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今月2度目のバズ御礼とちゃっかり神社関係の過去記事をいくつか宣伝

9月13日付 に続く今月2度目のバズ御礼です。9月16日拙記事 の1日当たりpvが1万3千を超えました。多くの閲覧をいただき、ありがとうございます。

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9/10を中心とするバズはグラフがなだらかな曲線でしたが、今回はピーキーなグラフを描きました。前回は 9/8付拙記事9/9付拙記事 があいついでスマートニュースさんに取り上げていただいたためと考えられますが、今回は主に「はてなブックマーク」からの流入だったようです。

前回のバズ記事に関連して、最近は「はてな」経由より スマニュ さん経由の流入の方が影響が大きいみたいな悪口を言ったので、聞こえたのかも知れません。

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「悪口が聞こえた」というのはもちろん冗談ですが、多くのぶくまをいただくのはありがたいことで、すべて大変興味深く読ませていただきました。アカデミックな雰囲気のコメントも多かったのですが、ポケモンGO や Ingress などオンラインゲームと結びつけたブコメも多くて「その発想はなかった!」と新鮮な思いがしました。

 

バズった調子に乗って弊ブログの過去記事を宣伝させていただくと、神社の由緒書きをネタにした記事は他にもいくつか書いています。例えばこちらの記事では、扁額に書かれた “元の祭神は「みずはめ神」(水神または水波売神)というイザナミのおしっこから生まれた水神だったが、近所の神社が諏訪大神を勧請したので、対抗上もっと強そうな鹿島の建御雷神と祭神を入れ替えた” という、何と言うか身も蓋もない縁起を文字起こししています。

www.watto.nagoya

その諏訪神社ものちに訪れ、神社のほとんどが普段は無人になっている現在において、市内では数少ない宮司が常駐しているその諏訪神社が、さきの鹿嶋神社の管理もおこなっているという状況も、記事にしたことがあります。

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この周辺の地域は、平坦で肥沃で農業に適した土地が広がっているわりには、付近に大きな河川がなく昔から灌漑に苦労をしてきたようです。農業用の溜め池が今でも多く残っています。だから「みずはめ神」のほうがご利益がありそうだった気がしますが、よそ者の考える大きなおせっかいというものかも知れません。

ちなみに濃尾平野の西方に向かって車をほんの一時間ほども走らせると、今度は日本有数の大河が絡み合うように流れている地域にたどり着くんですよね。そちらは「輪中」というのが社会科の教科書に載るくらい、昔からずっと水害に悩まされていた土地になります。私の実家はそのあたりにあります。

 

神社の名前に話を戻すと、摂社末社のほとんどが有名な神宮、神社の名前を冠している理由の一端を、うかがい知ることができるようにも思われます。

8月29日付の記事 に貼った自作の図の再掲ですが、拙宅から近い大脇神明社の摂社末社には、こんなふうに木札が掲げられていました。いろいろ事情があったことでしょうが、元々の神社の名前が失われること一つにおいても、なにがしかの損失があるような気がしてなりません。

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とまれ境内の石碑、扁額、由緒書きなどを読むだけでも、いろいろ興味深い気づきがあるのですから、もしいつか将来たっぷり時間ができて、各地の神社や寺院にお願いして保存されている古文書を読ませてもらったら、必ずやもっと様々な発見があるだろうという期待があります。

 

例えば三重県の多度大社には「多度神宮寺伽藍縁起並資財帳」という半紙一帖だが同社の国の重要文化財に指定された古文書があって…

www.tadotaisya.or.jp

その文書には、義江彰夫『神仏習合 (岩波新書)』の要約によると…

長きにわたってこの地方を治めてきた結果、いまや本来の神道からはずれて重い罪業に苦しめられ、神道の報いを受けるところにいたってしまった。いまこの桎梏から脱出したいが、そのためには永久に神の身を離れることが必要であり、仏教に帰依したい

上掲書p11〜12

という、神仏習合の起源ともいうべき重要な記述があるとのことです。神さまが「もう苦しくて神さまやってられね~から仏さまになりたい!」と託宣を述べたというのですね。

www.watto.nagoya

なおこの文書は、熱田神宮の新春特別展で実物を見るという幸運に浴することができました。

www.watto.nagoya

 

ただし国文科出身とかでない私は、楷書以外の文字は読めません。ちょうど今朝(9/18)の朝日新聞をパラパラとめくっていたら、歴史学者の呉座勇一氏のこんなコラムが載っていました。

digital.asahi.com

一部を引用します。

 では、史料を読むとは、どういうことか。まずは字が読めないといけない。そう、虫がはったような文字を見て、何と書いてあるか解読する作業である。あのニョロニョロした文字を「くずし字」という。最近は「くずし字」講座を開設しているカルチャースクールが少なくない。

 字のくずし方は時代によって異なる。江戸時代には青蓮院流が「御家(おいえ)流」と呼ばれ、行政文書などに用いられる公式書体になり、寺子屋教育などで一般大衆にも普及していった。少なくとも、幕府や藩の行政の末端を担う村の名主クラスなら立派な御家流で字が書ける。みな判で押したように画一的なくずし方をするので、御家流に慣れれば、江戸時代の公式文書はだいぶ読めるようになる。

 中世文書の場合、書体の画一化が進んでいないので、かなり個性的な字を書く人もいる。≪後略≫

う~ん…私もカルチャースクールに行くなり、北見花芽(id:KihiminHamame)さんのところで修行するなりして、今のうちに読める文書の幅を広げる努力をしておかなければならないかも知れません。

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