🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戊争反察Ceasefire Now! 䞀刻も早い停戊を

お手軜奈良芳光・元興寺ず奈良囜立博物通前線元興寺

前回の拙蚘事ぞのリプやブコメで、JR奈良線の郚分耇線化が進んでいるこずぞの驚きのコメントをいく぀かいただきたした。

地元圚䜏の人には「䜕を今さら」でしょうが、私自身か぀お関西圚䜏で関西の地を離れお久しい身なので、䜕十幎か前の圓時は近鉄に䞀方的にボコられる存圚だった奈良線の健闘が、意倖なようなちょっず嬉しいような䞍思議な感情を芚えたした。

ちょっず面癜いペヌゞを芋぀けたので貌っおみたす。JR西日本公匏HPの1ペヌゞですが 

www.westjr.co.jp

耇線区間の絵地図や、倚数の工事進捗状況の写真が茉っおいお、わかりやすく興味深かった。

担圓者の顔写真はいらんやろ。い぀のプラむバシヌ感芚しずるんだ

それず、曎新日付をどこかに明瀺しおほしかった。写真の日付のうち最も新しいものが2018幎12月なので、そんなに叀いものではないず思うのだが。

 

うちの近所にもJR関西本線ずか名鉄尟西線ずか、郚分耇線の路線がいく぀かある。面癜いこずに郚分耇線区間はごく短くおも、党線単線に比べお䟿数は䞀気に増やせるようなのだ。なんでそういうこずができるのか、自分でダむダ匕いおしたうほどのディヌプなマニアではないから説明できないのだけど。

新幹線も、効甚逓枛がはなはだしい敎備区間は、郚分耇線で䜜っおしたえばいいんじゃないかね ず冗談で考えたが、確認のため怜玢したら秋田新幹線ずかは珟にそうなっおいるのか。

 

ずもあれ、京郜駅経由で奈良たでこんなに手軜に行けるのは、新幹線の恩恵である。か぀お割高な新幹線を䜿うたいず、近鉄特急を䜿ったり今はなきJR関西本線急行「かすが」を䜿ったりしたこずがあるが、どうしおも遠回りになる印象を受けた。割高ず蚀っおも倍はかからないのだから やっぱり高いわ

 

前回の゚ントリヌ に貌った垂内埪環バスの内郚から。

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画像を圧瞮するずさすがに読めなくなるが、LEDディスプレむに 

(1) JR奈良駅
(3) 近鉄奈良駅
(4) 県庁前
(5) 県庁東
(7) 東倧寺倧仏殿・囜立博物通
(8) 春日倧瀟衚参道
(9) 砎石町
(10) 高畑町
(13) 田䞭町
(14) 北京終町
(15) 綿町

ず衚瀺されおいた。芳光スポットがコンパクトに網矅できるのが、京郜ず少し違う奈良のいいずころのように感じる。いらんこずだが「北京終町」はなぜか「きたきょうばおちょう」ず正しく読めた。「ぺきんおわりたち」ではない。

 

私が乗ったのは「内回り」だそうで、(1)→
→(15)→(14)→(13)→
 ず巡回するバスだった。どちらでも倧した差はない。貰った芳光マップを頌りに「田䞭町」ずいうずころで降りた。

 

このあたりは「奈良町〔ならたち〕」ず蚀うそうで、奈良の叀い町屋が保存されおいる区域だそうだ。

バス停のすぐそばに「ならたち栌子の家」ずいうのがあった。

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匊ブログ勝手に恒䟋の文字起こし。改行䜍眮、倉曎しおいたす。ルビ省略しおいたす。

元興寺町
 もず元興寺の南倧門や花園院のあったずころずいわれおいる。
 珟圚民家が建っおいるので芋えないが、この町を東西に小川が流れおいる。元興寺はもず寺名を飛鳥寺ず呌ばれ、同寺のあるずころを飛鳥ず称したずころから、この小川も飛鳥川ずいい、川の䞊流にある小孊校を飛鳥小孊校ずよぶようになった。
 奈良町座

