しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを要求しない

岐阜県山県市の土岐氏にゆかりの深いという十五社神社と南泉寺に参拝

実家の身内からの要請に応じた外出ネタです。前回はこちら。足掛け3ヶ月ぶりだが、暑い間は身内もどっかに行きたいとは言いださなかったので。つことはこれから寒くなるまでの間、しばしば要請が出ることだろう。やれやれ。

www.watto.nagoya

 

今回は実家にポスティングされていたフリーマガジン中の記事が目に留まったらしい。

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こんなの。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』の影響であろう、県内各所の特集記事が載っていた。

山県市〔やまがたし〕

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無料生活情報誌『岐阜Sakura』10月号 P41 より。

弊ブログ勝手に恒例のOCRによる一部文字起こし。改行位置、変更しています。ルビある場合は省略します。以下同じ。

◆十五社神社
 平安時代に創建された神社で、土岐氏が氏神として崇敬してきました。1540(天文9)年には越前の笏谷石(しゃくだにいし)で作られた狛犬(市指定重要文化財)が土岐氏から奉納されており、狛犬の基底部には「天文九庚子年」「奉土岐氏神」と刻まれています。笏谷石は、当時越前から外にほとんど出回らなかったといわれており、越前の一乗谷に拠点を置いた朝倉氏と親交があったことをうかがうことができます。
[場所]山県市大桑2281
[料]無料
[問]山県市生涯学習課文化財調査室
≪電話番号:省略≫

 

同じく南泉寺。

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同上。

◆南泉寺
 南泉寺は、当時の美濃国守護土岐政房(まさふさ)が仁伷宗寿(じんしゅうそうじゅ)を招いて、土岐氏の菩提寺として開山しました。
 1551 (天文20)年には、「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」という言葉で有名な快川紹喜(かいせんじょうき)が住職となり栄えました。
 土岐頼芸(よりのり)の作と伝わる「鷹の画」や「土岐頼純(よりずみ)画像」(いずれも市指定重要文化財)などが所蔵されています。
[場所]山県市大桑2358-2
[料]無料
[問]山県市生涯学習課文化財調査室
≪電話番号:省略≫

地元の店舗情報とクーポン券ばっかりのフリーマガジンから、よく記事を見つけるもんだと思う。

 

とはいえ経路検索すると、実家から片道1時間ほどの距離だった。駐車場がちょっと心配だったが、車を出すことにした。

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十五社神社の参道。車がぎりぎり一台通れる山道だった。麓から神社までの距離は短かったが、もし対向車が来たら行き違いできそうな場所を探さなければならない。

