しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

善光寺参詣(前編:本堂から経蔵まで)

長野市立長野図書館のすぐそばに善光寺がある。県庁所在地の大半は城下町だが、長野市は門前町なのだ。長野市にも松代城という真田氏ゆかりの城があるが、中心部からすこし外れたところに位置している。

門前町の県庁所在地は長野市だけかなと思ったら、検索して調べたところ宇都宮市と千葉市も、どうやらそうっぽい。ただしもちろん諸説あり。あと港町が意外と多かった(青森市、新潟市、横浜市、大津市、神戸市、長崎市、宮崎市)。さいたま市の旧浦和市は宿場町だそうだ。東京の特別区は市と同じだから、新宿区の都庁も宿場町に位置すると言えるかも知れない。

すみません、妙な収集癖、網羅癖を発揮してしまいました。だから市立図書館など官庁街から善光寺が近い、と言いたかっただけです。

 

これは市立図書館の最寄りバス停である「花の小路」。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20190620/20190620133751.jpg

 

バスを降りたところで目に飛び込んできたのが、こんな商店だった。紙屋?

f:id:watto:20190620133816j:plain

奈良の古い市街地である「ならまち」では、砂糖屋を見かけ 6月3日付拙記事 に写真を貼った。観光地ではこうした特殊な(?)商店が生き残れるものだろうか?

 

その右隣にあった店。2枚上の写真にも提灯が写っている。なんだこれ?

f:id:watto:20190620133850j:plain

 

この道をバス進行方向に向かって直進すると、善光寺の参道に足を踏み入れる。

f:id:watto:20190620141354j:plain

 

案内板。善光寺に隣接する長野県信濃美術館・東山魁夷館というところにも行ってみたかったけど、残念ながら改築工事中だった。

f:id:watto:20190620141423j:plain

 

石畳の参道を直進している。

f:id:watto:20190620141506j:plain

 

説明書き。

f:id:watto:20190620141438j:plain

弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。改行位置変更しています。ルビがある場合は省略します。以下同じ。

史跡 善光寺参道(敷石)
  平成九年四月一日指定
 善光寺参道(敷石)は、宝永四年(一七〇七)、本堂が仲見世堂跡地蔵尊付近から現在地に移転竣工の後、七年目にあたる正徳四年(一七一四)に完成した。
 本堂普請の後、参道の路面状態が悪く、参詣人に難儀をきたしていたため、正徳三年、本堂前の敷石が腰村(西長野)西光寺住職単求の寄進により敷設、続いて境内入口の二天門跡から山門下までの二一八間(三九七メートル)が江戸中橋上槙町(現日本橋三丁目)の石屋香庄(大竹屋平兵衛)の寄進によリ敷設された。(墓碑銘・大勧進日記)
 伝説によると、平兵衛は、伊勢出身で江戸で財をなしたが、長男が放蕩で家へ寄り付かなかった。ある夜、盗賊が入ったので、突き殺すと、それが我が子であったという。平兵衛は世の無常を感じ、家を後継者に譲り、巡札の旅の途中善光寺にきて、諸人の難儀を救うため敷石を寄付した。
 平兵衛は後に茂菅静松寺で出家し、享保一一年(一七二六)没した。平兵衛の幕は、静松寺と善光寺境内に今も残っている。その後も平兵衛の子孫は、敷石の修理をしていたという。
 敷石は、山門上が幅四間、山門下から二天門跡までが幅三間で、長方形の石が規則正しく敷かれている。西長野郷路山産の安山岩製で総数七七七七枚といいならわされているが、現在およそ七千枚が敷設されている。一部補修をうけているが、大部分は当初のままで、これはどの規摸を持つ中世以前の敷石の参道は、全国的にも稀である。
  平成九年四月五日
    長野市教育委員会

仲見世堂跡地蔵尊は少し後で出てくる予定。

 

