篠田訳『純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)』のp17は、めずらしくすらすらと読める箇所が続く。読めるところは読むしかない。
カントの言わんとするところは、「批判」という唯一つの手段を用いて、形而上学の課題で解決されなかったものは「ただの一つもない」(13行目)という高らかな勝利宣言なのである(実際は前回の要約よりさらに強烈でした)。
なんとならば、もしも理性の用いる原理が(相変わらずこの原理というのがどんなものなのかは、不明のままであるが)、理性に課せられたあらゆる問題のうちただ一つでも解決するのに不十分であるならば、われわれはこの原理に他の問題をも解決させられるという十分な信頼をおくわけにいかないからだという。
なんという完璧主義!つか私の場合、未解決の問題は山のように積み上げられたままそっちの方を必死になって見ないようにしているというのが実態のような気がするんだけど、どうなんだろう?
例えばもう10年以上も前のことなのだが、風呂屋のテレビでTBSの『世界ふしぎ発見』という番組をちらっと見ていて(あの番組も長寿だよね)、大洋を航海する帆船上では常に火をたいて鍋で何かをぐつぐつと煮ているのだが、それは何で何のためのものか、という問題が出題されたところで、風呂屋を出なければならなくなった。
人間というものはつまんないことを覚えているもので、この問題が今に至るまでときどき思い出されては気になるのだけれど、理性の用いる原理とやらに頼れば、正解を与えてくれるのだろうか?
というつまらぬ茶々入れはおいといて、先に進む。
- 作者: カント,Immanuel Kant,篠田英雄
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