「複雑系」という言葉も(私の見落としがなければ)出てこないけど。
「要素還元主義」は、「細菌学」に引き続き「ウイルス」「ホルモン」で医学の分野に巨大な成果をもたらした。セリエは初め未知のホルモンを発見するためのラットを使った実験にたずさわったが、実験動物のどの部位の抽出エキスを注入されたラットも、「副腎皮質の肥大」「リンパ節の萎縮」「胃腸壁の出血・潰瘍」という共通の症状を示すことに悩まされたという(p67、70)。
あるときセリエは、(門外漢には「やけになって」としか思えないが)ホルモンと無関係な純然たる毒物であるホルマリンを、ラットに注入してみた。果たして同じ三つの症状が現れた!これをきっかけにセリエは、実験動物を、暑さや寒さにさらしたり、X線を照射したり、体を束縛したりと、考えられるあらゆる処置を行って同じ症状が発生することを確認し、しかも与えた刺激と発生する症状が定量的な相関関係にあることを確認した上で「ストレス学説」という仮説を提唱したのである。
後に、有害作用が脳下垂体から副腎皮質刺激ホルモンを分泌させ、このホルモンが副腎皮質の肥大とリンパ節の萎縮・リンパ球喪失をもたらすというシステムが明らかにされた(p88)。脳下垂体から分泌されるホルモンは極微量であり、これを特定するためには放射性同位元素を用いた技術が必要だったとのことで、本書ではその概要がp126以下で概説されている。この精神から肉体への作用は、電気屋崩れの私に言わせると、微細な電気信号を増幅するプロセスのようである。
以下、雑多な感想。近年「複雑系」がもてはやされるが、少なくとも「ストレス学説」の発展を見るかぎり、その急所である「脳下垂体からのホルモンの発見」というのはどう見ても「要素還元主義」的手法であり、してみると「複雑系」と「要素還元主義」は対立するものではなく相補的なものだと心に留めておく必要があるのかも知れない。違うかも知れないが。
また本書には、本筋とは関係ない部分で、野口英世が何度か登場する。細菌学の黄金期がまさに過ぎ去ろうとした時期に登場した「遅れてきた細菌の狩人」「最後の細菌の狩人」という役回りで、彼の発見したとされる病原菌が、実際は誤りで正体はウイルスであったことが後日判明したというケースがしばしばあったという。
考えてみれば「ないことを証明する」のは「悪魔の証明」とも言われるほどの難事だという。もしかしたら野口英世にも匹敵する才能と情熱を持ちながら、病原体となる細菌があらかた発見されてしまって未知の病原体がほとんど残っていない時期に細菌学を志し、空しくも名を残すことに成功しなかった優秀な研究者が、膨大な数、存在するのかも知れない。それはウイルスやホルモンの研究に関しても同じであろう。
研究というものの、厳しさ、非情さに、改めて思いをめぐらせる。