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薄曇|伊勢田哲治『疑似科学と科学の哲学』(名古屋大学出版会)

疑似科学と科学の哲学

疑似科学と科学の哲学

五つ星。自分はこういう本こそをもっと読むべきだろうなと思う。ただし本書は(タイトルから受ける印象とは違い)一般向け紹介書・概説書ではなくあくまで教科書の部類なので、通読するのにたっぷりと時間がかかった(実は『鉄道員』を読み始める前から読んでいた)。また再読、三読の必要性を強く感じる。
要約は容易でない(本当はどの本も要約は容易ではないが)ので、本書の内容から、ほんの一例を。第一章で「進化論」に対置される「創造論」(キリスト教的神が生物を創造した)が果たして科学と言えるのかを論じるに当たって、著者はカール・ポパーの「反証主義」というものを紹介する。反証主義とは、次のような科学の方法論である。科学がある仮説を打ち立てたら、その仮説を打破するための予測を行う(本書の例では、一般相対性理論という新しい仮説に対し、皆既日食時に恒星の位置がずれるかどうかという予測。もしずれが観測されなければ一般相対性理論は打破される)。もし観測が予測どおりであれば(前の例では一般相対性理論が予測したとおりの恒星位置のずれが観測されれば)仮説は生き延びる。生き延びた仮説はさらなる反証を受ける。もし反証により仮説が打破されたら、新しいよりよい仮説の形成が試みられ、新しい仮説はふたたび反証を受ける。この繰り返しこそが科学の前進だというのである。
創造論は、古い地層から古代の化石が発見されるのはなぜかという反証に対して、化石も神がそのままの姿で創造したものであるという説明を行う。すなわち創造論には反証可能性を否定するしくみが最初から含まれている。
もちろん反証主義にも批判はあり、本書中でもそれは紹介されている。本書にはこのような議論が2ダースほども登場し、終章でそれらを踏まえた著者の立場が明快に示されている。疑似科学を剔抉(てっけつ)するためには、かほどに鋭利なメスが必要なのだ(ただ笑ってるだけじゃダメってことですね)。
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