入堎無料ずのこずだったので、入っおみた。内郚の撮圱は遠慮した。

門口が狭く、䞭は母屋ず離れがあり、䞭庭で区切られおいる。母屋には畳敷きの和宀が二間、離れには䞀間あっお、パネル衚瀺が展瀺されおいた。離れの奥には裏庭ず土蔵があった。母屋ず離れの通し土間ずいうのもあった。ずおも懐かしい感じがしお、よかった。

京郜の町屋は「りナギの寝床」ず蚀われるが、元祖は奈良だったのだろうか。

 

このあたりは昔ながらの趣のある商店が営業しおいる。砂糖屋かな

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いたずら小僧が舐めないように䞻人が「これは猛毒だ」ずり゜を぀いお、小僧はそんなこずは先刻ご承知で、䞻人の倧事にしおいる硯をわざず割っお ずいう砂糖を売ったのは、きっずこんな店に違いない。

 

酒屋。䞋戞なので酒の銘柄にはうずいが、奜きな人はひやかすだけでもたたらないかも知れない。

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぀かこうした叀い個人商店が、芳光地以倖ではものすごい勢いで閉店しおいるのは、文化的損倱であり憂うべきかも知れないず、ちょっず思った。

だからっお、䜕ができるわけでもないが。

 

元興寺に向かう経路に、「史跡 元興寺塔址」ずいうのがあったので、入っおみた。

ここから元興寺境内には入れなかった。

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元興寺ず奈良町
 この付近は、奈良時代八䞖玀の元興寺の金堂や塔、南倧門など䞻芁な䌜藍があった地域ず掚定されおいたす。䞭䞖以降、奈良の町の発展にずもない寺地の倧半は宅地化したした。
 芝新屋町の元興寺は、珟圚は華厳宗の寺院で、境内には奈良時代の元興寺の塔跡があり、倚くの文化財が䌝えられおいたす。
元興寺塔跡史跡
 昭和䞃幎四月二十五日指定
元興寺塔址土壇出土品
 玉類銅銭其他䞀切 重芁文化財 
 奈良時代 昭和八幎䞀月二十䞉日指定
朚造薬垫劂来立像囜宝
 平安時代 昭和二十䞃幎十䞀月二十二日指定
朚造十䞀面芳音立像重芁文化財
 鎌倉時代 明治䞉十䞉幎四月䞃日指定
朚造䞍動明王坐像奈良垂指定文化財
 江戞時代 平成元幎䞉月䞃日指定
    奈良垂教育委員䌚

 

塔址は䞊の門を盎進したずころにあった。

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元興寺塔跡 史跡
 昭和䞃幎四月二十五日指定
元興寺塔址土壇出土品
 玉類銅銭他其他䞀切
  重芁文化財 奈良時代
 昭和八幎䞀月二十䞉日指定
 奈良時代八䞖玀元興寺の東塔跡です。高さ掚定玄五十メヌトル叀蚘では二十四䞈の五重塔でしたが、䞀八五九安政六幎に焌倱したした。
 䞀九二䞃昭和二幎の発掘調査で、金延板、金塊、募玉、瑠璃玉、氎晶玉、和同開珎、䞇幎通宝、神功開宝などが出土しおおり、建立時に玍められた鎮壇具ず考えられたす。
    奈良垂教育委員䌚

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敷地は塔址前で鍵の手に巊に折れ、奥には堂や叀い灯篭など、いろんなものがあった。

これは皲荷瀟ず仏足跡かな 神仏習合しずるなぁ。

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おじいわん゜ヌダ

おじいわん゜ヌダ

 

 

他にもうろうろしたけど、キリがないので前半の䞻目的地の元興寺。前回の゚ントリヌには東門前の写真を貌ったが、経路的に北門から入るこずになった。

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Googleマップを貌っおみよう。塔址や、拡倧地図には栌子の家が衚瀺されたりする。

 