もうちょっと進んだところにあった灯篭。

f:id:watto:20190620141543j:plain

f:id:watto:20190620141551j:plain

この説明書きはOCRにかからなかったので手起こしした。

善光寺参道に灯篭を復元建立する事業
  長野市景観賞受賞(平成二十一年十一月)
 善光寺より長野駅まで続く四十八基の灯篭は、昭和十一年のご開帳時に建立された春日灯篭を蘇らせ、「門前町長野の歴史と文化」の再興を願い、建立されました。
 阿弥陀如来様の四十八願に因み建立された四十八基の灯篭の石板には、奇数に善光寺大勧進 小松玄澄貫主様、偶数に善光寺大本願 鷹司誓玉上人様のご真筆が刻まれております。
 仁王門北東に第一願を、北西側に第四十八願として、善光寺に始まり、善光寺に帰ることで、お浄土にいけるよう願うものです。
 灯篭の火袋には、「ながの灯明まつり」の入選作品が飾られております。
 完工にあたり、善光寺並びに長野市はじめ地元区・商店街のご協力と、全国五千六百余の皆様のご寄付に感謝申し上げますと共に、平成十七年有志の立ち上げから今日まで、様々な苦楽を共にして来た皆様に心よりお礼申し上げます。
 平成二十四年三月吉日
   善光寺参道に灯篭を復元建立する会
      会長 加藤久雄

 善光寺は無宗派(全宗派)と言うものの天台宗と浄土宗の共同管理で、大勧進は山門のそばにある天台宗貫主の居所、大本願は仁王門のそばにある浄土宗法主の居所だそうだ。

 

写真の進行方向にちらちら見えていた仁王門にたどり着いた。

f:id:watto:20190620142105j:plain

f:id:watto:20190620142113j:plain

仁王門
現在の仁王門は、当県山形村の永田兵太郎をはじめとする全国信徒の篤志により、大正七年(一九一八年)に再建されました。間口約十三メートル、奥行約七メール、高さ約十四メートル、屋根は銅瓦葺です。
仁王像および背面の三宝荒神像・三面大黒天像は、近代彫刻の巨匠高村光雲と米原雲海の合作です。「定額山」の額は伏見宮貞愛親王の御筆によるものです。

背面の三宝荒神像と三面大黒天像の造形がたいへん面白いものだったが、往路ではうっかり見逃してしまい、帰途でじっくり拝観した。

 

暗くて見えにくいけど、2枚上が阿形、こちらが吽形である。

f:id:watto:20190620142126j:plain

 

仁王門を通り過ぎた左手にあった旧如来堂跡地蔵尊。仁王門から山門までを仲見世通りと言うらしい。

f:id:watto:20190620142317j:plain

f:id:watto:20190620142330j:plain

旧如来堂跡地蔵尊
善光寺本堂は、古くは「如来堂」と呼ばれ、皇極天皇元年(六四二年)の創建から元禄十三年(一七〇〇年)までの間はこの場所にありました。この地蔵尊は、旧本堂内の瑠璃壇(ご本尊・善光寺如来さまをご安置した壇)の位置に建てられています。

 

山門。

f:id:watto:20190620142515j:plain

f:id:watto:20190620142524j:plain

こちらは文字起こしは見送りました。

 

貰った絵地図の一部をスキャンして貼ってみよう。

f:id:watto:20190622193903j:plain

 

山門手前の右側にあった六地蔵。絵地図の丸数字(11)。

f:id:watto:20190620142600j:plain

f:id:watto:20190620142610j:plain

六地蔵
六地蔵は、われわれ衆生が輪廻を繰り返す六つの世界(六道)に現れ、迷いや苦しみから衆生を救ってくださる菩薩です。向かって右から、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界の地蔵菩薩です。
地獄界の地蔵菩薩が蓮台から片足を踏み出しているのは、一刻も早く衆生を救いに行こうというお気持ちの顕れだと言われています。

 

濡れ仏と言うのだそうだ。絵地図の丸数字(12)。地蔵尊像が多いな。善光寺の本尊は阿弥陀如来のはずだけど、なぜだろう?

f:id:watto:20190620142747j:plain

f:id:watto:20190620142759j:plain

濡れ仏 重要美術品
享保七年(一七二二年)に完成した、高さ約二・七メートルの延命地蔵菩薩座像です。六十六部(日本全国を行脚する巡礼者)の供養のため、法誉円信が広く施主を募って造立したものです。
江戸の大火の火元として処刑され、のちに歌舞伎や浄瑠璃の題材となった「八百屋お七」の冥福を祈り、恋人の吉三郎が造立したという伝説もあります。

 