幸い参拝者用駐車スペースは十分にあった。この幟の反対側あたり。

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上の写真で右の方の木立ちの奥に見えている社屋に接近。

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由緒書きや説明書きは接写することにしている。

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 金幣社 十五社神社 御由緒
一、鎮座地
 岐阜県山県郡大桑二二八一番地
一、御祭神
 天之常立尊 国常立尊 国狭槌尊 豊斟渟尊 埿土煮尊 沙土煮尊
 大戸之道尊 大苫辺尊 面足尊 惶根尊 伊弉諾尊 伊弉冊尊(神代七代)
 天照皇大神 天忍穂耳尊 瓊々杵尊 彦火々出尊 鵜草葺不合尊(地神五代)
 神日本磐余彦尊(神武天皇)若帯彦尊(成務天皇)応神天皇
 国の誕生から初代天皇までの神と源氏の氏神十五座二十柱の神が祀られている。
一、創建
 社伝には、天長三年(八二六)平安時代淳和天皇の御代、五月晴天俄に雲起こり、寒気極め、雷鳴天に響き、地震い、雹激しく降り、里人は驚き天の神に祈り奉った。翌朝唐松山の山頂より厳かな神のお告げがあり、里人は、急ぎ朝廷に請願し、美濃権守春原朝臣五百枝が社殿を建てて九月十九日「天神大明神」と称えて鎮祭したと伝えられている。
一、信仰
 「美濃国神名帳国神名帳」には「正四位下裁主明神」と記される古社で、古来から「盟神探湯の神事」を以って神異を伺う信仰が寄せられ、江戸末期まで盛んに行われていた。神事用の重量十五貫余の大釜が所蔵されている。
一、社号
 鎌倉時代、逸見又三郎義重氏は承久の乱の勲功により、後鳥羽上皇より大桑郷を賜り、当社を改築し崇敬した。お手植えの大杉が今も遺る。
 戦国時代、大桑に本拠を移した美濃守土岐頼芸は、当社を崇敬し本殿を改築して、源氏の氏神として知られる石清水八幡宮を勧請し、相殿に合祀して、「十五社大権現」と改称し奉った。そこで加藤與三右衛門を神主として祭祀に当たらせ、土岐氏の氏神として篤く崇敬した。
 江戸時代に至り、元禄十四年(一七〇一)五代将軍徳川綱吉は、代官辻六郎右ェ門守参に社殿造営係を命じ本殿(現存)を改築し奉った。文化九年(一八一二年)従三位岩倉具選は、朝廷の許を得て「十五社大神宮」と奉称し、皇室の安泰を祈願した、明治維新後、「十五社神社」と改称し、今日なお広く崇敬されている神威の高い神社である。
一、社格
 昭和十九年八月一日   「郷社」列格(戦前の社格)
 昭和五十四年三月二十日 「金幣社」岐阜県神社庁参向神社に指定
一、祭典
 例大祭  四月第一日曜日
 秋の大祭 十月第二日曜日
 歳旦祭 節分厄除開運祭 交通安全祈願祭 湯立神事
 忠魂神社慰霊祭 新嘗祭 大祓祭 月次祭
一、文化財
 御本殿 元禄十四年(一七〇一)造営 徳川綱吉敬白 市指定重要文化財
 狛犬 奉土岐氏神 天文九庚子年(一五四〇)刻銘 市指定重要文化財
 逸見杉 樹齢七八〇年 目通り廻り五、二メートル 市指定天然記念物

十五社神社という一風変わった社名の由来が、過不足なく説明されているように思われた。

なお祭神名のルビを省略すると興味が損なわれる気がしたが、ブログでルビを再現するのは煩雑なので失礼した。

神社に興味があるなら現代語訳でも一度は記紀に目を通しておかなきゃといつも思うのだけど、なかなかその宿題を果たしていない。イザナギ、イザナミって、いちばん古い神様じゃないんだよね。仏典のほうは、ちっとは読んだつもりだが…いや、そっちもぜんぜん足りてないかな。

 

由緒書きの隣の説明書きを、上下2分割で。

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  十五社神社本殿
(解 説)
 十五社神社の由来は、平安時代の天長三年(八二六)天変地異が起り、神々のお告げにより、里人が天神大明神として祀り、翌四年に天神山恵解寺を建てたといわれています。
 戦国時代、美濃国守護大名土岐氏は大桑城に移り館を構え、恵解寺は現在の南泉寺の場所に移し瑞応山南泉寺と改めたとされ、土岐氏の菩提寺となりました。土岐頼芸は神社の本殿を改築し、石清水八幡宮を勧請合祀して、十五社大権現と改称し土岐氏の氏神として篤く崇敬したと伝えられています。
 現在の社殿は、元禄十四年(一七〇一)に造営され、大工は岐阜大桑町の阿曽又四郎、吉田忠六郎と大桑村横山彦七郎であります。造りは、三間社、妻二間、切妻造、一間向拝付、桧皮葺の屋根に、向拝に軒唐破風をつけ、正面に千鳥破風を飾り、軒や板戸に繊細で華麗な彫刻を施した、厳かな社殿であります。
 造営を記した棟札が残されており、建築年代建築様式等、市内屈指の建造物でもあります。

