しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

GWの京都・八坂神社と長楽寺は、つか京都はどこも、すさまじい人出だった(前編:八坂神社編)

前回のエントリーの補遺です。

京都経由で奈良に向かうに際し、代参のため猫寺こと称念寺に寄り道した。

その後まっすぐ奈良に行けばよかったが、たまたま乗った市バスが八坂神社前の祇園バス停にも停まるものだった。

前日に、このホッテントリを読んでいた。

天皇即位の時だけ開帳の秘仏 30年ぶりに公開 京都|archive.is

長楽寺というのを知らなかったのでぐぐったら、円山公園の裏手、八坂神社のそばだということがわかった。

 

私の現在の皇室に対する心情は「敬して遠ざける」 であり、意識して西暦を使うタイプなので元号に対する関心は薄い。だが趣味の一つが神社仏閣巡りであり歴史好きとして、歴史上の皇室(王家)には興味を持っている。

どんなところか、ちょっと見てみよう。見なきゃ始まらない。そう考えた。だがそれが間違いだった、というのが前回のおさらい。

 

どう間違いだったかというと、献本以外の自由時間を使い果たしてしまって、奈良を散策する時間がほとんどなくなってしまったのだ。

これまでと違って今回は、図書館を訪れる時間が閉館時間ギリギリになるということはなかった。県立図書情報館の閉館が 20:00、市立中央図書館の閉館が 19:00 と、遅めだったからだ。

しかし神社仏閣の閉門はどこもだいたい 16:00~17:00 くらいと早めなものだ。また、こんなものも見られるなら見ておきたかった。こちらも閉館は 17:00。

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まあいいや。決して遠くはないのだから、奈良は奈良でまた訪れよう。

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でもってGWの京都はどこも、すさまじい人出だった。路線バスからして四条通を経由するものだったが、車窓から眺めた通りの歩道がえんえん「京都のどこがそんなにいいんだ?」と言いたくなるくらいの人の多さだったのだ。このセリフくどいですね、すみません。

八坂神社の西楼門って言うんだっけ? 東山通に面した門なのだが、写真からでは人の多さの実感がよく伝わらない気がする。

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境内はずっとこんな調子だった。まるで初詣かお祭りだ。つか八坂神社の初詣やお祭り(あの祇園祭だぞ!)は、どんなことになるのか?

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摂社末社が多いのが目に留まった。それもけっこう立派な造りのものが。八坂神社に来たことは過去に何度かあるはずだが、なぜか記憶に残らなかった。

若い頃の私は面倒くさい奴だったので、神社や仏閣はすぐそばに行ってもわざと手を合わせなかった。

今はいろいろと考えが変わって、路傍の祠や石仏にも時間があれば手を合わせることにしている。なんでそうしているかという過去記事を一件だけリンク。一言で言い表せば「せめて形だけでも」ということである。今の方が面倒くさい奴かも知れない。

www.watto.nagoya

西楼門から入って、本殿を取り巻くようにだいたい反時計回りに。あえてザツに回ったので見落としがあると思います。つか「見落としなく」なんて考えたら、時間がいくらあっても足りない。ああ、我ながら面倒臭い。

 

太田社というのだそうだ。

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案内書きが新しくOCRと相性が良かったので、勝手に恒例の文字起こしをやってみる。

ルビ省略しています。改行位置変更しています。以下同じ。

太田社
  祭神 猿田彦神
      天鈿女命
 猿田彦神は天孫降臨に際して日神の使として先導の役割を果たした導きの神とされています。
天鈿女命は天照大神の天岩戸隠れに際し、岩戸の前で神楽を舞った神であり、天孫降臨にお供をして猿田彦神と対面してともに導き、宮廷神楽を奉仕した猿女君の遠つ祖であり、芸能の神とされています。

 

北向蛭子社

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北向蛭子社
 祭神 事代主神
 俗にエベッさんと称され、福の神、商売繁盛の神として崇敬されています。
事代主神は大国主の御子神ですから素戔鳴尊の孫神にあたります。
記録によると中古以来「西楼門内、北向きに立つ」とあり、古くから現在地にありました。
現社殿は正保三年(一六四六)の建造で国の重要文化財に指定されていまして、平成十年六月屋根(柿葺)葺替、塗替行いました。
一月九・十日、初えびすのお祭りは商売繁盛のご祈願で賑わいます。

 

大国主社。

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大国主社
  祭神
  大国主命
  事代主命
  少彦名命
 大国主命は、大己貴神・八千矛神その他多くの名をもち本社の
祭神素戔鳴尊の御子とも六代の孫とも伝えられます。
出雲の神さまで俗に「大黒さん」といわれる福の神であり、縁結びの神とされています。
事代主命はその御子、少彦名命は医薬の神で大国主命とともに国造りに励まされました。

 

ここまでが本殿西側。あとで公式HPの境内マップを確認したら、やはり見落としがあった。ごめんなさい(誰に謝る?

www.yasaka-jinja.or.jp

 

本殿。うわ参拝者の行列ができている!

