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矢川冬『もう、沈黙はしない…性虐待トラウマを超えて』(インプレスR&D)~実父から受けた性虐待の記録(前編)

はてなブロガー 矢川冬(id:yagawafuyu)さんの、こちらのエントリーを読んでAmazonより購入しました。

yagawafuyu.hatenablog.com

うちのブログでは、ブロガーさんの出版した紙の書籍を購入したときには、開封写真を貼るのを恒例にしています。ですが今回は、微塵でもはしゃいだようなことをするのは不謹慎ではないのかと、強く気が咎めました。

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しかし特別扱いもかえってヘンかと考え、あえてこれまで通りにします。本書中では医学会や裁判所の「前例踏襲主義」が強く批判されているのですが、それはまた別の話として。

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裏表紙です。

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著者は小学生の頃、実父から長期間かつ継続的に性的虐待を受け、そのPTSD(外傷後ストレス障害)によって、当時の実父と同じ一定年齢以上の中年男性と接することが、再体験症状を惹起する刺激(リマインダー)となっているという(本書P120他)。

 

私は、まさしく著者にとってリマインダーとなりうる層に該当する。そうした人間が、この本を読むことにどのような意味を見出したらいいか、戸惑いを感じずにはいられなかった。

例によってうろ覚えだが、昔読んだ本の中に、次のようなくだりがあったように記憶している。ガヤトリ・スピヴァクはポスト・コロニアリズムの代表的な研究者の一人で、サバルタンという概念の提唱者である。ごく簡単に説明すると、ポスト・コロニアリズムとは植民地被支配を経験した国や地域の文化であり、サバルタンというのは代弁者を必要とする少数者のことである。スピヴァクはインド・ベンガル地方出身の女性である。

米国ニューヨークのコロンビア大学におけるスピヴァクの授業を受けていた白人男性の学生が、自分のようなマジョリティというか旧支配層に属するであろう人間が、このような学問を学ぶことに対する疑問を述べたところ、スピヴァクは言下に「あなたのような人こそ学ぶべきだ」と応答したという。

スピヴァクの返答は直ちにもっともだと納得できる一方、質問を発した白人男子学生こそ、その資質を厳しく問われていることもまた、容易に理解できる。

私の立場はこの学生に似ているように思った。私は若くないし、コロンビア大学のような超名門大学の学生でもないのだが。

 

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

もう、沈黙はしない・・性虐待トラウマを超えて

 

本書は、全10章と「まえがき」、そして章立てされていないが「今10代や20代のあなたに」という短い文章と「あとがき」によって構成されている。

第1章と第2章が、実父から受けた性虐待の克明な記録である。

第3~6章は、改氏名を裁判所に申し立てて認められるまでの経緯である。

第7章以降は各章の独立性が高いが、現在、性虐待を受けている人たちや、性虐待のトラウマに苦しんでいる人たちへのアドバイスとまとめられるように思われる。

 

第1章は、もともとは森田ゆり編『沈黙をやぶって』(築地書館) というアンソロジーに収録される予定で1990年頃に執筆された原稿に、加筆・修正したものだそうだ。著者は早稲田大学第一文学部卒で長年にわたり学習塾を経営され、また大変な読書家である。だから文章は明瞭で読みやすいが、これほど読んでいて苦しい文章はなかった。性虐待の記述は詳細であり、また著者のご家族の複雑な事情もつぶさに記されているが、ここでの紹介は差し控える。

それにしても、なぜこの父親は、実娘を文字通りの地獄に突き落とすような行為を、あえて犯したのだろうか? 想像するに、一つにはこの父親が、たいへん弱い人だったのではないだろうか? 喫煙がやめられない、ながらスマホがやめられないというような。そうした弱さは、地続きのように誰もが持っているのかも知れない。そこにもう一つ、他人の苦しみに対する想像力の欠如というものが、強くうかがえる。

 

この他人の苦しみに対する想像力の欠如は、本書に登場する多数の関係者にも共通し、それが著者の苦悩を増幅し続けている。第2章では『沈黙をやぶって』への寄稿がけっきょく取り下げられた経緯が記されるが、その原因として家族の反対と専門家の無理解が挙げられている。

母親は、“父親からの虐待の話をすると「あんたは本家の跡取りなのだから、墓を守らなければならない」という話にすり替え”(P60)たといい、図らずも著者が父親からの虐待を身を挺して守った形になった妹は、裕福な事業家に嫁いで豊かな生活を手に入れられそうになったがゆえか、“毎日電話をしてきては「死ね。きちがい」と”(P62)怒鳴ってまで出版に反対したという。

 第1章の範囲に戻るが、虐待を受けていた時期の著者は、加害者である父親と同じ家で過ごす時間を少しでも短くするため、本屋や図書館で時間をつぶしていたという。何十年も前の当時、著者の苦しみを代弁するような本はどこにも置いてなかったという。かろうじてフロイトの『ヒステリー研究』を見つけたが…ここはP36の文章を直接引用する。

ところが、見つけたのはエディプスコンプレックスの解説だった。娘が父親に性的ファンタジーを持ち母親を敵視する時期があるという内容だった。

 フロイトは多くのヒステリー患者を診察する中で、患者が父親から性的虐待を受けているという告白を聞く。それがあまりにも数多く恐ろしくなって、こじつけのようなファンタジー理論にすり替えたのだ。それがエディプスコンプレックス理論の正体であり、のちの多くの男の心理学者は受け入れやすかったのだ。だから、何十年もその理論は大手を振って心理学の世界に君臨していた。

