🍉しいたげられたしいたけ

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スコ個展からの帰途阪堺電車に乗って住吉大社に参詣した

往路に大阪城を見に行くことは出発前に決めていたが、それ以外のスケジュールは未定だった。行き当たりばったりでいいやと思っていた。

スコ個展会場の「あべのま」さんに向かう道すがら、路面を走る阪堺電車が目に留まった。

そうそう、阪堺はまだ乗ったことがなかったのだった! ということで、乗ろうと決めた。乗ってどこへ行く? 普通に考えると住吉大社だよな、てなわけで後半のスケジュールが確定した。

私の中ではごく自然な思考回路だったつもりだが、他人の目にどう映るかは知らない。

 

「あべのま」さんからの阪堺最寄駅は阿倍野駅のようだが、一駅くらい歩くことにした。

なんなんだよ「消費税完納推進の街」って?

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松虫駅というところから乗車した。

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車内風景。路面電車に乗るのは久しぶりだったからシステムがわかりにくかったけど、下車するときに現金を料金箱に入れるという、昔ながらの方法を選択した。

乗車するときに交通系ICカードをタッチするだけでも、よかったようだ。

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住吉駅というところで下車した。Googleマップを見たら最寄り駅はもう一つ向こうの住吉鳥居前というところだったようだが、まあいいや。1駅くらい歩いた方が趣きがある、というのは決して負け惜しみでないつもり。

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マップで調べたら門前にアーケード街があるようだったので、そこを目指した。

なぜか有名なスーパー玉出があった。なんで有名だったんだっけ?

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初めてなのに、どこか懐かしいアーケード街。

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アーケードを抜けたところにあった源氏物語のレリーフ。

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弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。改行位置変更しています。ルビ省略しています。外国語表記がある場合は和文のみです。以下同じ。

OCRを使うことが多いが、これは手打ちした。

「真住吉し 住吉の国」は 万葉の昔から数多くの和歌や文学作品にその名をとどめている
 源氏物語澪標に描かれた明石上の悲しい恋もこの地が舞台である 船で訪れた明石上はなつかしい光源氏の華やかな住吉詣に出合ったが 再会することなくそのまま帰る
 中世の住吉は王朝貴族の住吉詣が多く 平安のみやびにつつまれていた この碑はかかる王朝をしのび 歴史を振り返り 郷土を愛するためのよすがである
 昭和五十七年四月吉日
 財団法人住吉名勝保存会 建之

 

さきほどのアーケード街の出入口を、振り向いて撮ったところ。「粉浜商店街」というらしい。

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向かいに南海電鉄の住吉大社駅があった。

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南海住吉大社駅の西側に住吉公園が、東側に住吉大社(と阪堺住吉鳥居前駅)がある。

最初、住吉公園を住吉大社の境内と間違えて、しばらく本社や拝殿はどこにあるのか探してしまった。

マップで見ると、住吉公園が緑地で、住吉大社は市街地と同じ色で表示されたから、目立つ方に行ってしまったのだ。

まあいいや、ちょっとくらい公園内をうろうろしたって、というのも決して負け惜しみでないつもり。

 

人気〔ひとけ〕の多い公園であったにもかかわらず、サギが何羽もいて、人を恐れるそぶりも見せなかった。人馴れしているのか神苑だからなのか、よくわからない。

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園内の歩道の脇にあった松尾芭蕉句碑。

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松尾芭蕉句碑
 升買て分別かはる月見かな 翁
 芭蕉は元禄七年(一六九四)九月九日、故郷の上野から奈良を経て大坂に入り、十三日には住吉の宝の市で名物の升を買っている。これはその翌日の句席での挨拶の発句。
 住吉の津は古くから海外貿易の拠点として栄え、定期的に市が開かれ、経済だけでなく文化の発展にも大きな役割を果たしてきた。宝の市はその名残りで、江戸時代には社前で売られる升を求める参詣人で賑わった。
 芭蕉は同年十月十二日、南御堂近くで没しているので、住吉詣でと、宝の市は生涯最後の旅で、ここがゆかりの地となっている。
 この句碑は元治元年(一八六四)芭蕉没後百七十年を記念して、大坂の俳句結社「浪花月花社」が建てたものである。
  (財)住吉名勝保存会

 住吉名勝保存会、大活躍だな。同会による案内板は、これから何枚も出てきます。

 

これもそう。

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汐掛道の記
 ここは昔、住吉大社の神事の馬場として使われた場所で、社前から松原が続き、すぐに出見の浜に出る名勝の地であった。
 松原を東西に貫く道は大社の参道で、浜で浄めた神輿が通るため「汐掛道」と称され、沿道の燈籠は代々住友家当主の寄進になり、遠近の参詣や行楽の人々で賑わった。
 古くから白砂青松の歌枕の地として知られ近世には多くの文人・俳人がここを往来し、大阪文芸の拠点の一つになっていた。
  財団法人住吉名勝保存会

そう言えばあとで気づいたが、住吉大社の紋(神社の場合は神紋と言うらしい)と住友グループの社章は、縮小表示するとそっくりだ。

 

ようやく間違いに気づいて、住吉大社を目指して駅方面に引き返した。

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「驛園公吉住」と表記のある古い駅舎が目に留まったが、どういういわれのあるものだろう? 案内板を探したが、見当たらなかった。

 

