🍉しいたげられたしいたけ

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京都に「やみいち行動」の公演を観に行くのに大津から京阪電鉄を利用してみた(その3)

山科駅に戻った時点で午後2時を回っていた。遅い昼食をどっかで済まそうと思った。

なんとなく、京都に来たからには「天下一品」でラーメンを食べなきゃという気がした。でなきゃ「餃子の王将」だ。私の経済感覚は、貧乏学生だった頃とぜんぜん変わっていない。

しかしマップで調べると、天一も王将も、山科駅からは遠い。京阪三条まで出れば、なんとかなるかなと思った。

京阪京津線の御陵〔みささぎ〕から先が、京都市営地下鉄東西線と統合されて、路面電車区間が廃止されてからは、まだ乗ったことがなかったように思ったので、乗ってみた。

京阪三条で地上に出たのだが、周りに何もないのにちょっと驚いた。駐車場とバスターミナルくらいしか見当たらなかった。

高山彦九郎像。京阪が地上を走っていた頃は、駅やら歩道橋やらに囲まれて、窮屈そうだったという記憶がある。古い話だが。

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像の前にいるおっさんは、赤の他人である。全然どいてくれなかった。

スマホで天一を検索したら、新京極三条に店があることがわかった。遠くはないので、歩いてみるか。 

三条大橋を渡って…

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新京極三条。

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天下一品新京極三条店。チェーン店でいいんだったら、河原町三条には来来亭もラーメン横綱もあったんだけど。あとココイチもあったな。それからえーと…何でもあったぞ。

もっと言うと、あとで調べたら山科駅からだったら、京都薬科大学の前にある天一山科店まで歩く距離は、さして変わらなかったのだ。そういうことは、後になって気づくものだ。

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あっさりスープのギョウザ定食を頼んだ。中国人もびっくりの主食のオンパレード…ってのは 5月5日の記事 にも書いたな。

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ちょうどこの頃に、ダンボー(id:masanori1989)さんの、この記事が上がったのを携帯で読んで驚いた。ダンボーさんが訪れたのは20日だが。私のこのエントリーより、新京極周辺の様子がずっとよくわかる写真が掲載されていますので、よろしければご覧ください。

www.yuruiblog.com

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やみいち行動定期公演の開場は6:30p.m.だから、まだだいぶ時間がある。

次どこに行こうかと考えて、池のあひる(id:yuluttoKyoto)さんの、最近の記事を思い出した。新京極三条から四条大宮は、ちょっと距離があるが、バスの便はいっぱいあるのだ。四条大宮には「みぶ操車場」というのがあるせいか、行き先に「みぶ」と表示されるバスをやたらと見かける。

だから逆に、京都に住んでいた頃には、わざわざ四条大宮を訪れようという気は起きにくかった。

なお 池のあひる さんの記事には、私のこのエントリーより、四条大宮周辺の様子がずっとよくわかる写真が掲載されていますので、よろしければご覧ください、と今回も天丼芸。

yuluttokyoto.hatenablog.jp

バスの車内から。一番前の座席に座れたので。四条通って片側一車線しかなかったっけ?

あとで地図を調べたら、四条大橋西詰から四条烏丸までが片側一車線だった。

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四条大宮と言えば壬生寺だよね。しかしここもまだ訪れていなかった。

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案内板。

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みぶでら
 壬 生 寺
 鑑真和上ゆかりの律宗・壬生寺は、正暦二年(九九一)創建された。本尊の延命地蔵菩薩(重要文化財)をはじめとする多数の地蔵菩薩を祀っている。古来よりの地蔵信仰とともに、厄除・開運の寺としても知られ、二月の厄除け節分会は約九〇〇年もの歴史をもつ行事である。境内には、塔頭の中院や壬生狂言の舞台である大念仏堂(重要文化財)、千体の石仏を安置した千体仏塔など八棟のお堂がある。また、列仙図屏風(長谷川等伯筆・重要文化財)、室町時代の作を含む一九〇点の壬生狂言の仮面や仏像などの寺宝を今に伝え、万灯供養会〔まんとうくようえ〕などの年間法要や七〇〇年の伝統を持つ壬生狂言(重要無形文化財)は、毎年盛大に行われている。
 当寺の境内は、新選組が大砲や剣術・馬術の訓練をした場所として有名であり、壬生塚には近藤勇の胸像、芹沢鴨らの墓塔がある。池田谷騒動があったとされる祇園祭宵山の七月十六日には、毎年、慰霊供養祭が行われる。
 また境内地の一部を活用して、保育園や老人ホームが開設され、地域福祉事業を進めている。
 京都市

山門の右手にまたしても鳥居が建っていて、ちょっと驚いた。

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鳥居の向こう、鈴紐の左側に、案内書の張り紙があった。一夜天神堂と言うそうだ。

