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ブライアン・ヘイズ、(訳)冨永星『ベッドルームで群論を―数学的思考の愉しみ方』(みすず書房)

ベッドルームで群論を――数学的思考の愉しみ方

ベッドルームで群論を――数学的思考の愉しみ方

ガロア理論の概説書を何冊か読んで、なんとなくわかったような気になっていた。しかし群論というのが依然つかみどころがなくてわかった気がしない。初学者向けの本を紐解くと、いかにも初歩的といった趣の議論がえんえんと続き、一冊済ませても何かができるようになりそうな気がしない。いやこれは私の態度に問題があると自覚しているのだが。工学畑出身のせいか、すぐ「何の役に立つか」を求めてしまう。いっぽう群論の応用はというと、くだんのガロア理論にしろ、あと微分方程式論とか被覆とか、いきなり簡単には手の届きそうのない高度な話になってしまう(いきなりそういう高度な応用から群論というジャンルを開拓してしまったガロアが、考えれば考えるほどすごすぎるのだが!)。
それで、タイトルに惹かれて本書を読んでみた。すぐに一般向け概説書に逃避するのが私の知的怠慢なのだが。
期待していたのとは少し違った。群論の話はタイトルになった1章だけで、あとは数学それもどちらかというと応用数学からの、さまざまなジャンルの興味深い話題を集めたエッセイ集だった。
だが、これはこれでめちゃ面白かった!
1章「ベッドルームで群論を」は、ベッドに敷くマットレスがへたらないように回転させたりひっくり返したりする話。長方形のマットレスを回転させたりひっくり返したりする行為が「位数4の群」となることを示し、著者のいう「黄金律」すなわち一つだけを繰り返せば可能なマットレスの置き方をすべて網羅できるような手順は存在しないことを示す。
ところで車のタイヤ4つを入れ替える方法は、やはり「位数4の群」をなすのであるが、こちらはマットレスの作る群とは別物になり、タイヤを右回りまたは左回りに入れ替えていれば、タイヤは可能なあらゆる位置に来る。すなわち著者のいう「黄金律」が存在する。
マットレスの群には「クラインの四元群」、タイヤの群には「アーベル群」という名前がついているとのことであった。
想像するに、群論は群論自体が興味をかき立てられるものであるんだろうな。数論が数論自体の面白さを持つように。方程式論が方程式論自身の面白さを持つように。数学の各ジャンルがそのジャンル自身の面白さを持つように。
このような話題が本書には12収められていて、どれも面白かったのだが、特に興味を感じたのは3章「金を追って」の富の集中の話かな。
「金持ちはますます金持ちになり、貧乏人はますます貧乏人になる」という社会的経験則が、ごく少数の仮定をおいた数値シミュレーションで再現できるんだそうだ。
すなわち、
・メンバーの所有する富の初期値は等しい。
・メンバーが互いにランダムに取引を行う。ただし「等価交換」というものは存在せず、取引によってメンバーのどちらかが得をし、どちらかが損をする。取引の額も、どちらが得をしどちらが損をするかもランダムに決める。
・ただし取引の額は、富の額が少ないほうのメンバーの所有する富の額を超えないものとする。所有する富がゼロになったメンバーは、取引には参加できなくなる。
これだけの仮定をおいてコンピュータシュミレーションを繰り返すと、最終的にはメンバーの一人がすべての富を所有し、他のメンバーの富はすべてゼロになるんだそうだ。へぇ。
もし取引が「等価交換」であれば、これはよく知られた気体分子の運動のシミュレーションと同じで、いつまでたっても特定の気体分子が他のすべての気体分子のエネルギーを奪うということはありえない。運動量保存則だな。
これはこういうことらしい。ある時点でメンバーAの富が100、メンバーBの富が10であったとする。このときランダムに決められた取引額の不公平分が5であったとすると、仮にAが損をしたとするとAは財産の5%を失うにすぎないが、仮にBが損をしたとするとBは財産の半分を失うことになる。
このくらいだったら私にもプログラミングできそうだから、やってみようかな?
マルクスの剰余価値学説をすぐに想起するが、本書にはマルクスという名前は一度も登場しない。マルクス理論では富を多く持っている方がつねに得をするから、事態はよけいに悪そうだけど。
本書では各章の終わりに「後から考えてみると」と題して読者からの反応が紹介されているが、この章に関しては一部読者からの反発がすごかったみたいで苦笑した。一例だが、「ドル単位で見ると、経済の最下層にいる人々の平均収入が、1981年には1日70セントだったのが2001年には77セントになっている。だから「貧しいものはより貧しく」というのは当たっていない」(p72)とか。これに対してはさすがに著者も「その間に金持ちの富が何倍になったかを考えるべきだ」という意味の反論を(控えめな言い回しを用いてだが)している。
あと6章「大陸を分ける」の、分水嶺を数学的に計算するのが意外とやっかいだという話も面白かった。それもそのはず、この章の「後から考えてみると」には、南米大陸のオリノコ川をボートでさかのぼると、カシキアレ川(運河)という天然の水路に入って、最終的にアマゾンを下ることができるという読者からの手紙が紹介されている。またやはり読者からの知らせによると、ワイオミング州グランド・ティートン国立公園には、トゥー・オーシャン・クリークという水路があって、大西洋にそそぐアトランティック・クリークと太平洋にそそぐパシフィック・クリークに分岐しているんだそうだ(p146)。
10章「第三の基数」は、10進数や2進数より3進数がある意味一番すぐれている、という話で興味深かった。8章「一番簡単な難問」は、有名な「NP完全問題」のやさしい解説だった。4章「遺伝暗号をひねり出す」は…ええい、早い話がこの本はどれもそれぞれ面白かった!
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