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  十五社神社の狛犬
(解 説)
 囗をあけた阿形と、囗をつむった吽形の一対の石製狛犬があります。狛犬の大きさは、高さ二十三センチほどで、その基底部にそれぞれ次のように刻まれています。
 阿形「天文九庚子年」吽形「奉土岐氏神」
 天文九年(一五四〇)といえば、美濃国守護土岐氏が長良の枝広館から大桑に居城を移していた時です。土岐氏はかつて室町幕府を開いた足利氏が最も頼りにした一族であり、美濃・尾張・伊勢の三国を治めた守護でもありました。天文年間になると土岐氏はかつての栄華を誇れなくなっていました。その後十年あまり後には、斎藤道三によって滅ぼされますが、名家には違いありません。その土岐氏の誰かが、主家の安泰を祈って氏神である十五社神社に奉納したものです。
 石材は笏谷石と呼ばれる福井県に産する青みを帯びている火山礫凝灰岩石です。越前からの搬入品と思われます。狛犬の顔形・髪型、前足、基底部の造りなど、特徴のある彫刻の様式を持っています。岐阜県内にも何点か似た様式の狛犬があります。
  山県市教育委員会

この狛犬というのは、フリーマガジンに載っていた写真とあとで出てくる本社拝殿前に実際に建っていたものを見比べると別物のようだったが、さりとて土岐氏奉納の市指定重要文化財のほうの実物がどこにあるかは、わからなかった。

 

由緒書きと説明書きのさらに左側には、杉の巨木の根元に説明書きが。

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  十五社神社の逸見杉
(解 説)
 当社宮司加藤家所蔵の文章によると、清和源氏の嫡流新羅三郎義光から数えて八代目の孫逸見又三郎義ら氏)が承久の乱の折に大いに武勲をたてた。
 その功として、この一帯を領地として賜った折に記念として三本の杉を此処に植えた内の一本という。
 樹齢八百年といわれ、目通りの周囲五・ニメートル、樹高三十七メートルと巨木で極めて価値が高い。
  山県市教育委員会

 

駐車場まで引き返して、全体を見上げてみた。

スマホ写真の一画面に納まらなかったので、上下二分割で。手前の電柱が、よい比較対象になってくれている。

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ようやく本社拝殿。ちゃんとお参りしました。たまたまだけど、スマホ写真を撮るのに光線の角度が最高だった!

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拝殿に接近。

賽銭箱の左に黒いズボンだけの人影のようなものが写っているが…

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何かのカンバンとお供えの一升瓶がたまたま明るく写ってしまっただけで、心霊写真ではない。

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拝殿に奇麗なカラー印刷のパンフレットが置いてあったので、一部もらって帰った。

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パンフレットには、少し言い回しは違ったが境内の由緒書きと同じような内容などが載っていた(パンフレットは敬体、境内の由緒書きは常体など)。

境内の由緒書きはOCRにかかりづらかったので、本記事に載せたの文字起こしはパンフレットの文字をスキャンして境内の由緒書きに合わせて手直ししたものです。それ以外の説明書きの文字起こしはスマホ写真のOCRですが。

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南泉寺。十五社神社からは車で5分程だった。

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上の写真の左側あたりに参拝者、墓参者用の駐車場があったので、停めさせてもらった。

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なお「美濃守護 土岐氏 最後の居館 大桑城」という青い幟は、この周辺にいっぱい立っていた。

マップで調べたところ大桑城跡は、十五社神社や南泉寺から見て山と谷を一つずつ越えたもう一つ向こうの山の上にあった。 

 

二枚上の写真の右のほうに写っている所蔵文化財一覧。文字起こしは省略しました。

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山門。立派!

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歌碑が立っていた。

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本堂と、本堂前に立っていた石碑群。

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上の写真の左には鬼瓦が並べられていた。建て替えられる前の本堂のものだろうか?

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本堂。建ってからまだ新しいようだった。

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写真はないが、本堂の右側に庫裏があって、インターホンがついていた。頼めば文化財を拝観できたかも知れないが、同行者が嫌がったのでやめておいた。

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