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いちやてんじんどう
一 夜 天 神 堂
 その昔、菅原道真公が筑紫へ流罪に処せられた時、この壬生の地に親戚を訪ね、一夜を明かし、別れを惜しまれたという伝説がある。
 江戸時代前期、壬生寺の支院・寂静庵〔じゃくじょうあん〕の開基、託願〔たくがん〕上人の夢枕に道真公が立たれ、壬生の地に道真公を祀るように告命されたという。そこで上人は、神像を刻み御社を建立して「一夜天神〔いちやてんじん〕」と名付けられた。
 現在の御社は、嘉永5年(1852)の再建であるが、ご神体は託願上人刻の一夜天神像が祀られ、御社前の石鳥居には「寛文十二壬子年(1672)」「託願建之」の文字が見え、当時の面影が偲ばれる。
 一夜天神は「一夜にして知恵を授かる」として、学業上達のご利益を伝え、一夜天神の御影を「一夜天神守」として授与している。
 また、一夜天神の向かって左には六所明神、同じく右には金比羅大権現が合祀されている。六所明神は壬生寺の鎮守、金比羅大権現は伽藍守護の神である。

   *       *       *

一夜天神堂の反対側あたりに、案内図があった。

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右上の部分だけ文字起こし。

壬生寺案内図
当寺は律宗総本山唐招提寺の末寺であり、古い名を地蔵院・宝幡三昧寺〔ほうどうざんまいじ〕・心浄光院などという。創建は正暦〔しょうれき〕2年(992)に三井寺(園城寺)の快賢僧都〔かいけんそうず〕が仏師定朝〔じょうちょう〕に地蔵菩薩像を造らせ、ご本尊とした。
 鎌倉時代に当寺を復興した円覚上人が正安2年(1300)当寺において大念仏会を修せられたが、これが現在の壬生狂言(重要無形文化財)の始まりである。
 昭和37年(1962)に本堂を焼失したが、昭和45年(1970)に再建された。
創建一千年を記念して千体仏塔や老人ホームが建てられ、開放された境内には幼児〔おさなご〕と共に老若男女が相集〔あいつど〕う寺として現在に至る。

   *       *       *

本堂。

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本堂の左手に、千体仏塔という建築物があった。

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案内書。

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みぶでら せんたいぶっとう
壬 生 寺 千 体 仏 塔
 平成元年(一九八九)に、当寺の創建一千年を記念して改築された。
 この塔の石仏は、明治時代に京都の都市計画の際に、市内各地から集められたものである。境内には、室町時代からの地蔵菩薩や阿弥陀如来、大日如来など三千体以上の石仏があるが、この塔にはそのうちの丁度一千体が安置されている。
 塔の形はミャンマー(ビルマ)に数多く見られる、パゴダを模している。
* 塔の上には上がれません。

   *       *       *

本堂の右手前にあるのが、阿弥陀堂という建物だ。

この建物を通り抜けたところにあるのが壬生塚らしい。壬生寺の案内板に書いてあった近藤勇の胸像や、いくつかの墓標があった。

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阿弥陀堂の案内書。

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あみだどう
阿 弥 陀 堂
 建保元年(一二一三・鎌倉代)に、平宗平〔たいらむねひら〕により創建された。
 本尊は阿弥陀如来三尊像で地階・壬生寺歴史資料室には、京都十二薬師第四番札所本尊歯〔は〕薬師如来が祀られている。
 江戸時代に前川五郎左衛門の尽力により復典されたが、御堂に倒壊の恐れが出たため、平成十四年(二〇〇二)七月、現在の御堂が完成した。

   *       *       *

阿弥陀堂を壬生塚側に通り抜けたところに、こんなポスターが。『銀魂』攻めとるなぁ。

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マガジンからは『この剣が月を斬る』。他に『ちるらん にぶんの壱』のポスターもあったが、写りが悪かったので載せられない。

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壬生塚には、こんな歌碑が建っていて、ボタンを押すと曲が流れるようになっていた。これだって「魔改造」には違いあるまい。史実とフィクションの関係って、どう捉えたらいいのかね? つか我々が「史実」というものを、どの程度理解できるのか、そもそも「史実を理解する」とはどういうことか、考えるほど難問ではある。

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阿弥陀堂の地下は展示室になっていた。数々の仏像や、壬生狂言で使われる仮面が展示されていた。新選組だけの壬生寺ではないのだ。

とは言うものの、壬生寺の周囲はこんな調子である。これは和菓子屋なのだが。

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京都は区画ごとに何かあるので、京都を離れてしばらくの間「京都ロス」とでも言うべきヘンな感情に襲われた記憶が蘇った。どこにいても、人が生活している限り、そこには歴史も文化もあり、少し調べれば何かを発見することはできるんだけど。

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バスで百万遍に移動。

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開場までちょっとだけ時間があったので、北白川周辺を歩き回った。

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疎水分流が、このあたりまで流れてきている。もうちょっと大文字山の方に歩くと、名高い「哲学の道」がある。

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天下一品 銀閣寺店。

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最後の残照を頼りに京大文学部東館が撮影できた。ここの1Fにある文学部学生控室(通称ブンピカ)が、公演会場である。

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