上の写真から右向け右すると、道端に立派な燈籠が並んでいた。

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住友燈籠の記
 古くからこの地を長峡と称し、海辺へ続くこの道は汐掛道と呼ばれていた。
 ここに並ぶ十四基の燈籠を始め、公園内の住友家の燈籠は、江戸時代から昭和初年にかけ、住吉大社正面参道である汐掛道に添って代々奉献されてきたものである。
 江戸時代の大阪は日本における銅精錬・銅貿易の中心地であり、その中核をなしたのが住友家であった。銅は主に伊予(愛媛県)の別子銅山から海路運ばれ、大阪で精錬され、日本の経済を支えていた。
 この燈籠も海上安全と家業の繁栄を願って寄進されたが、長い年月を経て、一部は移築され、また周辺の道路事情も変わったため、地元住民の意向を受け、新たな考証に基づきここに年代順に移転再配置した。
 天下の台所「大坂」を偲ぶ貴重な歴史遺産として、今後とも長く守り伝えて行かなけれなければならない。
 平成六年六月
  財団法人 住吉名勝保存会

 

住吉大社の一の鳥居に、ようやくたどり着いた。

阪堺住吉鳥居前電停は、この写真の右側あたりにあった。

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鳥居をくぐると、反橋の前で何かイベントをやっていた。

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これは南京玉すだれだったが、あとで木刀を使った演舞というか殺陣というかをやっているところも見かけた。

 

反橋の向かって右側あたりにあった境内案内図。

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反橋の左側には、こんな碑があった。

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住吉万葉歌碑
この歌碑は建立趣旨賛同の一般応募者や万葉愛好家および「難波万葉と古代を歩く会」会員など多数有志によって建立されたものである。
海浜の美しい景観と港の活況を誇ったこの住吉には、万葉人たちが住吉大社参詣の任務を兼ねて度々訪れ、数多くの万葉歌を遺した。その中から17首を採録し、併せて万葉時代を推定する住吉地形図を刻した。
また、港にふさわしい表象として古代船を配した。
この歌碑が万葉の宝庫である当地の新たな記念碑となり、多くの人に親しまれることをここに念願するものである。
なお、この台下に<30世紀へのメッセージ>を埋蔵する。
 平成3年(1991)5月5日

 

反橋を渡るのを遠慮すると、正面堀の端っこの方まで遠回りしなければならなくなった。なに遠回りといっても知れている。

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「誕生石」というのがあった。なんだろうこれ?

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正門、かな?

左端に見える木札は「寄進のお願い」。あとで気づいたのだが、境内には案内板が少なかったような。

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予備知識ぜんぜんなしに行ったのだが、まず本宮が4つあることに驚いた。

これが第一本宮。なんと結婚式をやっていた!

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横から。左が第二本宮、右の手前が第三、奥が第四本宮、だったはず。

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第三本宮(左)と第四本宮(右)を前方から。

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公式HP によると、これらは「住吉造」と呼ばれる独特の構造を持ち、四つの本宮すべてが国宝に指定されているとのこと。へぇ。

www.sumiyoshitaisha.net

 

境内はいろんなものがあった。これは垣の右側(南側)にはめ込まれるようにあった「おもと社」という摂社末社。内部に入れるようになっていたが、私は遠慮して入らなかった。

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えんむすび祈願の「侍者人形〔おもとにんぎょう〕」、夫婦円満祈願の「裸びな」を奉納される方は授与所にてお受けになり人形の背中に名前を書いて柵の中(殿内)に納めて下さい

内部を覗くと、「おもとにんぎょう」がびっしり、「裸びな」がいくつか奉納されていた。

 

授与所も見たが、写真は遠慮した。

「おもとにんぎょう」は、無人のおみくじ売り場にも置いてあった。こんなの。

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「裸びな」というのは、一対の薄桃色の人型で、大きい方が笏を持っているというもの。

授与所には「むつみ犬」というのも置いてあって、これは二匹のワンコが、その、きゃー!

 

住吉さんが海運の守護神だということは知っていたが、縁結び、安産、夫婦円満の神様でもあるということは寡聞にして知らなかったと言いたかったわけだ。

祭神の一柱である神功皇后の、腹に石を巻いて出産を遅らせたというすさまじいエピソードが縁起なのだろうか? 「安産石」なんて、いかにもそれっぽい。

 

垣内の手前右隅(南西の出入り口そば)にあった「撫でうさぎ」。

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住吉大社の神使(おつかい)
翡翠貴石 撫でうさぎ
五体を撫でて
 無病息災を祈る

 ウサギも多産のシンボルとされることと、何か関係があるのかな?

左側は「神井」と書いてあった。

 

摂社末社は垣の外側に多くあった。これは境内南西出入り口から出たすぐにあった「船玉神社」というところ。

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公式HPによると、船や飛行機の安全を守る神様なのだそうだ。

摂社 | 境内をめぐる | 住吉大社

 

向かって右(南方)にもう少し移動したところにあった摂社末社。扁額には「市戎社 大黒社」と書いてあった。

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ちなみに公式HPでは摂社と末社を区別し、さきの船玉神社を摂社に、この市戎社・大黒社を末社に入れていた。どう違うんだろう?

末社 | 境内をめぐる | 住吉大社

 

ということで、いろいろと謎が謎を呼び、あとで調べてみようという気を起こさせる神社であった。

難解だったのでなんかい電鉄で帰った、というダジャレはリアルタイムでツイッターにも流した。

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