しいたげられたしいたけ

空気を読まない、他人に空気を読むことを求めない

台風接近のさなか津島天王祭というのを見に行ったら「すべてのイベント中止」とのことだった(前編:津島神社編)

近隣の祭りというものに、冷淡なほうだと思う。有名な祭礼でも「いつか見に行こう」と思いつつ、たいてい忘れてしまう。そして翌日の新聞を見て「ああ、昨日だった。ま、いいや」と思うのがお定まりである。

そんなことをしているうちに、おそらく結局一生見に行かなかったという祭礼が、たくさんできそうな気がする。そうなったとしても、たいして惜しいとは思わないが。いやそんなふうに考えちゃうのがダメなんだろう。ちょっとだけ「今年の日程はいつだったっけ?」と意識することによって、クリアできるハードルではないか。チャンスは年に一度しかないのだし、私の場合、もはやこれまでの人生よりこれからの年月の方が短い。

津島市の天王祭というのがあることを、珍しく覚えていた。余計なことを言うと、同じ愛知県内では奇祭と言われる「豊浜鯛まつり」というのも同じ日程で開催される。どうでもいいけど愛知県には “豊” のつく地名が多いね、と余計な一言を重ねる。こちらもいつかは見に行こう。だがこれまでの人生で、津島市には若干の縁があった。どういう縁かは後述。しかし知多町豊浜地区には、とりたてて縁はない。ならば津島市を先にすべきだろうという、自分でもよくわからない理屈。

 

名鉄本線の最寄り駅から津島駅までは、1時間に2度、準急で直通が出ている。首尾よくそれを捕まえることができた。

問題は、台風接近というニュースが入っていたことだ。最寄駅構内の天王祭ポスターには「花火イベント中止」という短冊状の貼り紙が貼ってあった。隣に並んでいた長良川花火大会というのには、「8/25に延期」というのが貼ってあった。

まあ行ってみるだけ行ってみるさ、と思った。祭り中止の様子が見られるなら、それも一興ではないか。すでにブログタイトルでネタを割っているけど。

 

名鉄津島駅。弊ブログこの手の記事は、たいてい鉄道写真から始まる。 

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駅構内で見かけたポスター。あとでA4判のりっぱなパンフレットを入手したが、表紙は同じデザインだった。

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先に「津島市には縁があった」と書いた理由を述べてしまおう。20年以上前、一時期、失業保険を受給していたことがあった。失業認定を受けるために、月に一回ハローワークに通わなければならなかった。当時の住所の所管のハローワークは、津島市内にあったという次第。

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ちなみに現在の津島ハローワークは駅の東側にあるが、当時は駅の南西にあった。地図で見ると、今は津島市南文化センターというのがあるあたりだったか?

すっかり忘れてしまっていて、懐かしくもなんともなかった。

 

津島駅の駅ビル。確か一階に書店のテナントが入っていたはずだが、跡形もなくなっていた。

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津島神社へは、駅前通りを真西に歩けばよかったはず。「徒歩17分」か。遠いな。

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ちょうど半分くらい歩いたところにあった観光案内図。こういうのがあると、目安になるからありがたい。

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津島市は古くから栄えた街だけあって、古い街道に趣きがあるのだが、あまり写真を撮らなかった。どこを撮るべきか、とっさの判断がつかなかったのだ。

津島神社のすぐ手前に大イチョウがあることは覚えていたので、撮ってみた。

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説明書き。

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弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。

御 神 木
(御旅所跡)
大いちょうの由来
此の地は昔天王川西堤防に当たり津島神社の御旅所があった所ゆえ古くからお旅所の大いちょうとして世に知られ高さ三十メートル、根まわり十メートル、枝張り東西へ二十メートル、南北十八メートル雄大で樹令は凡そ四百年と言はれている。
植物学の権威故梅村甚太郎先生はこの木を見て雄の木は実がならぬので成木にならぬうちに大ていは倒されるがこの木はお旅所地内にあるため神木として崇められ今日に残ったものだろう雄の木としては全国にも珍らしく県下でも第一等であるから天然記念物として保護すべき雄木であると語られた。私たちはこの木の歴史を知ると共に永く何時までも愛して行きたいものである。
津島神社

「お旅所」というのは次回の記事にも出てくる予定。

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津島神社の鳥居が見えてきた。

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ご覧の通りの立派な神社なのだが、不思議なことにぜんぜん観光地っぽくない。観光地につきものの、土産物屋や飲食店が見当たらないのだ。

鳥居の手前に「おもてなしステーション」というのがあった。3枚前の写真の下の方に幟の文字が見えている。ひょっとしたら、そこは閉店してしまった土産物屋か飲食店のスペースだったのかも知れない。

 

撮った順番は前後するが、「津島神社案内図」という絵地図を先に示そう。上の写真の赤い鳥居は、絵地図では一番下の方にある。この絵地図は、真ん中ちょっと左の「南門」のそばに掲げられていたものである。