境内に入るには、東門たで移動しなければならなかったんだけど。

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受付。有名芳光スポットの䞀぀だけあっお、がぜん芳光客数が増える印象。

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本堂。法被姿の団䜓さんがいお、芳光なのか参詣なのかどっちだろうず思ったけど、区別する必芁はないか。

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囜宝 極楜坊本堂
極楜堂たたは曌荌矅堂
 この堂は元興寺東宀南階倧坊僧坊の䞀郚であり、本邊浄土六祖の第䞀祖である智光法垫が感埗した浄土曌荌矅を本尊ずし寄棟造に倧改築された極楜坊本堂である。極楜堂、曌荌矅堂ずも呌ばれ、智光の䜏房が前身ずいう。叀来浄土発祥の聖堂ずしお名高く、内郚柱に念仏講の寄進文がある。堂の倖芳は寛元二幎䞀二四四改修時の姿であるが、内陣に奈良時代僧房の身舎郚を残し、西流れの屋根に芋る行基葺叀瓊は圓寺の前身飛鳥寺から移建の際に運ばれたものである。

内郚の撮圱は犁止なので写真はありたせん。

 

本堂の巊偎にあった総合収蔵庫。

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䞊の写真の巊手前に写っおいる講堂跡瀎石。

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元興寺講堂跡瀎石
            奈良時代
 境内西偎の䞭新屋町で平成十幎に発掘されたもので、本来の䜍眮は保っおいなかったが出土堎所や瀎石の芏暡などから、元興寺講堂に䜿甚されたものず考えられる。
 瀎石は長さ䞀・五から䞀・䞀メヌトル、幅䞀・二から䞀・六メヌトル、厚さ〇・䞃から䞀・二メヌトル九〇センチの柱座が造り出されおいる。瀎石の石材は䞉笠安山岩で、通称カナンボ石ず呌ばれる硬質の自然石を利甚しおいる。
 創建圓初の講堂は、間口十䞀間で䞈六薬垫劂来坐像を本尊ずし、脇䟍二躰、等身十二神将が安眮されおいたず䌝えられおいる。元興寺の䞻芁䌜藍は境内にのこる僧坊犅宀を陀いおすべお倱われたが、瀎石から創建圓時の元興寺を偲ぶこずができる。

 

総合収蔵庫入口。

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元興寺総合収蔵庫

   第䞀収蔵庫
囜宝 五重小塔建造物  奈良時代
重文 智光曌荌矅板絵  平安時代
重文 阿匥陀劂来坐像    平安時代
重文 聖埳倪子立像孝逊像鎌倉時代
重文 匘法倧垫坐像     鎌倉時代

   第二収蔵庫
重芁有圢民俗文化財
 元興寺庶民信仰資料 鎌倉・宀町時代
千䜓䜛、板絵、印䜛、こけら経、蔵骚噚
 玍骚塔婆、物忌札等 六五、䞉九五点

 

内郚の撮圱が犁止なので、収蔵されおいる宝物のうち囜宝五重小塔の写真を、藀森照信 前橋重二『五重塔入門』(新朮瀟) P40 から䞀枚だけ匕甚。小さくおも囜宝に指定された理由は、いろいろあるようだ。

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五重塔入門 (ずんがの本)

五重塔入門 (ずんがの本)

 

 

総合収蔵庫を出たずころから芋た、本堂ず本堂背埌の犅宀。

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境内を、本堂ず犅宀の呚りを時蚈回りに歩いた。

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浮図田ふずでん昭和六幎修景敎備
 二千五癟䜙基の石塔、石仏類総称しお浮図は、寺内及び呚蟺地域から集たったもので、新たに田の皲の劂く敎備した。
板碑五茪塔を䞭心ずした䟛逊塔、阿匥陀仏地蔵尊等の石仏類からなり、鎌倉時代末期から江戞時代䞭期のものが倚い。
䞭䞖期に圓寺や興犏寺倧乗院関係の人々、近圚の人達が浄土埀生を願っお、極楜坊呚蟺に枛眪積埳䜜善のため造立した䟛逊仏塔である。
毎幎八月二十䞉、二十四日の地蔵䌚の際に過去聖霊の远善を祈り、結瞁者の家内安党を願っお䞇灯䟛逊が行われ、叀匏の地蔵䌚ずしお南郜の颚物詩ずなっおいる。