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列に並んでお参りしました。これは本殿右手に貼ってあった説明書き。

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   八坂神社
祭神
 素戔嗚尊
 櫛稲田姫命
 八柱の御子神(八王子)
由緒
素戔嗚尊はあらゆる災難を意味する八俣大蛇を退治して櫛稲田姫命を救って地上に幸いをもたらした偉大な神で天照大神(お伊勢様)の弟神です。
平安時代以来、祇園精舎の守護神、牛頭天王と付会されましたが、私共の生活万般を守る地祇の代表です。その后神、櫛稲田姫命は暦に記されている恵方の神、歳徳神にほかなりません。このお二方より生まれた八王子は凶方をも守ってくださる神です。
京の町を疫病の災害から守るために発祥して、千百五十年にわたって受け継がれている祇園祭は当社の祭礼です。
毎年七月十七日、豪壮華麗な山鉾巡行や神幸祭(前祭)
二十四日、花傘巡行・還幸祭、を中心に各種の行事があります。

 

ここより本殿の東側。

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上側の説明書き。

忠盛燈籠
永久年間の頃(十二世紀)
白河法皇が祇園女御の許に赴かれようとしてこのあたりを通られた時、折しも五月雨の降る夜で前方に鬼のようなものが見えた。
法皇は供の平忠盛に討取ることを命じられたが、忠盛はその正体を見定めての上とこれを生捕りにしたところ、油壷と松明とを持ち燈籠に燈明を献ろうとしていた祇園の社僧であった。雨を防ぐ為に被っていた蓑が灯の光をうけて銀の針のように見えたのであった。
忠盛の思慮深さは人々の感嘆するところであったと云う。この燈籠はその時のものといわれている。

下側。

祇園社乱闘事件

 八坂神社(当時は祇園社)の境内で今から八六五年前に、平清盛に関わる乱闘事件がありました。
 時は久安三(一一四七)年六月十五日、祇園臨時祭(祇園御霊会、現在七月二十四日に行われている還幸祭の翌日に当たり、朝廷から奉幣が行われた)の日の事。
 中務大輔平清盛は心に秘めた宿願を果たさんと、祇園社に田楽を奉納します。
 この田楽を守護していたのが清盛の郎等逹、兵仗を帯び祇園社へと赴いた彼らにこの後思わぬ事態が待ち受けています。
 武装した彼らを見、祇園社の神人(下級神職)はその解除を求めます。しかし清盛の郎等はその要求を受け入れず、ついには乱闘へと発展、祇園社の権上座隆慶をはじめ負傷者まで出る始末。乱闘騒ぎは深夜にまで及びさらにこの後も尾を引きます。
 六月二十六日になって祇園社の本寺であった延暦寺はこの乱闘の事を訴えます。これに対し播磨守平忠盛は乱闘の下手人七人をすぐさま検非違使に引き渡します。事態はこれで収拾するかに思われましたが、延暦寺衆徒らの怒りは治まりません。
 二十八日、延暦寺の衆徒と日吉・祇園両社の神人は清盛と父・忠盛の流刑を訴え神輿を舁いて入洛しようとします。神々の神意の体現とされた神輿の動座を伴う強訴(神輿振り)は当時人々に大変恐れられていました。これに対し鳥羽法皇は「道理に任せ裁許する」と回答し、ひとまず彼らを帰山させます。
 しかし中々裁許は出ません。洛中には衆徒らが再び入洛しようとしているという声が頻繁に聞こえてきます。
 事件の実検などを行った法皇が、清盛の罪を決したのは八月五日になってのことで、その内容は贖銅(実刑に代わり銅を納めること)という軽いもの、忠盛・清盛と鳥羽法皇との関係の深さを物語る歴史の一幕でした。
 さて、乱闘事件の顛末では平忠盛・清盛父子を擁護した鳥羽法皇は、祇園の神に対する謝罪を何度も行っています。中でも久安四(一一四八)年二月二十日には法華八講が修され、これが当社における法華八講の初見となりました。
  平成二十四年壬辰記

 

大神宮社。

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大神宮社
皇室の祖先神であり八坂神社御祭神素戔鳴尊の姉神にあたります天照大御神(内宮)と、衣食住をはじめとした産業の守護神であります豊受大御神(外宮)をお祀りしています。
第六十二回式年遷宮による、伊勢の神宮の撤却材を以って修復し平成二十八年十月十六日に竣功しました。
 祭日
  春季祭四月十七日
  秋季祭十月十七日 