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鳥居の向こうに現れる立派な門。文字が小さくて読めないが絵地図によると「楼門〔ろうもん〕」というのだそうだ。

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楼門に接近。

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「平成30年天王祭行事表」。上の写真の左端に写っているのを接写した。

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2枚上の写真の右端に写っている由緒書き。

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これも文字起こししてみた。

津島神社由緒のあらまし

     たけはやすさのおのみこと
御祭神 建 速 須 佐 之 男 命
    おおあなむちのみこと おおくにぬしのみこと
御相殿 大 穴 牟 遅 命 (大 国 主 命)

 津島神社は古くは津島牛頭天王社と申し今日なお一般に「お天王さま」と尊称されております。
大神は国土経営・産業開発にお力を致され民生の安定に限りないご仁慈を垂れさせられた御神徳は広大でありますが、わけても津島のお社は人の身に起こる災厄と疾病(はやりやまい)除けの守護神として、また授福の大神としてあまねく世に知られて居ります。
 社伝によれば当社は欽明天皇元年(西暦五四〇年)のご鎮座で弘仁元年正一位の神階と日本総社の号を奉られ、一条天皇の正暦年中、天王社の号を賜ったと伝えられ、いわゆる諸国の天王社の本社として全国に約三千の御分霊社があります。
御鎮座以来、歴代の武門貴族から篤く尊崇されましたが、殊に戦国時代津島の隣り勝幡城出身の織田氏は、当社を氏神と仰いで造営その他に協力し、秀吉公を始め豊臣一門は織田氏に続いて社領を寄進し造営を援けるなど尊信し、現在の重要文化財指定の楼門は天正十九年(西暦一五九一年)秀吉公が寄進され、また愛知県文化財指定の南門は慶長三年(西暦一五九八年)清洲城主松平忠吉公(家康の四男)の病弱を憂えた妻女政子の寄進になった建物で重要文化財に指定されております。
正保四年尾張藩主徳川義直公は社領として津島向島の地で高一、二九三余を寄進し後に将軍家綱公の朱印状を以って幕府寄進の神領地となり明治維新まで続きました。
 幕末光格天皇以降、朝廷内々のお沙汰を以ってしばしば歴代の主上親王様方のご祈祷を仰付けられ又有栖川宮家のご祈祷所をも仰付けられました。
明治六年県社に大正十五年国幣小社に列せられましたが、終戦後この制度は廃止されました。

例     祭          六月十五日
尾張津島天王祭 宵祭(提 灯 祭) 七月 第四土曜日 夜
        朝祭(車楽船祭)    第四日曜日 朝

 

拝殿。右奥に楼門が見える。

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拝殿を正面から。本殿は回廊を巡らせた向こうに屋根だけが見えている。

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拝殿と南門の間には、蕃塀〔ばんぺい〕というのが設けられていた。大きな神社で見かける、まあ目隠しである。

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上の写真の右奥に写っている看板を、左右二分割で接写。

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左半分。尾張津島天王祭の説明書きである。

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これも文字起こし。

天王祭は、旧暦六月朔日より八月の晦日まで(現在は、七月第四土曜日を中心)の三ヶ月に亘る「神葭神事」と、土曜日に行われる巻藁船の宵祭、翌日曜日には模様替えした車楽船の朝祭の「川祭」に分けられます。
 神葭神事は、御本殿奧深くに一年間お祀りし、災いを背負う「真の神葭」を一年毎更新し、ご祭神建速須佐男之命の御神意の高揚を図り、疫病・厄難の消除を願う「神送りの神事」で、江戸時代まで天王川が木曽川の支流であった時は、神葭が流れ着いた処では丁重にお祀りし、賑やかに神葭行事が行われ、遠く、伊勢志摩や三河・遠州に漂着した記録が残されています。
 川祭は、氏子が大神様のご神徳に感謝し、御心を慰め奉る行事で起源は不詳ですが、現存する書物は、長禄三年(一四五九)が一番古く、それ以前から行われていた事は間違い無く、六〇〇年近くの歴史があり、織田信長・豊臣秀吉・尾張藩主も幾度か見学した記録が残され、特に豊臣秀吉は京伏見に桃山城を築城の折り、城下に津島神社を移築し、淀川で川祭を行いたいと熱望されたが、当時の神社と町方衆は、「神卜により御神意に違わず。」と申し出をを断った書状が残されています。
 「尾張津島天王祭」は昭和五十五年に国指定重要無形民俗文化財に指定され、平成二十八年にユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 

これが南門。絵地図は右のほうの「津島神社」という幟の背後あたりにあった。

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南門を出たところにあった「観光センター」なる施設。

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「無料休憩所」という張り紙があった。ここも昔は土産物店か飲食店だったっぽい。

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お言葉に甘えて、中で少し休ませてもらった。ここでパンフレットも貰った。

テーブルの上に、こんなプラカードが大量に置いてあった。あらあら。

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この項、続きます。

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