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江南市の「布袋の大仏」に参詣し布袋町を散策する(後編:町内散策編)

前編に書いた、生後一ヶ月の赤ちゃんの写真をほぼ毎日アップしてくれているブログというのは、id:misa0323 さんの「古古米ママの育児日記」のことです。考えてみたらブログ名を伏せる必然性が何もなかったので、リンク貼らせてもらいます。ともくんかわいい。ちーたんお姉さんかわいい。 

misa0323.hateblo.jp

ともくん が熱を出したというエントリーを読んだときは、「わーっヘ(゚Д゚;ヘ三ノ;゚Д゚)ノ、わーっヘ(゚Д゚;ヘ三ノ;゚Д゚)ノ、どうすればいいの? どうすればいいの?『薬師本願功徳経』を千回読誦すればいいの?」とパニックしてしまった。いや赤ちゃんや小さいお子さんは、抵抗力がないのでよく風邪を引いたりお腹を壊したりするということは、知ってはいるんだけど。

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ええい、何の話をしてるんだ? そうそう、「布袋の大仏」のあの頭の形は、赤ちゃんや幼児の頭の形を連想させるよね、ってことだった。

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ともあれ参拝は無事済ませたってことで。

前回の最後の方に掲げた略地図によると、布袋町のメイン通りは大仏前の道を真っ直ぐ南下した、線路の西側の通りのようだ。ネットで出てくる写真は、線路越し、電車越しのものが多いので、往きは自然と線路の東側に沿って北上したが、帰りはそっちを通ってみようと思った。

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上掲の写真の左側の、木立で覆われた道のことである。これ葉桜だから、桜の時季には花のトンネルができるのだな。

上の写真の反対側(南側)を撮ったところ。

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そぞろ歩くと、立派な造り酒屋があったりする。しっかり営業中。

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その向かいには和菓子店が。こちらも営業中。

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前編に b:id:itamae さんからこんなブコメをいただいたが、なんでわかったんですか?Σ(゚Д゚;

江南市の「布袋の大仏」に参詣し布袋町を散策する(前編:大仏参詣編) - しいたげられたしいたけ

ingressのミッションもあるし、後編で出るだろう某和菓子屋もいい感じなので是非布袋に訪れてみてね~

2016/07/19 10:54

b.hatena.ne.jp

ただし、どちらも通りがかっただけでお店のことは何も知らないので、写真を一枚貼る以上のことはできません。

さらに少し南には、こんな可憐な布袋さまの像が。

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接写。

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もうちょっと南下すると、こんな道標が。

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馬頭観音30mというのが近かったので、寄り道してみた。

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石仏つかお地蔵さんじゃないか。つか行きずりの者にとってはお地蔵さんにしか見えなくても、お地蔵さんじゃなくて他の仏さまということもあって、由緒もそれぞれなのだろう。

案内板を文字起こしすると

洪水で流された観音様が、夢枕にたって助けを求めたと言い伝えられています。

なんだかしまらないな。

さらに南下すると、また案内板が。

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左手前の案内板を文字起こし。

明治初年の廃藩置県の時、信長の室、吉乃の生家であった生駒屋敷の中門を廣間家に移築した貴重な建物です。正面のなまこ壁の模様は生駒家の家紋がモチーフになっています。江南市の文化財に指定されています。 

 奥の案内板は、接写した。

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門の全景。

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さらにもう少し南下すると、東西二車線の広めの車道に突き当たる。そこから北側の今来た道を撮ったところ。

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東西の通りには、こんな石碑が立っていた。

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写真からだとちょっと読みにくいので、文字起こしした。

 布袋尊は、七福神中唯一の実在した中国唐の時代に活躍した禅僧。生年不明916年入滅、生活品を布の袋に入れ背負って、満面に笑みをたたえ自然の流れのままに生きた自由人。吉祥を予見したことから弥勒菩薩の化身として信仰を集めた。独立独歩の生き方、はり出したお腹が示す度量の大きさを学ぶことです。
 布袋の往時は地の果てであったことから はての→ほての→保天野と書くに至る。当時中国から語り伝えられた布袋尊の生き方が人気となり、大流行となったのが影響したと考えられます。布袋尊にあやかって、布袋町が繁栄でありますように。

建 立  平成二十五年十月吉日
施 主  布袋商店街事業協同組合
製 作  高岡鋼器団地協同組合 

日本で弥勒菩薩というと、奈良斑鳩の中宮寺や京都太秦の広隆寺にあるスリムな半跏思惟像をただちに想起するので、恰幅のよい布袋さまと習合するのは無理があるような気がしないでもない。

しかしそれを言い出したら、同じ七福神の大黒天は、日本では大国主命と同一視されているが、元はヒンドゥー教の破壊神シヴァだと言われる。さらにシヴァ神は仏教では、阿弥陀如来の前身である法蔵菩薩の師である世自在王如来と同一とされる。正信偈の「法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所」というフレーズに出てくる仏名だ。

前編で述べた通り、「布袋の大仏」は薬師如来と御嶽信仰が習合しているし、「習合というものは、何でもアリ」というのが、今のところの個人的な結論である。

石碑を起点として、通りには十二支になぞらえた十二の布袋像が並んでいた。通りの南側に並んだ半分の六つだけ、写真がある。

東から西に向かって、子。

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丑。

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寅。

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卯。

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辰。

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巳。これで半分。残りの半分は通りの北側に立っていた。下の写真の右奥に背中が見える。たぶん午のはず。

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そして巳の布袋像のすぐそばに「大佛殿」なる建物が。

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案内板を接写。「おほほ様」については、ウィキペの「布袋の大仏 (木造阿弥陀如来坐像)」に説明がある。

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左側の説明板を接写。

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「撮影禁止」の看板があちこちに貼ってあったので、殿内の撮影は遠慮した。玄関の引き戸にはチェーンロックが掛かっていたが、覗き窓が空いていて内部を覗くことができた。人の背丈ほどの座像だった。

ということで、当方としては、訪れたことのない町の日常を散策するつもりだったが、自治体とか観光協会とか商店街とかが、お金をかけて観光地に仕立てようという意図も、そちこちから感じられた。こういうことは、どこの自治体でも多かれ少なかれやっていることである。

しかし、観光地とそうでないところの違いもまた、歴然と存在するように思われる。どう表現したらいいだろうか、観光地というのは、非日常のスイッチが入る場所である。

その非日常のスイッチがどういう時に入るかは、よくわからない。人によっても違うだろうし。京都や奈良の有名な観光地を歩くときには、自動的に入るような気がするし。同じ京都でも、例えば清水参道、嵐電嵐山駅前、銀閣寺道のようないかにもな観光地から、ほんのちょっと外れると、たちまち日常に立ち戻るのを感じることもある。ブログを始める前のことなのでエントリーにはしてないが、倉敷を訪ねたときは、倉敷駅前から徒歩で白壁と掘割の風致地区内に足を踏み入れた途端に、非日常のスイッチがばちんとONになるのを感じた。

あけすけに言えば、ちょっとくらい案内板を立てたり銅像を並べたりしたくらいじゃ、訪問者の非日常スイッチをONにすることはできないから、予算の無駄遣いなんじゃないかなと、おせっかいなことを考えたりもしたってことだ。

一本南の通りを東に折り返すと、布袋駅に戻る。

駅の裏手にレンタサイクルの看板を発見。行きしなに見つけていれば、もう少し楽ができたかもしれない。まあいいや。

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