しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを要求しない

伊豆にパック旅行に行ったので写真を貼る(その1)

何だか最近、旅行ネタが多い気がする。レギュラーとしては年に一度程度が、今の身の程に合っていると思っている。今年はイレギュラーなものが多いのだ。それぞれ個別の事情があってだが、いつものことでプライバシー自衛のため省略する。写真を淡々と貼っていく。
往路の第二東名から、珍しく富士山がくっきり見えたので、車窓から何枚も撮った。

冠雪前だったので、写真からはよくわからないが、肉眼で見ると赤富士のようだった。わりと言われることだが、浮世絵は意外と写実的なのだ。

最初に着いたのは韮山反射炉。これは土産物店だけど。

今年の7月に世界遺産に登録されたてのホヤホヤとのこと。

追記:
入場券の画像が出てきたのでスキャンしたものを追加します。

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裏面のOCRによる文字起こしです。ルビ省略しています。改行位置、変更しています。

   国指定史跡
  韮山反射炉の概要
 反射炉とは、鉄を溶かすための溶解炉です。それに必要な千数百度の高温を実現するため、反射炉内の天井部分は浅いドーム形になっています。そこに炎と熱を反射し、材料に集中させるので、反射炉と呼ばれるのです。
 韮山反射炉は、江戸時代末の韮山代官、江川太郎左衛門英龍(坦庵)が中心となって作られました。英龍は、日本に迫る諸外国の艦隊に備えるため、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し、江戸湾内海台場(品川台場)をはじめとする砲台に設置することを目指していました。
 安政元年(1854)に起工された韮山反射炉は、途中、英龍の死去や安政の大地震による破損などの困難を乗り越え、安政4年(1857)11月に連双2基4炉が竣工、鉄製砲の鋳造が開始されました。
 反射炉の周りには、砲身の内部をくり抜くための錐台や付属品の細工小屋などもあり、それらの施設も含めて、反射炉は大砲の製造工場でした。
 当時、佐賀藩や萩藩などでも反射炉が建造されましたが、韮山反射炉は、実際に稼働した反射炉が現存している希有な例といえます。そのため、日本の製鉄技術の発展段階を示す貴電な遺産として、国の史跡に指定されているほか、経済産業省から近代化産業遺産として認定されています。

追記おわり
ツアーコンダクターさんの話によると、世界遺産登録が話題になったため、ここを訪れる観光客の数が、去年の1万人台から今年は11万人ほどへ、9倍以上に増えたとのこと。
ちょうど時事ネタに絡めて、ユネスコ脱退論とか勇ましい主張がネットには散見されるが、ユネスコが指定する自然遺産、文化遺産、産業遺産その他もろもろチャラにされてもいいなら、やってみなさいと言うしかない。ブックマークコメントに誰か書いていたが、逆に言うともし日本の拠出金がそういうものを目当てにやっているとしたら、それはそれでいろいろ疑問が浮かぶ。

ボランティアの現地ガイドさんが、いろいろ話をしてくれた。反射炉というのは内部がドーム状になっていて、石炭の燃焼熱を反射させるのが由来だとか、現在の鉄枠は強度補強のためのもので、創建時にはなかったとか。

煙突みたいなのは四本あるんだね。L字状に配置されてるから、写真からはわかりにくいけど。

焚口というのと…

鋳口というのが開いている。

裏側から見たところ。

これは構内に転がっていた大砲のレプリカ。

もちろん実物ではない。ここで鋳造された実物は、戦時中に供出させられたりして残っていないとのこと。

江川坦庵像。有料区域の外、土産物店の前に立っていた。

浄蓮の滝に移動。これは土産物店だけど、と天丼。

駐車場から、かなり長い石段をおりる必要がある。

フォーカスが合ってなくてすみません。

「天城越え」の歌碑。

滝の反対側に、ワサビ畑とワサビの売店があった。売店の背後にもワサビ畑が川沿いに延びていた。

「伊豆の踊子」の像。「天城越え」と並んで、浄蓮の滝に言及しているということで、よく引き合いに出される。どこで出てくるかは覚えていない。つか筋をほとんど忘れてる。

さらに移動して、伊豆半島をほぼ縦貫。南伊豆町の「伊豆の味 おか田」という料亭で、伊勢海老のフルコースという夕食。この食事こそが、今回のツアーのメインみたいなもの。

写真に写っている造り、鍋のほか、殻ごと半身の入った茶碗蒸し、「鬼殼焼き」と称する照り焼きダレを塗っての殻ごと丸焼き、「具足煮」と称するダシによる殻ごと丸煮など(どうでもいいけど殻ごとが好きだね)、一人伊勢海老三尾、600gという大盤振る舞いだった。
以上が一泊二日の一日目。二日目は明日。
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