🍉しいたげられたしいたけ

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なぜコンビニの何倍もの数の神社があるのか

訳あってこの半年あまり、週末の半日ほどを費やしてお百度参りをしていた。あくまで勝手にやっていたことであり、別に用事があるときには遠慮なく延期していた。どうせかつては「深夜の怪しいジョギング」と称してジョギングをしていたし、足を痛めてからはウォーキングに切り替えていた。私のやることは何にせよ、あらゆる不純な動機を総動員して行動の契機としている。

2週間ほど前に、お百度を続ける理由がなくなった。さてどうするかと考えて、ウォーキングを再開しようと思った。

どんなことであれ、一時期中断していた習慣を再開するには手間がかかるものだ。ウォーキングの時間やコースをどうするかなど、ちょっとしたことで決めなければならないことが多い。ルーチン化する前に、以前から確認したかったことがあるので、それを済ませることにした。

お百度をやっている間は、いろんな考えが頭を通り過ぎて行った。妄念の類である。

その一つが、「なんでこんなにたくさんの神社があるのか?」という疑問であった。お百度を掛ける神社は、まずは徒歩圏内という縛りを設けた。意味のない縛りである。徒歩圏内に神社がなくなったら、自転車なりスクーターなりを使うつもりでいた。

けっきょく六社の神社にお百度をかけた。まだ徒歩圏内の神社が尽きたわけではない。その数は、同じく徒歩圏内にあるコンビニの倍くらいある。境内に何社もの摂社末社を持つ神社も少なくない。おそらくは明治期の神社合祀令により統合されたものだろう。それらを含めると、数はさらに増える。

「そういえば」と思い出したことがあり、今回はそれを確認に出かけた。以下にその次第を示す。

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拙宅からぎりぎり徒歩圏内の、幹線道というほどではないがやや交通量が多い道路から、何もないところにこんもりとした木立が見える場所がある。「ああ、社の杜だな」とピンと来るものである。

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本当になにもないということはない。周囲は果樹園と、区画式の菜園と、近くに事業所のある企業の重機置き場になっている。 

 

接近すると、こぢんまりとした祠がある。不思議なことに門柱も鳥居も見当たらない。だから神社の名前はわからない。Googleマップで付近をめいっぱい拡大しても、神社名は表示されない。

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だが雑草が刈り取られており、剪定されて新しい枝か幹が積まれている。人手が入っているのだ。

通りがかった菜園に作業中の人がいたから、神社の名前くらい尋ねておけばよかった。だが帰途にと思っていたら姿が見えなくなっていたのだ。

 

祠の左手には小さな石仏を収めた仏堂がある。『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』(岩波新書)のような本を読むと、地方によっては廃仏毀釈は熾烈を極めたところもあるようだが、わが東海地方は比較的緩かったようで、神社と仏堂が並んでいるところを、よく見かける。

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祠を正面から見たところ。左右に石碑がある。

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右側の石碑。

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碑文を接写。楷書体なので、辛うじて読めそうである。

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市内のことで、この社の存在はむろん以前から知っていた。石碑も雑になら以前に読んだ記憶があった。

今回はそれを文字起こししてみた。誤読したところがあるかも知れない。

明治甲辰二月日露好絶 大詔煥發宣戰中外於
是貔貅百萬海陸併進我郷相羽源一氏以陸軍歩
兵補充應召同年五月上陸于遼東半島爾来轉戰
各處屢有偉功同年九月遼陽南方高地之激戰奮
激突進負傷右前膊治療數日而愈再復戰列翌年
三月奉天附近李官堡之役挺身勇鬪以勵衆兵惜
夫殪于敵彈實厥六日也中隊長田村大尉及寄田
中隊長代理裁書寄父縷述其功績及模範兵之状
切致哀悼痛惜之意官録其功叙功七級勲八等併
賜金鵄勲章白色桐葉章以可知其殊勲矣郷黨追
念之情不能禁欲建碑傳之於後世故勒其事云爾
明治三十九年十二月  近藤麗撰并書

