happy-ok3 さんが最新(10/8付)の記事で、北海道胆振東部地震の被災地に総額9億円の寄付をした篤志家を取り上げていました。
もちろんこの行為に対しては、感嘆と尊敬以外にないのですが、誰もが億単位の寄付をできるわけではありません。私はもちろん無理です。
それで、いつもの「言わずもがなでは」の念を覚えつつも、次のようなブックマークコメントを投入しました。
被災地の報告〜心を磨き与える人達 - happy-ok3の日記
尊敬の念を捧げつつ、仏典にある「貧者の一灯」という言葉も思い出しておきたいと。
2018/10/08 02:14
「貧者の一灯」というのは、よく知られた言い回しですが、そういえば出典は何だったかと思って検索してみました。『阿闍世王授決経』と、他にいくつかの仏典の名前が出てきました。
仏典であればネットで原文に当たれるはずと、さらに検索してみたところ、『阿闍世王授決経』というのは意外なほど短いものでした。SAT大正新脩大藏經テキストデータベース から検索することもできましたが、台湾大学図書館のサイトが手軽だったので、そのリンクを貼ります。なんとブラウザ1ページで全文表示が可能です。
しかしこれらは当然ながら漢文の白文です。現代語訳はないかと検索したのですが、検索語をいろいろ変えても適切なサイトがヒットしません。探し方が悪いだけかも知れませんが。
では書籍ならと蔵書を ScanSnap で電子化したものを検索したところ、野村耀昌『仏教説話百選』(学習研究社)という本の中に収録されているのを見つけました。亡くなった父親の蔵書で、1971年初版の古い本です。新刊は入手不可のようです。 もちろん他にもあるでしょうが。
ウィキペディアによると著者は1997年没とのことですから、著作権はまだ切れていません。
野村訳はていねいで、上掲書P277~284の足掛け8ページを費やしています。ただし個人的には、もう少し簡潔でもいいかなと思いました。
そこで、やや暴挙かとの自覚もあるのですが、ネット資産を少しでも豊かにする足しになればと思い、私訳を試みました。野村訳は大いに参考にさせてもらったのですが、先行訳の参照はアリのはずです。
阿闍世(アジャータシャトル)王は釈尊の時代のインドの強国マガダ国の国王で、父王を殺して位を奪うなど暴虐の振舞いがあったのですが、後に釈尊に帰依し仏教の保護者となります。授決とは授記とも言い、来世において成仏するという予言です。『阿闍世王授決経』は、大きく三つの部分に分けられます。貧しい老女(老母)が釈尊から授決を受ける部分、阿闍世王の園丁が授決を受ける部分、そして阿闍世王とその王子が授決を受ける部分です。
今回は前半三分の一の、貧しい老女が授決を受ける部分を訳出してみます。
原文は 大正新脩大藏經テキストデータベース よりお借りしました。
阿闍世王授決經
西晋沙門釋法炬譯
聞如是。一時佛在羅閲祇國耆闍崛山中。時阿闍世王請佛。飯食已訖佛還祇洹。王與祇婆議曰。今日請佛。佛飯已竟更復所宜。祇婆言。惟多然燈也。於是王乃勅具百斛麻油膏。從宮門至祇洹精舍。時有貧窮老母。常有至心欲供養佛而無資財。見王作此功徳乃更感激。行乞得兩錢。以至麻油家買膏。膏主曰。母人大貧窮。乞得兩錢何不買食。以自連繼用此膏爲。母曰。我聞佛生難値百劫一遇。我幸逢佛世而無供養。今日見王作大功徳。巍巍無量激起我意。雖實貧窮故欲然一燈爲後世根本者也。於是膏主知其至意。與兩錢膏應得二合。特益三合凡得五合。母則往當佛前然之。心計此膏不足半夕。
乃自誓言。若我後世得道如佛。膏當通夕光明不消。作禮而去。王所然燈或滅或盡。雖有人侍恒不周匝。老母所然一燈光明特朗。殊勝諸燈通夕不滅。膏又不盡至明朝旦。母復來前頭面作禮叉手却住
佛告目連。天今已曉可滅諸燈。目連承教以次滅諸燈。燈皆已滅。惟此母一燈三滅不滅。便擧袈裟以扇之燈光益明。乃以威神引隨藍風以次吹燈。老母燈更盛猛。乃上照梵天。傍照三千世界悉見其光。佛告目連。止止。此當來佛之光明功徳。非汝威神所毀滅。此母宿命供養百八十億佛已。從前佛受決。務以經法教授開化人民。未暇修檀。故今貧窮無有財寶。却後三十劫。功徳成滿當得作佛。號曰須彌燈光如來至眞。世界無有日月。人民身中皆有大光。宮室衆寶光明相照如忉利天上。老母聞決歡喜。即時輕擧身昇虚空。去地百八十丈。來下頭面作禮而去。
