🍉しいたげられたしいたけ

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岐阜市の雄総山護国之寺〔ゆうそうざんごこくしじ〕に参拝

約一ヶ月ぶりの、実家の身内からの要請である。前回はこちら。

www.watto.nagoya

 

曇っていてあんまり暑くない日だったから、どこか近場に行きたいと言い出した。雄総山護国之寺は名指しである。検索すると実家からは車で50分ほど。

なんでここかというと、なんでもご近所の戦没者の慰霊行事ということで、かつてはここへの参詣が年中行事化していたとのこと。

実家では祖父の弟、私から見て大叔父に当たる人が、大陸方面で戦死している。私が生まれる前だ。身内も顔を見ていないはずだ。

そんなで誘われても同行することは少なかったらしいが、近場でどこかということで、ここに思い当たったらしい。

なんだかわかったようなわからないような理屈だが(ネット語だとジョジョのポルナレフのセリフを引くところだな)、車とナビを使えばなんてことはない。仰せに従うことにした。

   *      *      *

本当は目的地に着くまでの経路がよかった。長良川の堤防道路を上流に向けて走ると、だだっぴろい平野からいきなり岐阜城のある金華山を始めとする山塊が迫ってきた。雨に濡れた初夏の緑が瑞々しかった。だが運転中なので写真を撮るわけにいかない。ナビの画像も流れてしまっていると思う。

そんなわけで、いきなり山門の写真から。

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立派な仁王さんがいた。向かって右の阿形。暗くて表情が見えないな。

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左の吽形。いつものスマホ写真なので、画質のほうはご容赦を。

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吽形の手前あたりに立っていた案内板。

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弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。改行位置、変更しています。ルビ省略しています。以下同じ。

雄総護国之寺(千手院)
聖武天皇の御代(西暦七百四十六年)に建立されたと伝えられている 天皇は国家安泰のために大仏建立を発願され、そこで僧行基は天皇の命令で全国に仏師を探し求めていたところ当時雄総の里に日野金丸という童子がいた。これを奈良東大寺に伴い大仏を鋳造させた。天皇は大仏の出来ばえがよく大変お喜びになり金丸に褒美として仏鉢を下賜された。
 仏鉢は今国宝となって当寺に残っている銅製鍍金で高さ十四・五cm 経二十七cm 鉢の外面は四匹の走獅子と宝相華 底には蓮の花が毛彫されている 天平時代の工芸品としては代表的傑作である
その後寺は衰微していたのを天正八年良啓和尚が再興し現在高野山に属している。なお寺には文化財が多く残っている。

 ルビ省略と言いながら、「雄総」は地名としては「おぶさ」と読み、山号としては「ゆうそう」と読むのは注意の要りそうなところ。

山門の目の前に「おぶさ」というバスターミナルがあったりするので、岐阜市民には馴染みのある地名のはずだ。

なお金丸〔きんまる〕という名前からは、手塚治虫『火の鳥・鳳凰編』の茜丸を連想する。  

火の鳥 5

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  • 作者:手塚治虫
  • 発売日: 2014/04/25
  • メディア: Kindle版
 

 

山門の左側が、参拝客用駐車場に至る坂道で、そのとっつきあたりに案内図が立っていた。日焼けして見づらかったが。

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本堂。ちゃんとお参りしました。本尊と思しき十一面千手観音座像が遠目に拝めました。無料パンフレットが置いてあったので貰いました。

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本堂右手の地蔵尊石像。

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上の写真左側の石段を上ったところにあった宝筐印塔と説明書き。

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  護国之寺の文化財
 護国之寺は高野山真言宗の寺院で通称は雄総観音。護国之寺に伝わる市内で唯一国宝に指定されている「金銅獅子唐草文鉢」の由来は「護国之寺縁起」(市重要文化財)によると次のようである。奈良東大寺の大仏造営を指揮する人物を聖武天皇の勅使が探している際、美濃国日野郷で金丸という少年が土で器用に観音像を作るところを見て都へ連れ帰った。金丸の大仏造営のための働きは素晴らしく、帰国にあたり聖武天皇から大仏供養に用いた鉢を授かった。鉢は仏前に供物を盛るためのもので、銅製で全面に金が塗られており、外面には獅子・宝相華文等が彫られている。県重要文化財の「塑像仏頭及び残欠」は金丸が制作した千手観音と伝えられる。
 この他宝筐印塔、紙本著色鷹図六曲屏風が県重要文化財、楼門、奥之院、鎌倉から室町にかけての多くの仏画や大般若経が市重要文化財に指定されている。

平成十二年七月
  岐阜市教育委員会

 

本堂に置いてあったパンフレットをスキャンしたものを貼らせてもらおう。

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B4フルカラー四つ折りで、半分開いた裏面が境内絵地図だった。合わせ目の中央に筋が入ってしまうが、いたしかたない。

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完全に開いた内側の中央半分。カットした左右には、永代供養の広告や寺の歴史、年間行事などが載っていた。

案内文にあった国宝・金銅獅子唐草文鉢は、1月18日と8月18日の年に二度だけ公開されるそうだ。

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駐車場は宝筐印塔の向こう側にある。

だから実際には宝筐印塔→地蔵尊像→本堂→山門の順に見て回ったが、時系列通りだとなんとなく収まりが悪く感じたので、下界からの物理的配列の順番に写真と説明文を並べてみた。

さらに山上には、慈光霊廟と称する永代供養廟や奥之院、それに墓地などがあるそうだが、同行者が足弱なのでお参りは失敬した。

戦没者の供養は、どこでやっているのかわからなかった。

追記:

ツイッターに総雄山護国寺さんのアカウントから次のようなリプをいただきました。ありがとうございました。

こちらこそごめんなさい!
こういう場合、まず100%間違いなく身内の勘違いです(汗

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