しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

GWの京都・八坂神社と長楽寺は、つか京都はどこも、すさまじい人出だった(後編:長楽寺編)

もうGW残り少ないけど、ようやく「この情報を提供したかった」というネタにたどり着いた。とにかく行列が長かったのだ! 

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右下の拝観料の部分だけ、弊ブログ勝手に恒例の文字起こし

拝観料
大人八百円、中高生四百円。
(小学生以下のお子様については、
    保護者同伴につき拝観料は頂戴しておりません)
※拝観料は文化財の維持管理に充当されます
【お問い合わせ先】
    公益財団法人京都古文化保存協会

 

NHKが取り上げた効果もあってか、山門前はこんな調子だった。ツイッターにはリアルタイムで流した写真である。

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前に並んだ人が撮っていた説明書き。

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認識ミス多かったけど辛うじてOCRにかかってくれた。ルビ省略しています。改行位置変更しています。

長楽寺
 寺伝によれば、延暦二十四年(八〇五)桓武天皇の勅令によって伝教大師(最澄)を開基として創建されたと伝わる。当初は天台宗の寺院であったが、宝町時代初期に国阿上人が中興してから時宗に改められた。本尊に准胝観音を祀り、洛陽三十三観音霊場の第七番札所でもある。
 一条天皇の時(九八六~一〇一一)に巨勢国高という絵師が当寺で地獄変相の壁画を描いたことが今昔物語にみえており、文治元年(一一八五)安徳天皇の生母、建礼門院が僧印誓について剃髪されたところでもある。また法然上人の弟子隆寛がここに往み念仏を広めた。当時はこれを長楽寺流と呼ぶほどに世間に知れ渡っていた。昔は祇園や清水と並んで花の名所と謳われ、多くの文人や画家が訪れたところである。
 寺宝には、一遍上人像を含む七人の上人像(全て重要文化財)、一遍(宗祖)、真教(二祖)、一鎮(遊行六代)、尊明(遊行十三代)、太空(遊行十四代)、尊恵(遊行十五代)、暉幽(遊行十七代)の諸像や、健礼門院御遺宝、相阿弥作と伝わる庭園がある。また、境内山上の墓地には、江戸時代後期の歴史家頼山陽やその子頼三樹三郎、水戸烈士の墓もある。
  京都市

 

山門が見えてきた。だがまだ列は長い。

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長楽寺後山
水戸藩烈士の墓
 大場一真斉景淑
 原 市之進仲寧
徳川余四麿昭訓
 鵜飼吉左衛門知信
 鵜飼幸吉知明
水戸藩攘夷留名碑
 住谷寅之介
  外八十六名

 「長楽寺後山」の文字は、他の文字の上に横書きされていた。

 

チケット売り場。

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この案内書きは、さすがにOCRにはかからなかったので、手作業で文字起こしした。

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相阿弥作 庭苑
松久朋琳作「建礼門院像」
白本未知作「大原御幸」
文人名作書画写真展
  当寺初公開

 

 ようやく本堂にたどり着いた。

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参拝後に撮影したので時系列的には前後するが、本堂入り口右手にこんな説明書きがあった。

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京都市有定有形文化財 長楽寺本堂
 長楽寺の現在の本堂は、寛文六年(一六六六)に造営された愛宕郡西賀茂村(現在の北区西賀茂)の正伝寺仏殿を、明治二十三年(一八九〇)に移築したものである。正伝寺における造営は、日記によると、寛文六年正月十二日に「佛殿斧ノ初」とありこの時に木工事を始めたことがわかる。大工は「北山新蔵」であった。その後、同年三月十八日に「柱立」、三月二十二日に「梁上」と工事が進んでいる。
 建物は、桁行三間・梁行三間の身舎(本屋構造)の四周に庇状構造の裳階が付く禅宗様の仏殿である。内部は身舎を格天上、裳階を化粧屋根裏とし、床は土間とする。柱は丸柱で、石造の礎盤の上に立つ。身舎の柱筋の上には組物を密に配して、入母屋造・本瓦葺の屋根をのせる。須弥壇前の二本の柱は、身舎背面側の柱筋より半間ほど前方に立ち、柱間上部は透かし彫りの欄間をはめる。
 この本堂は、建築年代が明らかであり、京都市内では数少ない本格的な小規摸禅宗様仏殿の遺構として貴重である。
  平成十九年三月三十日指定
  京都市

 

本堂内部は撮影禁止だったので、写真はありません。秘仏の写真はNHKニュースのサイトに載っているので、そちらを参照願います。

天皇即位の時だけ開帳の秘仏 30年ぶりに公開 京都 | NHKニュース(archive.is)

本尊秘仏の他に、本尊厨子右側に御前立と弁天像(伝・伝教大師作)、左側に布袋像、徳川歴代将軍の位牌、法然上人像があった。さらに本堂左側の壁には、後水尾天皇の勅額なるものが掛っていた。