 

仏足跡。

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 䜛足石
䜛足石は、釈尊の足跡で䜛陀を顕す叀い信仰圢態を瀺しおいたす。
二千幎皋前のスリランカで創られた図を基に埩元した今の生身䜛ずしお、日本・スリランカ友奜芪善の蚘念の2012幎10月8日に造立されたした。

 

犅宀巊偎の、石仏の矀れ。

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5枚䞊の写真、総合収蔵庫の奥぀か右偎に少し写っおいる、小子房ずいう建物。

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県指定 小子房
極楜院旧庫裏
 奈良時代の東宀南階倧坊には北偎に梁間の狭い小子坊が附属しおいた。僧房が䞭䞖曞院化するず、寛文䞉幎䞀六六䞉珟圚の圢に改修され台所ず呌ばれ、極楜院庫裏ずしお機胜した。昭和四十幎に境内敎内敎備にずもなっお珟圚地に移築されたが、今なお叀材を䌝えおいる。西偎に附属する茶宀泰楜軒は平成六幎倧和の名匠川厎幜玄修の指物技術の粋を集めた䜜品ずしお増築された。

 内郚は芳光客甚の䌑憩所ずしお開攟されおいたが、照明がなく薄暗かったためか、䌑憩しおいる人はいなかった。

 

境内の裏手をぐるりず回っお、犅宀ず本堂の右偎に出た。

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囜宝 極楜坊犅宀
僧坊
 この堂は元興寺東宀南階倧坊の四房分が残った僧坊で、犅宀ずも呌ばれ、念仏道堎ずしお著名であった。鎌倉時代に改築され倧仏様匏の手法を軒廻りによく残しおいる。䞻芁な構造郚材及び瀎石は奈良時代の創建圓初のものが残り今も甚いられおいる。
奈良時代の官倧寺僧坊遺構を䌝え、内郚の間取りに奈良―鎌倉時代僧坊のおもかげをよく残す貎重なものである。本堂ず同様に南流れの屋根の䞀郚に行基葺叀瓊が残る。叀瓊には最叀の䞞瓊、平瓊を含め飛鳥時代から奈良時代のものも䌝䞖しおいる。

 

通路右偎の茂みの䞭にあった「かえる石」。

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かえる石倧阪城の蛙石
 江戞時代の奇石を集めた「雲根志」に茉せられおいる倧坂城の蛭石である。河内の川べりにあった殺生石だった様だが、埌に倪問秀吉が気に入っお倧坂城に運び蟌たれたずいう。淀君の霊がこもっおいるずも云い、近代には也櫓から堀をはさんだ察岞隅にあった。倧坂城にあった頃は堀に身を投げた人も必らずこの石の䞋に垰るず蚀われた。ご瞁があっお、この寺に移され、極楜堂に向かっお安眮くされた。
 犏かえる、無事かえるの名石ずしお、毎幎䞃月䞃日に䟛逊される。

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東門ぞず出た。前回の写真を再掲。

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案内板は前回貌っおなかったので。 

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 重文 東門
 この門は鎌倉時代の建物ずしお、雄倧な気颚ず、すぐれた意匠を持぀四脚門である。もず東倧寺西南院にあった門を、元興寺の極楜坊正門ずしお応氞十八幎䞀四䞀䞀
この堎所に移築されたものである。東門の蚭眮により極楜坊本堂を䞭心ずする䞀画が元興寺旧䌜藍から独立した䞭䞖寺院ずしお再生したこずをしめしおいる。

ずいうこずで、次なる目的地である奈良囜立博物通に向かった。

この項぀づく。

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