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モミジの名所として名高い大矢田神社@岐阜県美濃市に参拝した

高齢の身内の無聊を紛らわすため、実家から遠くないお出かけ先をいろいろ検索して調べている。

「紅葉の名所」で検索したら、香嵐渓、犬山市の寂光院、養老公園などと並んで岐阜県美濃市の大矢田神社〔おやだじんじゃ〕というところがヒットした。

前三者は行ったことがある。寂光院と養老公園は過去記事にもしたことがある。だが大矢田神社は知らなかった。

www.kankou-gifu.jp

Googleマップを見ると山あいの立地で、足に不安のある身内にはつらそうだ。

だがブログネタにはなるだろうと思って、単独行した。

 

鳥居の右側に白く見える案内板を接写した。

弊ブログ勝手に恒例、Googleレンズによる文字起こし。

 大矢田神社関係
  指定文化財一覧
国指定重要文化財
 大矢田神社本殿・拝殿 江戸・寛文十二年
国指定天然記念物
 楓谷ヤマモミジ樹林 九十.三a
国選択 記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財
 大矢田のヒンココ
県指定重要文化財
 釈迦十六善神図      室町時代
 梵鐘(禅定寺、明応三年銘) 室町時代
 梵鐘(青柳社、大永三年銘) 室町時代
市指定重要文化財
 大矢田神社楼門 江戸・享保八年
 阿弥陀如来坐像 室町時代
 弘法大師坐像  室町時代
 大般若写経   室町時代
 兜       室町時代
  美濃市教育委員会

 

鳥居の左側、灰色の石刻による由緒書き。

ええっ、Googleレンズ、こんな画像データでも文字起こししてくれるの!?

さすがに誤変換は目立ったが、手動で一から手起こしするのに比べたら手間は雲泥の差だから助かった。

改行位置、変更しています。

 金幣社大矢田神社由緒
御祭神
  建速須佐之男神
  天若日子神
  阿遅志貴高日子根神
 大矢田神社は上古、人皇第七代孝霊天皇の御代の創祀であり、元正天皇の養老二年(七一二)、釈泰澄大師が当社に参籠して篤く尊仰し、天王山一山を開基した。広大な堂塔伽藍を建立して天王山禅定寺と称して頗る盛観をきわめた。七堂伽藍は、極楽訪、常泉坊、岩蔵坊、寶積坊、本地堂、薬師堂、 寶堂、鐘楼堂、護摩堂等にて、社頭は牛頭天王社と称して、里人達は、「お天王さま」の名で親しみ遠近の人から篤く尊仰されていた。
 聖武天皇の御宇、天平七年疱疹が流行して天下悉く悩乱した。時に天皇様は当社に勅命を下されて、御祈願を為し給うた。この時勅使下向して、「下馬札」を賜った。現在尚大切に保管されている。その後社領七十石を附された。応永年間には将軍家臣村上若撲守源氏重は当社を篤く尊信して武運祈願のために大般若経を書写して奉納した。現在も美濃市重要文化財として保存されている。
 後奈良天皇の弘治二年(一五五六)、兵乱が起こり類火に罹って一山残らず焼失した。その後永禄二年(一五五九)、仮の本殿・拝殿が建立され、その後長き年月に亘って、社殿・仏堂等を再建し、霊元天皇の寛文十二年八月(一六七二)、釈迦堂跡に現在の本殿が再建された。総欅造極彩色、流造檜皮葺正面千鳥破風唐破風付きの建物で、平成元年五月には国の重要文化時に指定された。
 当社境内は古来「やまもみじの樹林」を以て其の名が高く昭和五年十一月には文部省の天然記念物の指定を受けた。享保八年の記録によれば、東山天皇の元禄年中に尾張藩老中玉置市正が、当社に参拝し、紅葉の美麗なる枝を折りて尾張大納言に献上することがあった。大納言は大いに嘉納せられ、以降尾張藩の当社への崇敬更に篤く、寛文の本殿再建にあたっては唐破風の正面ならびに三百九十二本の垂木の端には、葵紋章を符する事を許されている。
 当社には一社伝来の古式の「ヒンココ祭」があり、五百年の伝統を以て盛んに伝承されて来た。そのお囃子は、「日の御子天皇様・御皇室の弥栄えを祈る」氏子の切なる祈りの心を歌った「ヒンココ・チャイココ・チャイチャイ・ホーイ」である。
 弘治の兵乱に一山流失後は、次第に衰微して、ついに極楽坊と常泉坊の二坊が残って明治維新を迎えた。 
 明治元年神仏分離の大命を拝して、仏堂等を悉く廃して 旧牛頭天王社を大矢田神社と改称し、明治六年美濃国第八大区第九小区の郷社に列せられた。
 昭和二十一年十月五日宗教法人令による宗教法人となり、昭和二十七年一月十六日宗教法人喪山天神社華堂神社及び青柳神社を合併し、昭和二十七年十二月十五日には、宗教法人法により大矢田神社を設立した。
 摂社青柳神社は美濃市大矢田一〇三九番地の一にあって、御祭神は大巳貴命を祀り、摂社喪山天神社は美濃市大矢田一二六〇番地の一の喪山にあって、御祭神天若日子命を祀り、摂社華堂神社は美濃市大矢田二五九七番地の一にあって、櫛稲田姫命を祀り、共に本社御祭神縁の神である。

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楼門。立派!