御前立は大きさ、外観とも本尊秘仏にそっくりだったが、後背がハリガネ状で地味だったことと、二頭の竜に乗っていなかったことが違いだ。なおなんで本尊が竜に乗っているかというと、最澄の乗った遣唐使船が暴風雨に見舞われたとき、最澄が念仏を唱えると海中から竜に乗った観音菩薩が現れ風雨を鎮めてくれたという伝説に基づくとのこと。堂内に説明係の女性がいて、参拝者にそんな説明をしてくれた。

秘仏と御前立を同時に見られるというのは、確かに貴重な機会だったと思った。

しかし説明によると、特別開帳は天皇の代替わりだけではなく他に何かのタイミングのときにもやると言っていたぞ。残念ながら聞き漏らしたが。そりゃそうだろう、これだけの観光客を集めるイベントが、前回は30年前、その前は60余年前なんてもったいない。

とは言うものの、これから書くとおり長楽寺の観光資源は秘仏だけでなく、通常時にも十分訪れる価値のある名刹だと思った。

 

本堂は正面から入って左側出口から出るようになっていた。

これは出口のところに立っていた案内板。

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しかし境内も、こんな調子だった。

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だが案内係の人によると、行列は右手側の「平安の滝(八功徳水)」方面と左手側の御朱印方面の二手に分かれており、上の写真で正面に見える建礼門院秘宝展に行く人は行列を飛ばして直接行っていいとのことだった。

 

私は御朱印は集めていないが、なんとなく平安の滝は見てみようと思った。

そっちに向かう行列がこれ。

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行列の途中で見かけた句碑。上の写真の手前あたりにあった。残念ながら読めない。OCR も無理だろう(そりゃそうだ

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二枚上の写真の正面手前あたりに見える「平安の滝」案内板。これは文字起こし断念せざるを得ませんでした。なんとか読み取って、後日テキスト追加するかも知れませんが。

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平安の滝。写真からだとよくわからないが、上のほうの細いパイプから水がしたたり落ちている。石垣に石仏が彫ってあって、柄杓で水をすくって右、前、左と水をかけるのが作法のようだ。つか行列の前方に並んでいた人がみんなそうしていたので、真似をした。

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大きな石碑。4枚上の左側に見切れている。

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説明書き。これも文字起こしは一旦断念。

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建礼門院秘宝展会場。

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春季特別展
 建礼門院秘宝展
  会場 拝観の方はどうぞ
  ご自由にお入り下さい
期間 四月一日より 五月十日まで
  午前九時より午後五時まで

展示されていたのは

安徳天皇御衣幡…安徳天皇の遺品の服を幡に仕立て直しものとのこと

建礼門院御影…源氏を憚って墨で塗り隠したとのことで、画面はほぼ真っ黒

安徳天皇御影…一人遊びをする幼子の像だった

安徳天皇御幡箱…御衣幡を収める箱で織田有楽斎の孫の長好が寄進したとのこと

恵心僧都作阿弥陀三尊…崇徳上皇の持念仏とのこと

それに、山門の案内書きにあった一遍(宗祖)、真教(二祖)、一鎮(遊行六代)、尊明(遊行十三代)、太空(遊行十四代)、尊恵(遊行十五代)、暉幽(遊行十七代)の七像、いずれも重文だそうだ。他にもあった。

これだけでも新聞記事になるくらい、珍しいものだったようだ。

www.kyoto-np.co.jp

 

山の斜面の広いとは言えない境内に仮設テントを立て、御朱印を発行していた。それでもこの行列だった。

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見どころはまだあった。足利義政に仕えた相阿弥作の庭園。案内書きにあった「文人名作書画写真展」というのも、この建物の中で行われていた。

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屋内は撮影禁止だが庭はOKとのことだったので、そんなに広い庭ではなかったが、何枚か撮らせてもらった。

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堪能させていただきました。秘仏開帳とかイベントのないときに、こういう隠れた名刹(?)を自力で発見できるといいのだが。とは言うものの観光客が多いと、それはそれで非日常感というか気分が高揚するものだが。

 

山門を出ようとしたところ。さらに列が長くなっていないか?

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スマホカメラのタイムスタンプを見たら、列に並んだのが11:59で、本堂前にたどりついたのが12:33だった。

Googleマップにモノサシを当てると、列の最後尾から本堂まで約80mほどだった。

待つ身は長いというやつで、思ったほどの混雑ではなかったのかも。

 

京都駅に行くため、バス路線のある東大路通まで移動した。

道すがらで見かけた祇園東山のシンボルとも言うべき大雲院の楼閣。マップには「銅閣寺」というふざけた(?)別称も表示されていた。私は知らんかったけど、有名なの?

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渋滞の東大路通をトロトロ走るバスと、歩道を歩いてバス停まで追っかけっこをした。

そんなで捕まえても京都駅までたどり着けるのかと心配ではあったが。

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東大路通から見えた八坂塔。時系列的にはこのあと 5月2日付拙記事 の後半(一つ目の「スポンサーリンク」の直後から)に続きます。

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