しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

京都のアマチュア劇団の公演を観に行く道すがら紅葉盛りの酬恩庵一休寺を参拝した

京都のアマチュア劇団「やみいち行動」から公演のお知らせのメールが届いた。「はてなー」では id:yarukimedesu さんが参加しているところである。これまでも、都合がつけば観に行っている。偉そうなことを言っても片手で数えられるほどだが。

web では、これかな?

第44回やみいち行動 ちはやふらない

何年か前までは年に二回定期公演をやっていたのだが、いつからか年に一回になり、しかもこれまでは一回につき三日間だったのが、今回は二日に減った。

団員がおっさんになって体力が低下したとか言ってるけど、京大出身者の多い劇団のこと、何人かがそろそろシャレにならんほど出世してるんだろうと、のっけから言わなくていいことを言う悪癖を発揮してみる。

 

京都は今月はじめに行ったばかりだけど、keroyon(id:zaihamizunogotoshi)さんの、こちらの旅レポを読んで、酬恩庵一休寺というところが気になっていたので、道すがら訪れてみようと思った。言及失礼します。keroyon さんのブログを読むまで、恥ずかしながら一休寺という寺があることさえ知らなかった。

zaihamizunogotoshi.hatenablog.com

今回のエントリーは一休寺のレポのみで、「やみいち行動」の感想は次回アップします。

 

名古屋から京都に行くにはいくつかルートがあるが、近畿日本鉄道を使うと一休寺最寄駅の新田辺が利用可能になるので、こちらを選択した。

近鉄は新幹線より割安だが、時間が3倍くらいかかる。料金と時間がバーターなのは常のことで仕方がない。

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いつものスマホじゃなく型落ちの安いコンパクトデジカメで撮ったのだが、画質はスマホカメラと大差なかった。コンデジだから、レンズをフエルトペンでガジガジ掃除するくらいしかメンテナンス方法がないんだけどな。ひょっとしてそれがいけないのか?

 

大和八木で難波行き特急から京都行きに乗り換える。大和八木のホームに立つと、なんとなく「空気が関西に変わった」という気がする。何がどう違うか説明はきわめて難しいのだけど。

ちょうどホームに上りと下りの電車が並んだので、撮ってしまった。最近読者登録していただいた方へ、このブログ主は軽度のテツを患っています。

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さらに大和西大寺駅で特急を降りて乗り換える。

おお、ここでも上りと下りの電車がホームで並んだ! 右側が乗ってきた特急である。

大和八木駅も大和西大寺駅も近鉄の拠点駅のはずだから、珍しいことではないのだろうか? 特に西大寺には近鉄最大クラスの車両基地があるのだし。さいだいじにさいだいの…

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折よく隣のホームに普通電車が待機していたので、スムースに乗り換えることができた。

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新田辺駅。急行も停車するようだったが、ろくに下調べしないで出かけたわりには順調に到着できたと言えよう。

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keroyon さんは目的地まで20分くらいかけて歩いたとのことだったが、直通ピストンバスなるものの看板を見かけたので、使ってみようかなと思った。

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新田辺駅前ロータリー。橋を渡る一休さんの像があった。

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ピストンバスではなく、たまたま来た路線バスが、一休寺そのものではないが「一休ヶ丘」という近そうな名前のバス停で停まるようだったので、そっちに乗ってしまった。

顔消し失礼します。

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バス停からスマホナビを頼りにちょい歩いたが、たいした距離ではなかった。

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一休寺総門。写真は撮らなかったが、駐車場へ入る観光バスや乗用車が列を作っていた。

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総門正面。おお、期せずして紅葉の盛りだったのか!

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門を入った右手に全景図があった。

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全景図の写真からじゃ文字が読めないから、例によって受付でもらったパンフレットをスキャナで読み取ったものから案内図のみトリミングして貼ります。著作権法で認められた四要件の範囲内のつもりですが、どっかから怒られたら消します。

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総門は案内図では右下隅に表示されている。その入ったすぐ右側に全景図があり、反対側に「一休和尚碑」という文字がある。それがこれかな?