甲辰〔こうしん〕というのは干支で、明治甲辰というのは早見表を検索すると37年、西暦1904年とのこと。

貔貅〔ひきゅう〕というのは検索したところ、中国の伝説上の霊獣で転じて勇敢な兵士の異称とのことだそうだ。

李官堡之役の「李官堡」というのは地名で、旧奉天(現瀋陽市)北方43kmに位置する軍事的要衝との由。

云爾〔じうん〕は文章の終わりに用いる「これにほかならない」という意味の文字列だそうだ。

 

祠の左側の石碑。

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こちらも文字起こし。異字体が多く用いられていたので、断りなしに web で表示可能な字体に変換している。

明治廿七年夏雞林有事清國失禮干我
大元帥陛下赫而發宣戰之詔也尾張國愛知郡沓
掛村原田揔次郎者以其身尚在軍籍應招集入第
三師團歩兵第六聯隊十中隊加征清第一軍之列
自朝鮮跂渉清國満州凌祁寒隆暑能盡其任務遂
夷遼東全部之敵其功績可謂偉矣惜哉明治廿八
年七月二日凱旋途次以病歿于兵庫縣明石驛享
齢廿有八真宗大谷派法主特授法名號釋忠寳永
慰忠魂村民有志相謀建石以為紀念
 明治廿八年九月 真宗講師雲英晃耀撰

雞林〔けいりん〕というのは朝鮮半島の古称・美称である。

祁寒隆暑〔きかんこくしょ〕というのは、きびしい寒さと暑さという意味だそうだ。

浄土真宗の僧侶が神社に建てる石碑の碑文を撰している点においても、この地方の神仏分離のゆるさを感じてしまうのだが、それはまた別の話として…

 

日清戦争、日露戦争においては、後の太平洋戦争のような国家総動員というほどの大衆からの大規模な徴兵は、まだおこなわれなかったのだろう。石碑に名を刻まれた人たちは、おそらくはこの郷における名士か有力者の子弟だったのだろう。日本語に「ノブレス・オブリージュ」という言葉はなくとも、それに相当する概念は必ずや存在したことであろう。

ひょっとすると、遺族の子孫にあたるお宅は、現在もこの近辺にお住まいかもしれない。

想像ばかりが多くなるが、かの人たちの家族は地域での名望を集めていたため、社の建立、石碑の建立、およびそれらの今日に至る維持につながったのではないか。

各地に残る神社、神社の境内に集められた摂社末社は、さらに古い時代にさまざまな理由で非業に亡くなった人々を悼むために設けられたもので、それらがいわれを忘れ去られ、有名神社の名を冠されるようになりながらも、地域の人々によって維持されてきたのだろうか?

そこに、痛切な哀哭の存在を感じる。

愛する家族を失った人々は、何かをしないではいられなかったのだと想像する。神社を建てられる人は神社を建てたのだと思う。石碑を建てられる人は石碑を建てたのだと思う。

神社を建てることにより、石碑を建てることにより、彼らは慰められただろうか? 決してそうは思わない。むしろ彼らは、自らの悲しみ、苦悩、喪失感を、永く心に留めたいと望んだのではなかろうか?

そしてその背後に、神社も石碑も建てられなかった圧倒的多数が存在することもまた、想像しないでいることは許されない。神社や石碑を建てられるだけの力のことを、財力とか、権力とかいうものだろうか? なんとなくそぐわない気がするが。そうした力を持っていたとしても、持っていなかったとしても、哀哭の情になんら変わるところはなかったに違いない。変わりがあるわけがないのだ。

えてして真理というものは、言葉にしようとすると平凡極まりない言葉にしかならないことがある。しかしあえて言葉にせざるを得ない。

すべての命が、かけがえのないものなのだ。

それを認識するには、私の器量は、あまりにも小さいと感じる。ややもすると、厳粛な事実を受け止めきれずに、認識が上滑りして流れてゆく。

畏れること。悼むこと。敬うこと。

それを忘れないために、せめて形から入ろうと、合掌し礼拝する。

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)

神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈 (岩波新書 黄版 103)