 

悪王子社。

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悪王子社
  祭神 素戔嗚尊の荒魂
悪王子の「悪」とは「強力」の意であり、荒魂は、現実に姿を顕わす、霊験あらたかな神の意であります。
諸願成就の御神徳で聞こえております。
元は東洞院四条下ル元悪王子町にありましたが、天正年中(一五七三~九二)鳥丸通万寿寺下ル悪王子町に還り、慶長元年(一五九六)四条京極に、さらに明治十年(一八七七)本社境内に移築したものです。

 

美御前社。

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 美御前社
  祭神
   市杵島比売神
   多岐理比売神
   多岐津比売神
美御前という名の通り、美を象徴する神として祭られています。本社の祭神、素戔嗚尊が天照大神と誓約(うけい)をされたとき、素戔嗚尊のもっておられた十拳剣を振りすすいで生れた三柱の女神で、宗像三女神といい、清浄・潔白の証となった神々で、俗に弁天さんといわれるのもこの市杵島姫の神です。古くから祇園の芸妓さん舞妓さんをはじめ美しくなりたい願望の女性はもとより理容・化粧品業者の崇敬を集めています。

 

美御前社の前にあった「美容水」。

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まだまだあったが、こんなところで。つか本殿北側にあった摂社末社は失礼してしまった。

 

道すがらの円山公園のツツジが盛りを迎えていた。

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観光案内図。

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マップをたよりに長楽寺に向かう道すがらにあった蕎麦店。

サンプル写真によると「にしんそば1200円」? 4月29日付拙記事 に書いた福井駅ホームのにしんそばは450円だったのに!

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書いているうちに、また妙なことを思いついた。なんとなく、自分が京都好きのくせに「京都のどこがいいんだ」とくさしたがることと、摂社末社にちゃんとお参りしようとこだわることには、共通の理由があるような気がした。

確かに京都は見どころが多く魅力的な街である。だがこれまでの書籍寄贈で訪れた福井市、大津市、静岡市、浜松市…等々もまた、どこも一日で回りきれないほど見どころがあり、方向性は違うにせよそれぞれに魅力にあふれる街であった。

なのになぜ京都ばかりに(奈良もそうかも)オーバーツーリズムに悩まされるほど観光客が集中するのか?

他の都市がけっして観光客誘致の努力を怠っているわけではないのに。そゆえば京都奈良の人力車はちゃんと稼働していたが、たまたま私が見たときだけかもだが 名古屋城金シャチ横丁 の人力車は車を曳かずにお茶を挽いていた(二度言うほどのギャグじゃない

 

なんつかその不条理感が、違うかもだが神社における本社と摂社末社の関係に似ているような気がした。本社に神さまがいるとしたら、摂社末社にも同じように神さまがいるはずではないのか? なんでみんなお参りしないの?(告白しちゃうと、私はいるとは思っていない。お参りするのは他人に対して礼を失しないのと同じつもりであり、お参りするときにはできるだけ頭の中を空っぽにしようと心がけている。自分の御利益を祈ったことはない。ただし代参のときは別。代参については過去記事で何度か書いているので繰り返さない)

一言で、一極集中に対する抵抗感と言えるだろうか。

 

さらに思いついた。鉄道だってそうだよね。在来線の特急や東海道新幹線のぞみ号以外の新幹線の自由車は、まあ座れるものだが、のぞみだけはそうはいかない。

新幹線を引いたからって成功するとは限らないんですよ >沿線自治体各位

いやリニア中央新幹線だけは、中央アルプスの残土・湧水はじめ技術問題をクリアしてめでたく開業できればだが、のぞみに取って代わる一極集中となるかも。

路線バスはもっと極端か。多重連結かと思うくらい増便している京都市バスは例外中の例外で、他の自治体はたいてい民間企業が撤退してコミュニティバスが空気を運んでいる。

 

一人だけで他人と違うことをやろうとしても意味は薄いが、いろんな街を巡り魅力を探そうとすることと、本社だけでなくできるだけ摂社末社にもお参りしようとすること、それに行く先々で路線バスに乗ろうとすることには、一極集中に抗おうという共通の心理があるような気がしたのだ。均す手段、平準化する方法があれば、とっくに誰かが試しているのはわかっているつもりだけど。ああ、やっぱり私は面倒くさい。

 

もうちょっと歩いたら、長楽寺への道標を見つけた。つかすごい数の案内板だ。

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1回で終わるつもりが、すでに 5,000字を越えてしまったので、ここまでを「前編:八坂神社編」とします。続きは「後編:長楽寺編」ということで。

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