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碑の右側の案内書を接写。

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勝手に恒例の文字起こし。

諸悪莫作(諸の悪を作すことなかれ)
衆善奉行(衆の善を奉行せよ)
これは一休和尚の筆になる七仏通戒の偈の中の詞白でお釈迦さまの弟子である阿難尊者の作といわれ意味は数かずの悪行をすることなく多くの善行をすれば自然に心が清く美しくなるというお釈迦さまの教えです。
(京都真珠庵所蔵墨跡より)
  昭和六十年一月建之
    一休酬恩会

ルビ省略しました。改行位置変更しました。以下同じ。

 

 参道から「三本杉」という文字の方向を見たところ。正面に受付があって、そこで拝観料500円を払い、前述のパンフレットをもらった。

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三本杉なるものの由来を示した案内書。

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杉をちょっとでも写そうとしたら、文字が小さくなった。

 三本杉の由来
三本杉は一休禅師御手植の杉として五百年のみどりを湛え一休寺の名物の一つであった。一説には一休禅師と蜷川新右衛門と蓮如上人とが一本づつ植えたとも言われている。ところが、次第に寿命尽きて衰色を現わしたので、惜しくも昭和四十年秋これを切りとり跡に、二世を植樹いたしました。

 

三本杉の手前を右に折れると、右手に「宗純王廟」すなわち一休禅師の墓所があった。

 

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 一休禅師墓所
一休禅師は文明十三年(一四八一)十一月二十一日 八十八歳で当寺で示寂されたがこれに先だって文明七年ここに寿塔を建立し 平素讃慕されていた宋の慈明・楊岐両禅師の名をとって慈楊塔と名づけられたのである。
今日の建物は法華堂と改称され内に卵塔がある前面の庭は茶祖村田珠光の作と伝えられ禅院式枯山水の様式で室町時代の古風をよく存している。
一休禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるのでこの一角は宮内庁の御陵墓として管理している門扉に菊花の章があるのもこのためである。

 

菊紋のついた門の左側には、宮内庁のこんな注意書きがあった。

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後小松天皇皇子
 宗純王墓
一、みだりに域内に立ち入らぬこと
一、魚鳥等を取らぬこと
一、竹木等を切らぬこと
  宮内庁

とんちでからかってみたくなったが、思いつかなかった(思いついたらやるのかよ? 


正面が本堂。右下に見える案内板に従って、方丈庭園に向かう。

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入口に掛かっていた案内書。

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名勝酬恩庵庭園
虎丘庭園と、方丈庭園よりなる。
虎丘庭園はその作庭年代は明らかでないが、室町時代であると伝えられる、虎丘庵の庭園であって庵の周囲に庭石と二個の手鉢とを布置し、これに木斛、梅、椿などと刈込みとを配している、小面積の庭として見るべきところである。
方丈庭園は慶安三年に前田利常が方丈を再興せる頃の築造と考えられ、文化二年原在明の画ける酬恩庵の図はよく現況を表している。
方丈の南、東、北の三方面に作庭され、南庭は長方形の白砂敷であって後部の斜面に刈込物を作り西南隅に蘇鉄を植え禅宗寺院の方丈庭園の体型を現わしている、東庭と北庭とは特に密接な連繋を有し東北隅に主石を組み、これより築地塀に添い多数の庭石を南と西に流し、東庭と北庭とを構成している、東庭はほヾ直線的に庭石を置き北庭は庭石に石塔、石灯篭、つくばい、手水鉢などを配し十六羅漢の遊行に象どるものと伝えられる。
備景として遠く比叡と男山を望み、近く木津川と田畑とがありこれらのものが遊景と融合して優秀な景趣をなしている。
 指定 昭和二十六年六月九日
 管理者 酬恩庵
 文化財保護委員会

 

