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「貧者の一灯」の原典『阿闍世王授決経』の現代語訳がネットで見当たらなかったので私訳してみた(その2)

前回の「その1」に、『阿闍世王授決経』の原文はパソコンのブラウザ1画面に収まってしまうほど短いものだが、野村耀昌『仏教説話百選』(学習研究社)ではそれを足掛け8ページかけて現代語訳していると書きました。野村訳では、原文にない表現を想像で膨らませている部分もあるようです。

例えば「その1」で訳出した部分に続く箇所は、原文ではこうなっています。

王聞之。問祇婆曰。我作功徳巍巍如此。而佛不與我決。此母然一燈便受決何以爾也。祇婆曰。王所作雖多心不專一。不如此母注心於佛也。

大正新脩大藏經テキストデータベース より

私が訳すとしたら、こんな感じです。

これを聞いた王は、祇婆大臣に問うた。「私の功徳はかくのごとく目覚ましいのに、釈尊は私に授決を与えてくださらない。しかしかの老女は、一灯を献じたことにより授決を受けた。これはどうしたことだろう?」

祇婆大臣は答えた「王さまのなされたことは多いと言っても、かの老女が仏に注いだようには一心ではありませんでした」

 (私訳)

いっぽう野村訳では、こんな感じです。

ところでアジャータシャトゥル王はこのことを聞いて、ジーヴァカに向かって言った。
「わたしは仏の道をうやまい、今日まで仏に供養し奉ったにもかかわらず、仏はわたしには予言を与えてくださらない。かえって、この貧窮の一老婆が捧げるささやかな一燈の功徳にたいして、ねんごろに予言を与えられた。これはいったいどういうわけであろうか」
するとジーヴァカは即座に答えて言った。「王様のなされることは豊かではございますが、心がそれにともなっておりません。あの老婆の供養はささやかではありますが、仏に向かってそそいだ至誠な一心は、とうてい王様のものとは比べものにならないのです」

 上掲書P279~280

う~ん、やっぱり親切ですよね。

ですが引用の四要件に配慮して、野村訳をずっと読んでいただくわけにはいきません。私の拙い訳でご辛抱いただくしかないのです。

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引き続き原典より、「貧者の一灯」に比べると、あまり知られていないというより、ほとんど知られていない部分の紹介に入ります。中ほど三分の一の、授決を待ち焦がれる阿闍世王に先んじて、今度は王の庭園の園丁が授記を貰ってしまう場面になります。

乃更往請。佛宿勅諸園監。各令晨採好華。早送入宮至中。佛便晨出祇洹徐徐緩行。隨道爲人民説法。投日中至宮。有一園監持華適出園巷。正與佛會於大道之衢。聞佛説經一心歡喜。即以所持華悉散佛上。花皆住於空中當佛頭上。佛即授決曰。汝已供養九十億佛。却後百四十劫汝當爲佛。號曰覺華如來。其人歡喜。即時輕擧身昇虚空。來下作禮畢。即更自念。我王爲人性大嚴急。故宿勅我齋戒將華當以供佛。而我悉自以上佛。空手而往必當殺我。便徑歸家置空華箱於戸外。入告婦言。我朝來未食。王今當殺我急爲具食。婦聞大惶懅曰。王何故相殺。便爲婦本末説之。婦即出。至竈下具食。天帝釋便以天華滿空箱中。婦持食還。見戸外箱中華滿如故光色非凡。即以告夫。夫出戸視。知是天花心大歡喜。止不復食便持華入。王適出迎佛。道與王相逢。王見華大好世間希有。即問監曰。我園中大有此好華乃爾。而汝前後不送上。汝罪應死寧知之不。監曰。大王園中無有此華。臣朝早將園華道路逢佛。不勝歡喜。盡以上佛。即授與我決。知當殺故過家索食。比其頃出視空箱中。復見此華。必是天華非園所有。今我生既卑賤。爲王守園。拘制縣官不得行道。一已授決。正爾而死。必生天上。十方佛前無所拘制。可得恣意行道。王若相殺我無所在也。王聞授決。便生慚怖。肅然毛竪。即起作禮。長跪懺悔。佛至宮飯食已訖。呪願而去。

大正新脩大藏經テキストデータベース より

(私訳)

王はまた釈尊を招き、王宮の庭園の管理者に、その朝に咲いたよい花を持ってくるよう命じた。釈尊は早朝に祇洹精舍を出て、道中人民に説法しながらゆっくりと王宮に向かい、日中に王宮に着いた。
園丁の一人が摘んだ花を抱えて庭園を出るとき、ちょうど大道を歩む釈尊に出会った。釈尊の説法を聞いて一心歓喜し、持っていた花を釈尊の頭上に撒いて供養した。花はみな釈尊の頭上空中に浮揚した。釈尊は園丁に「あなたは過去に90億の仏を供養してきました。これより140劫の後、あなたは覚華如来という仏になるでしょう」という授決を与えた。その人は喜び、体が軽くなって空中に舞い上がった。そして地上に戻り釈尊を礼拝した。
だがすぐに我に返ると、「我が王の性質は大変厳しいので、前夜に私が斎戒して持って来いと命じられた花を、自分で釈尊に供えてしまったので、手ぶらで行ったら私は必ず殺されるだろう」と考えた。そこで家に帰り空箱を戸外に置いて、家に入って「私はまだ朝食を食べていない。しかし王は私を殺そうとしているので、どうか急いで朝食を用意してくれ」と妻に言った。
それを聞いた妻は大いに驚いて、「どうして王さまに殺されなければならないのですか?」と尋ねた。園丁が本末を説明すると、妻は急いで食事を用意した。
その間に、帝釈天が空箱に天の花を満たした。食事を持った妻が戸外を見ると、光色非凡な花が箱に満たされていた。夫は戸を出てそれを見、これは天の花だと大いに歓喜した。そして食事を中止して花を持って行った。
ちょうど釈尊を出迎えようとした王に出会った。王はたいへん美しく世間に稀有な花を見て、「わが庭園にこんな美しい花が咲いていたのに、これまでなぜ送らなかったのか? その罪は死罪に当たるのを知らないのか?」と園丁を詰問した。
園丁は言った「確かに大王さまの庭園に、このような花はありません。私は早朝にお釈迦さまに出会い、歓喜に堪えず、お釈迦さまの頭上に散華しました。するとお釈迦さまは、私に授決してくださいました。殺されることはわかっていたので家に帰って最後の食事をしようとしていると、空箱の中に花が現れたのです。これらの花は天上の花に違いありません。私は卑賤の生まれで、王さまのために庭園の管理を任され、官の制約のため仏道の修行ができませんでした。しかし授決をいただいた以上、死ぬことは何でもありません。必ず天上に生まれ、十方の仏の前で自由に仏道を修行できるからです。だから王さまが私を殺しても、いたしかたのないことです」
授決の次第を聞いた王は、慚愧の念を生じ、粛然とし鳥肌を立て、園丁に礼をし、跪いて懺悔した。釈尊は王宮に到着し、饗応を受け、祈念をして立ち去った。
   *       *       *

「その1」に書いた通り、阿闍世王は父王を殺して位を奪った人物です。その次第は、浄土三部経の『観無量寿経』に記述されています。怖そうな王さまです。

なお祇婆大臣は『観経』にも登場し(『観経』での表記は「耆婆」)、やはりその恐ろしい王に対してずけずけと物を言う人物として描写されています。

追記:

「その3:完結」はこちら。

www.watto.nagoya

浄土三部経〈下〉観無量寿経・阿弥陀経 (岩波文庫)

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