 

楼門前石段の右側には道路があり、駐車もできるようだった。

 

句碑。

 

左側の説明書き。

各務支考句碑
 羽裏こがるる
飛ぶ鳥の
  紅葉かな
   獅子老人
とぶとりの
 はうらこがるる
  もみじかな
   ししろうじん
 秋の紅葉の頃、木々の上を飛ぶ鳥の羽根の裏まで染めるような美しさと褒め称えた句である。
各務支考
 松尾芭蕉十哲の一人。
 出身は山縣郡北野村。(現岐阜市)
 獅子老人は支考が晩年に使っていた別号。

 

「夫婦樹」。

 夫婦樹
同じ根元から杉と桧が生育した大変珍しい樹です。
この夫婦樹に触れると家庭円満に、股の部分を撫でると子宝に恵まれると言われています。

 

見上げてみた。

 

左方に見える石段が、本殿への参道。

 

右方は迂回路だった。

説明書きを文字起こしする。上半分の白抜き文字の部分。

国天然記念物
やまもみじ樹林
境内には約3000本と言われるもみじがあり特に谷沿いには多くのやまもみじが自然に生育しており、全国的にも珍しく国の天然記念物に指定されています。

下半分の白地に黒文字の部分。

やまもみじ 
やまもみじは、葉がいろはもみじより一回り大きくふっくらとした形で黄色に色づくものが多い。
いろはもみじ
いろはもみじは、葉が小さく細かいので日が差し込むと一段と綺麗に見えます。赤や黄色に色づくものが多い。

全体的に紅葉ではなく黄葉が目立ったが、この説明書きのいう「やまもみじ」の方であろう。

 

2枚上の写真左側に見える石碑の説明書き。

 社頭紅葉といふことをよめる
神奈備の杜のもみぢを人なたをりそ
 明妙照妙とこそ神は見るらめ

河村有知郷(略伝)
 官制四年上知に生まる
 伊勢松阪本居春庭に就を学ぶ
 喪山考を著す
 安政四年六十五歳にて没

さっきの石板の由緒書きによると、尾張藩の家老は枝を切って主君に献上してるじゃないか、としょうもない突っ込み。

 

石段の参道のほうに戻って、太鼓橋と百度石、左方に太鼓橋の説明書き。

太鼓橋(神橋)
太鼓橋は神様が渡られる橋です
そして下を流れる谷川が結界と
なりこれを境に手前が俗世界、
向こう側が神域となります

 

橋の前の注意書きには「立入禁止 登らないでください」と書いてある。登れないと思います。

 

と言いつつ、石段自体も長いし急だし登るのはキツかった。

 

本殿目前、石段の左側に直毘の滝〔なおびのたき〕という滝があった。ただし水は細く、写真にはほとんど写っていなかったのが残念!

 直毘の滝
穢より清にうつる時に成坐る神が直毘の神であります 直毘の神の霊的発動をお祈りする滝であります
この水は祓の大神須佐之男命のご鎮座ご守護下さる清地 天王山の奥深く涌き出する浄水でございます
この滝にて人の心も身もきよまり大和心のふるいおこりて皇御国の守りとなることでしょう。

 

拝殿前の鳥居を、石段から撮った。

 

拝殿。

 

拝殿左側の摂社末社たち。三柱あった。拝殿右側には社務所があったが、写真を撮ってなかった。

 

上の写真の左側にあった伊勢神宮遥拝所。

伊勢神宮 遥拝所
 この方向の先約百二十キロメートルに伊勢の大神様が鎮座されています

 

右側の写真いちばん右奥の雄建神社〔おたけびじんじゃ〕。三柱の摂社末社で由緒書きがあったのは、ここだけだった。

雄建神社
(おたけびじんじゃ)
 御祭神 護国の神霊
日清・日露及び大東亜戦争における大矢田地区の殉国の英霊百十八柱をお祀りしています

 

拝殿奥の本殿と玉垣。紅葉に映えているあたり「さすが」感あった。

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帰途は石段ではなく、迂回路を下った。

迂回路のとっつきにあった摂社末社の「荒祭若宮神社」。

由緒書きは見当たらなかった。右方に見える「国天然記念物 やまもみじ樹林」は、さきほど貼ったものと同内容だった。

 

迂回路のそばにあった砂防ダム。でかい!

 

自生というヤマモミジは背が高かった。人手が入ってなさそう。入ってるのかな?

 

道すがら見つけたナンテン。実の赤さが、目に染みるようだった。

 

摂社末社の三社神社。説明書きあったが、力尽きたので文字起こしはパスさせていただく。

 

全体に紅葉より紅葉多めだったが、楼門のそば、駐車スペースまで戻ったあたりに鮮やかな紅葉が多かった。

 

最初に貼った鳥居の右手にあった稲荷社。

 

背の高いモミジが多かったが、このあたりに手の届く高さの枝があったので接写した。

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