正面の三角屋根が庫裏、その右側の茅葺が虎丘庵。方丈へ行くには庫裏の中を通り抜ける。

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方丈内部は撮影禁止とのことだった。内部中央奥に一休禅師木像というのがあって、(おそらく)白色LEDで鮮やかにライトアップされていた。

案内書によると八十八歳の時に高弟の墨済禅師に命じて彫刻させたもので、頭髪や髭は本人のものが植えこまれているそうだ。

また方丈内部の襖絵は、江戸初期の画家、狩野探幽守信の筆だそうだ。

庭園は撮影した。先の案内書きにいう西南隅。正面の丸いのはサツキで、その右奥がソテツだそうだ。生垣越しに見えるのが、晩年を森女とともに過ごしたという虎丘庵の茅葺屋根である。

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東南隅。瓦屋根は宗純王廟である。

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方丈東側庭園。庭石がずらりと並んでいる。

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順路に従って庫裏に戻る。顔出し板が置いてあったりして、写真を撮ってもいいみたいだったので撮った。

この左側に、入口と売店があった。

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方丈、庫裏を出て、本堂に至る通路に戻ったところ。

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本堂を紅葉越しに。ちゃんとお参りしました。

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宝殿。室町時代作とされる一休禅師および一休禅師に至る祖師たちの肖像画、および近年放送されたEテレアニメ「オトナの一休さん」関連のイラストが展示されていた。

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本堂の裏手に立っていた一休禅師石像。

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やはり本堂の裏手、石像の反対側に立っていた、カフェへの案内板。

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カフェ入り口。中はちょっと覗いたけどコーヒーはいただかなかった。

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時刻はこの時点で午後4時を少し回ったくらいだったはずだが、すでにあたりがどんどん暗くなっていた。11月は日没が最も早い時季だし、寺院の敷地が山影になるので、仕方がないのだろう。

写真はもう何枚か撮ったが、スマホカメラ同様コンデジも光量が少ないと写りが悪くなるので、使い物にならなかった。

 

総門に引き返した。10枚目の写真(スポンサーリンク広告の次の写真)で、何人かの人が見ていたのが、この「一休とんちロード」の案内板である。

どうでもいいけど今さらながら鉄道写真とか本題に入る前の写真を貼りすぎだな。

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一休とんちロード
JR「京田辺駅」や近鉄「新田辺駅」と一休寺を結ぶ訳1.2kmの道の一部を「一休とんちロード」として、道中15か所の電柱に「一休かるた」を活用した案内板を掲げています。
一休さんにまつわるエピソードやとんち話を楽しみながら、ぶらぶら歩いてみませんか。
すべての案内板を見つけたら、すっかりとんち王になっているかも!?
一休さん 一と休みせず 米寿まで

 

帰途は、その一休とんちロードなるものを歩いてみた。

案内板略地図中の交差点のところに立っていた看板。

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keroyon さんが読みながら歩いたという電信柱に巻かれたエピソードの一つが、これかな?

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ごらんの通りもうあたりが暗くなっていたから、写真は何枚か撮ったけどどれも写りが悪く、せめて一番写りのマシなものを選んだら、案内板と同じ図柄になってしまったではないか。いかんじゃないか。

仕方がないので、写りの悪かった写真から文字起こしした文章を、何枚分か貼ってみよう。

まず上の写真から。

一休さん 一と休みせず 米寿まで
一休さんは後小松天皇と日野中納言の娘・照子姫との間に生まれましたが宮中を出て波乱万丈の人生を送りました。
八十八歳で亡くなるまでの晩年を酬恩庵で過ごしました。

あと二枚分だけ。

追い出せぬ びょうぶに描いた 虎退治
将軍・足利義満が一休さんを試すために「びょうぶの虎を縛ってくれ」と頼みます。
一休さんは縄を持って将軍に「さぁ準備はできました。早く虎を追い出してください」と切り返します。

へつらわず おごることなく 庶民禅
権威に対しては徹底して対峙した一休さん。
その一方、弱者には人の道を解りやすく説きました。
居を定めることなく放浪の僧として、庶民の中で禅を実践した人でした。

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