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渡辺照宏『日本の仏教』(岩波新書)

日本の仏教 (岩波新書)

日本の仏教 (岩波新書)

岩波新書に入っている著者の仏教三部作(?)の一つなので、一気に読んでしまった。
amazonの書評などで事前に知ってはいたのだが、特に浄土宗系や日蓮宗に対する評価の、辛辣なこと辛辣なこと(;^^A
著者の立場は「上求〔じょうぐ〕菩提下化〔げけ〕衆生(上にむかっては理想を実現し、下にむかっては衆生を幸福に導く)」(p40)という言葉で端的に表されるようであり、「わずかに信者の仕送りによって余命をささえながら、口先だけの指導をしていた親鸞や日蓮が仏教者の典型であるとは少なくとも私には納得できない」(p42)と手厳しい。
法然の専修念仏に対して著者は「予定されていた結論であろう」(p60)と断じ、法然が一切経を5回通読したという話に対しても、「そのすべてを理解したということは今日の学問の常識から見て不可能である。なぜかというと、原典やチベット語訳などあらゆる資料を動員しても、漢訳一切教の中にはどうしても意味のとれないものが沢山あるからである」(p59)と批判しているが、これは当時の時代的制約を後世の高みから見下ろしての批判というものではなかろうか?
その人柄に対する著者の評価が高い法然はこれでもまだましな方で、日蓮宗に対する批判は、もっと執拗で激烈である。その根本経典である『法華経』にしてからが、「サンスクリット本について見ると、文体はきわめて粗野で単純、一見してあまり教養のない人たちの手でかかれたものであることがわかる」(p178)と評されるのに始まり、「『法華経』の特異性は『法華経』自体の極端な賛美である。『法華経』の本文の中に、この経は「諸経の中の王」だと書いてあるのであるから、常識ではわりきれない」(p179)であるとか、漢訳者クマーラジーヴァの意訳した部分を天台大師智邈がさらに拡大解釈した部分を指摘して「天台の教義なるものはまったく無知と誤解のうえに築かれたものと言えよう」(p189)という評価まで飛び出す始末である。さらには日蓮の人となりに対する評価と来たら…きりがないので、このくらいにしておこう(^^;