 性虐待が始まって14年後、社会人になった著者は、自殺衝動が押さえきれなくなり、ぼろぼろ涙を流しながら電話帳で調べて駆け込んだ近所の精神病院で、担当の精神科医に実父からの性虐待を打ち明けたところ、医師はそれを全く信じようとせず「何を馬鹿なことを言っている。お父さん、お母さんを大事にしなさい」(P50)と決めつけたという。1978年当時の医学会において、フロイトの影響はまだそれほどに大きかったというのだ。

それからさらに13年後、性虐待被害者の自助グループを作った著者は、まさにその病院から、子どもの虐待防止センターを作る発足会に呼ばれることになる(P65)。しかしその場でも、司会の精神科医から愚弄されるような言葉を受け、傷を深めることになる。わずかにただ一人、国立小児病院の元院長から「30年前は医学生の教科書に実父からの性的虐待の記述はなく、私たちも勉強していなかったことはお詫びします」(P66)との言葉をもらったことだけが救いだったという。

 

少しだけ私事を。著者の苦悩とは比較にもならないが、私は子どもの頃、「宇宙の果て」「時間の始まり」「自分自身とは何か」という、いわば哲学的な解答のない問いに長く捕らわれていたことを、過去に何度か書いた。

逃げ場のない苦しみというものの、なんと苦しいことか!

その苦しみから逃れられないかと、小学生向けの科学本などを何冊も読んだが、当然ながら望むような答えは書いてなかった。そして、このような苦しみに捕らわれているのは世界中で自分だけではないかという考えが、さらに苦しみを深くした。今であれば、カントを始めとする観念論哲学や、あるいは現代物理学の成果をいろいろと知っている。また「問いの立て方」から疑う、というテクニックも知っているのだが。

 

著者は第9章で、性虐待の当事者による書籍を17冊紹介している。仮名か実名かや、加害者との関係も書かれている。

その他にも第2章でエクトール・マロ『家なき娘』(P69)、シモーヌ・ボーボワール『娘時代』(P79)など、著者を力づけた何冊もの書名が登場する。

適切な内容の書籍であれば、苦痛の軽減には確かに役に立つのだ。

 

第3章からは、加害者と同じ姓を名乗らざるを得ぬことによる精神的苦痛を避けるため、裁判所に改姓名を申し立て2年をかけて認められるまでの経緯が詳述される。その過程において、書籍はもっと直接的な役割を果たす。

日本で家族からの性虐待を理由に改姓名を申し立て認められたのは著者が2例めであり、最初の例は1997年の穂積純さんという方だそうである(P87)。そしてその経緯は、『解き放たれる魂』(高文研)という書籍に詳述されているそうだ(私も読まねば!)。

著者は穂積氏の著書を踏まえるのみならず、裁判所に提出する「意見書」を作成するため、穂積氏に手紙を書いて助力を求めている(P104~105)。

その求めに即座に快く応じたという穂積氏も、本当に立派だと思う。

なお『解き放たれる魂』など穂積氏の諸著作は、第9章の書籍リストに『沈黙をやぶって』とともに真っ先に掲載されている。

 

沈黙をやぶって―子ども時代に性暴力を受けた女性たちの証言 心を癒す教本(ヒーリングマニュアル)

沈黙をやぶって―子ども時代に性暴力を受けた女性たちの証言 心を癒す教本(ヒーリングマニュアル)

 
解き放たれる魂―性虐待の後遺症を生きぬいて

解き放たれる魂―性虐待の後遺症を生きぬいて

 

 

だが今現在、性虐待に苦しめられている当事者への救いの手としては、書籍だけではやはり不十分だ。第7章には、児童養護施設、自立援助ホーム、民間シェルター、職業訓練校など、官民の「逃げ場」が説明してある。また第8章は、著者が支援を受けた十二名の実名・匿名の人たちへの、感謝の言葉がつづられているが、この章は読者にとっては、虐待の被害者は何を必要としているか、被害者に何ができるかのリストとして読むこともできるように思われる。

私なりに「もし近くに被害を受けていると思われる人がいたら」と愚考して、思い出したのは「児童相談所全国共通ダイヤル189(いちはやく)」だった。

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https://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/gyakutai/ より。

この緊急通報ダイヤルに関しては、弊ブログでも過去に何度か触れているが、性虐待の当事者や周りの人も利用可能だったはずだと思って確認してみた。

上掲リンクのページ中に「児童虐待の定義と現状 |厚生労働省」へのリンクがあり、そこをクリックすると、次のような定義が閲覧できた。性虐待も間違いなく通報対象だった。

身体的虐待 殴る、蹴る、叩く、投げ落とす、激しく揺さぶる、やけどを負わせる、溺れさせる、首を絞める、縄などにより一室に拘束する など
性的虐待 子どもへの性的行為、性的行為を見せる、性器を触る又は触らせる、ポルノグラフィの被写体にする など
ネグレクト 家に閉じ込める、食事を与えない、ひどく不潔にする、自動車の中に放置する、重い病気になっても病院に連れて行かない など
心理的虐待 言葉による脅し、無視、きょうだい間での差別的扱い、子どもの目の前で家族に対して暴力をふるう(ドメスティック・バイオレンス:DV)、きょうだいに虐待行為を行う など

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/about.html より

 

すみません、すでに4,000文字を超えて、まだなかなかまとめられないので、一旦ここまでを「前編」として公開します。残りは近日中に公開します。

 

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