(私訳)
このように聞いた。釈尊が羅閲祇〔ラージャグリハ〕国の耆闍崛山〔ぎじゃくっせん〕中にあった時、阿闍世王は釈尊に飲食を施して祇洹精舍まで送った。王は祇婆〔ジーヴァカ〕大臣に相談した。
「今日、私は釈尊に飲食を饗応したのだが、次は何を布施したらよいだろう?」
祇婆大臣は答えた「灯明がよろしいでしょう」
そこで王は、100石の麻油を、宮門から祇洹精舍まで届けさせた。
ときに貧窮の老女がいて、常に釈尊を供養したいと心から思っていたが、資財がなかった。王がこのような功徳を行うのを見て感激し、乞食をして二銭を得、油屋に行って灯油を買おうとした。
油屋の主人は言った。「あなたはこんなに貧窮しているのに、せっかくもらった二銭でなぜ食べ物を買って命をつながず、灯油を買おうとするのですか?」
彼女は言った「お釈迦さまと同じ時代に生を受けられるのは、百劫に一度と聞いています。私はそのような幸運を得ながら、供養ができませんでした。今日、王さまが大変な功徳をなされるのを見て、貧窮の中にあっても、後世根本のため一灯を施したいと決意したのです」
そのまごころを知った店主は、二銭で買える油二合に、特別に三合をサービスして合計五合を売ってくれた。
彼女は釈尊の前に行き、買った油を点灯した。内心、この油では半夜も持つまいと思った。だがもし私が後世において成仏できるなら、この灯りが夜通し消えませんようにと願い、辞去した。
王の点した灯明は、消えたり燃え尽きたりしたが、老女の献じた灯りは、周りに世話する者もいなかったのに、ひときわ明るく輝き、夜通し消えなかった。油も翌朝まで尽きなかった。彼女はまたやって来て、釈尊に向かい面前で叉手する礼をして座った。
釈尊は弟子の目連に、もう明るくなったので灯りを消すよう命じた。灯りはみな消えたが、老女の献じた灯りのみ決して消えなかった。袈裟であおいでもますます明るくなるばかり。神通力で猛烈な風を起こしてみたが、灯明はさらに激しく燃え、上は梵天を照らし、傍ら三千世界をことごとくその光で照らした。釈尊は目連に言った。「もう止しなさい。これは仏の光明功徳によるもので、神通力で消せるものではありません。この女性はすでに過去生において180億の仏を供養し、経法にて人民を教え導いてきたのですが、布施だけは修行するいとまがなく、ゆえに今生では貧窮して財宝がないだけです。三十劫の未来において、功徳が満ち成仏した折には、この女性は須弥燈光如来という名の仏になり、そのしろしめす世界では太陽も月もなくても人民はみな身中から光を発し、宮室は忉利天のように宝石の光明が相照らしていることでしょう」
老女はこれを聞いて歓喜のあまり体が軽くなり、地上から虚空に百八十丈も跳び上がって、戻ってくると釈尊の足元に頭をつける礼をして立ち去った。
* * *
若干の注釈を。
羅閲祇〔ラージャグリハ〕は、マガダ国の首都です。仏典ではなぜか国名と都市名の区別があいまいです。
耆闍崛山は霊鷲山とも言いブッダ説法の重要な拠点の一つですが、コーサラ国にあるとされる祇洹精舍(祇園精舎)とは別の場所のはずです。
仏典に見える「乞食」に、侮蔑的なニュアンスはありません。『金剛般若経』は釈尊がコーサラ国の首都・舎衛〔シュラーヴァスティー〕城で乞食(托鉢)をするシーンから始まります(中村・紀野訳『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)P42)。
一斛(一石)〔いっこく〕はぐぐると約180リットルだそうです。
目連(目犍連)は、仏弟子の中で「神通第一」と称される超能力使いです。
隨藍風は、検索すると中文繁体字のサイトがいくつかヒットし「猛烈な風」と説明がありました。
お気づきの点あればご指摘大いに歓迎です。
追記:
「その2」はこちら。
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