山門に接近。登楼している人がいた! 私は帰途に上りました。

f:id:watto:20190620142821j:plain

f:id:watto:20190620142847j:plain

山門(三門)重要文化財
寛延三年(一七五〇年)に完成した、二層入母屋造りの門です。間口と高さは約二十メートル、奥行は約八メートルあり、屋根はサワラの木の板を重ねた栩葺です。上層には仏間があり、文殊菩薩像・四天王像・四国八十八ヵ所尊像などが安置されています。楼上に懸かる「善光寺」の額は、輪王寺宮公澄法親王の御筆によるもので、字の中に五羽の鳩の姿が見えることから「鳩字の額」と呼ばれています。

 

本堂。

f:id:watto:20190620143001j:plain

f:id:watto:20190620143332j:plain

 善光寺本堂
    国宝
善光寺の本堂は、皇極天皇元年(六四二年)の創建以来十数回の火災に遭っており、現在の建物は宝永四年(一七〇七年)の再建です。間口は約二十四メートル、奥行は約五十四メートル、高さは約二十六メートルあり、江戸時代中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。
本尊を祀る仏堂に、参拝者のための礼堂が繋がった特殊な形をしており、棟の形が鐘ををくT字型の道具・撞木に似ていることから「撞木造り」と呼ばれます。国宝建造物の申では東日本最大、槍皮葺建造物の中では日本一の規模を誇る広大な建物です。
床下には約四十五メートルの暗闇の回廊があり、秘仏のご本尊・善光寺如来さまと結縁する「お戒壇めぐり」をすることができます。

 

内陣(本尊前)への入場と戒壇めぐりは有料だった。本堂(絵地図の(1))、山門登楼(2)、経蔵(3)、それに日本忠霊殿・善光寺史料館(4)入場券と共通券で1000円だった。個別の入場券も買えるけど、あとから考えると共通券を買って損はないと思った。

 

ただし本尊は絶対秘仏だから見ることはできない。戒壇めぐりも実は20年以上前に一度やったことがあって、どういうものか知っていたから、今回はお参りするだけでもいいかなと思ったのだけど。

 

本堂内部は撮影禁止なので写真はありません。

本堂前を左に折れたところにある経蔵。

f:id:watto:20190620143418j:plain

f:id:watto:20190620143522j:plain

経蔵 重要文化財
宝暦九年(一七五九年)に完成した、経本の収蔵庫です。間口・奥行は約十一・五メートル、高さは約十三・五メートルです。
中央には八角形の回転式輪蔵があり、元禄七年(一六九四年)に寄進された鉄眼黄檗版一切経の経本が納められています。輪蔵の腕木を押して一回転させると、中の経本を全て読んだのと同じ功徳が得られると言われています。

これは異議ありで、一切経の全巻読破は難しいかも知れないが、現代語訳でちょっとずつでも読んだ方が面白いと思う。

  

f:id:watto:20190622210753j:plain

   輪蔵
 八角形をしたこちらの輪蔵には、仏教経典のすべてを網羅した大蔵経が納められています。
この輪蔵を回すことによって大蔵経を読んだのと同じ功徳が得られると言われています。
 善光寺の輪蔵に納められて大蔵経は江戸時代の僧、鉄眼道光によって開版されたもので特に鉄眼版大蔵経(一切経)と呼ばれています。

 正面の彩色像は輪蔵を考案した傅大士という人物だそうだ。

 

これは経蔵の北側、本堂から日本忠霊殿に向かうL字型の小径沿いにあった灯篭。

f:id:watto:20190620143801j:plain

f:id:watto:20190620143810j:plain

むじな燈籠
昔、下総国(現在の千葉県)のむじなが、殺生をしなければ生きてい
けない自らの罪を恥じ、人の姿に化けて善光寺に参詣しました。
むじなは、善光寺に燈籠を寄進したいと願っていましたが、宿坊でうっかりむじなの姿のまま入浴していたところを人に見つかり、何処へか逃げ去りました。むじなを不憫に思うた宿坊の住職が、その願いを叶えるため、この燈籠を建てたといわれています。

 

木立ちの向こうに三重塔が見えてきた。日本忠霊殿である。

f:id:watto:20190620144020j:plain

この項、続く。

スポンサーリンク