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お百度参りpolca支援編(80/100)

週末の何時間かを費やして、近所の神社へ勝手にやっているお百度参りのシリーズです。前回のエントリーはこちら。

www.watto.nagoya

私の狭いネット観測範囲で、先週ぐうぜん何人かの方が『ごんぎつね』を話題にされていた。新美南吉の手になる童話である。

「別人がやると別物になる」というのは万古不変の真実(おおげさ?)だが、人によって着目点というか論点がぜんぜん違うものだと思った。

検索して、自分でも読み返してみた。

www.yanabe-e.ed.jp

年行ってから再読すると、新たな気づきはあるものだ。

最も論ずべきと考えたのは、ネットのテンプレにまでなっている、あの高名なラスト

「ごん、お前だったのか。」

において、なんで兵十は野生のキツネを個体識別できたのか、ということで…違うそうじゃない。

今のナシです。いや、ごんと兵十が知り合いだとはどこにも書いてなかったぞとか、真面目に論じてもいいんだけど、今の私が論じたいのはそこじゃない。いつも余計なこと言いですみません。

 

ごんの行為が、「つぐない」として正鵠を得ていただろうか、ということが気になるのである。合目的性、と漢語を使ってもいいが、よそよそしくなるかな?

ごんがウナギを横取りしたことで、兵十は臨終間近の母親にウナギを食べさせることができなかった。ごんはそれを後悔した。

それで、ごんは兵十のところへ、クリやマツタケを届けるようになるのだが、その行為は「つぐない」になっていたのだろうか、という疑問を抱いてしまったのだ。違和感と言ってもいいかも知れない。

イワシを盗んで濡れ衣を着せられた兵十が殴られるエピソードや、兵十に友人の加助が「それは神様のしわざだぞ。」と告げるエピソードは、作者があえて読者にそうした違和感を喚起させるために挿入したのではないかと思ってしまったくらいである。再考したら、やっぱり違うだろうと思ったが。

ごんは、兵十に届けものをしなくてもよかったはずである。後悔を感じつつも「しかたなかったね」で済ますこともできたはずだし、自分の行為と兵十の母の死は無関係である、と開き直ることもできたはずだ。実際そうなのだし。

我々の多くは、もしごんだったら、そのようにしただろう。だが、ごんはそうした選択肢を選ばなかった。あえて選ばなかったのだろう。

もっと恐ろしいことに思い当たった。つぐないが必要なのは、ごんを撃ち殺した兵十こそではないか?

兵十に、どんなつぐないが可能だろうか? 物語のラストにおける兵十こそが、「しかたなかったね」や自分の行為の正当化を行うのに、最短距離の場所にいるのではないか?

なんでこの想像を恐ろしいと感じたかというと、どうも上述の兵十から最短距離の場所というのは、現実の世界に住む我々がいる場所のようだからである。どうも物語を破壊し現実に引き戻す、暴力めいた力を感じる想像のようだからである。

別人がやると、着眼点も論筋も別物になるものだな、やっぱり。

 

   *      *      *

 

代参など弊ブログで公開している諸々の行動は、どれも私が好きでやっていることである。それでいいっちゃいいんだけど、いつもずっと疑問というか違和感というかがつきまとって、その感覚が、前述のごんの行為に対する感情と似ている気がした。違うかもだが。

 

たとえばこの代参。ガンにしても精神疾患にしても、当事者の状況は想像を絶すると表現する以外にない。ガンは、身内にそれで亡くなった者がいるにせよ、当事者としては完全に想像の埒外である。精神疾患は、以前に鬱で通院したことを弊ブログに書いている。10年くらい前に主治医から寛解との言葉をもらって、それ以来ブログの話題にすることはめっきり減ったが、それでもよく言われるように「完全に元に戻る」ということはありえないのだなと、実感としてわかる。当事者の苦痛は、この何十倍、何百倍だろうか? やはり想像を絶する。

polca と「ほしい物リスト」の支援要請に協力という、いわば合目的的な名目があるだけ、少し気は楽である。だが難病と支援という現実と名目の、比較にもならない巨大な落差に、めまいのような違和感を感じざるを得ない。

 

こういう違和感はいつもつきまとう。今年は献本の旅を何度かブログの話題にした。虐待から逃れるため図書館を避難場所に選んだたった一人でも、救いになってくれればいいと思っている。まごうことなき現実として屹立するのは、児童虐待、性虐待という巨大すぎる闇であるという旨は、やはり何度か書いた。

災害ボランティアに行くたび、現地の受け入れスタッフや関係者は、こちらが申し訳ないくらい歓待してくれた。涙ながらの感謝のスピーチを受けたことも、一再ではない。その背景としてあるのは、昨日まであたりまえに暮らしていた住宅など生活基盤を一日にして奪われてしまった被災者の方々の存在という現実である。

 

難病にしろ、虐待にしろ、被災にしろ、どの一つが自分の身に起きたと仮定しても、現在の「あたりまえ」が一瞬で奪い去られてしまうことは容易に想像できる。自分のしていることは、ほとんどゼロに近い誤差の範囲である。それに対する違和感を、あえて忘れないように心がけながら、つまり現実を忘れないことを心がけながら、やりたいからやっているという方向に開き直るしかないのかな、などと考えた。

 

ごんは、クリやマツタケを届けたいから届けたのではないだろうか? ごんは、畑のイモを掘ったり、菜種ガラに火をつけたり、トウガラシをむしるより、単純にクリやマツタケを届ける行為を選択しただけではなかったろうか?

火をつけるのは危ないからいけません。

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ヌル(id:Null3)さんの、こちらの最新エントリーをスマホに表示させた状態でウエストポーチにしまっての代参。

www.null3-blog.com

 

微力ながら今回も polca と…

polca.jp

 

ほしい物リストへのリンクも貼ります。

www.amazon.co.jp

 

今日は午前中に代参をスタートした。

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遅い時間スタートだと、参拝中に日が翳ってゆくのが「やってる」感を演出してくれるような気がしないでもないが、日が高いうちにお参りしたほうが、けっして広くない境内とはいえ、これまで気づかなかったことに対する気づきが出てくるものだ。

例えば上の門標の少し右側に、マンリョウの木が赤い実をつけていたことは 前々回の代参記事 に書いたけど…

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何度となく写真を撮っている境内左側の入口の、すぐ左にある高い木も、真っ赤な実をつけていることに気づいた。

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あまりに高いもんで、スマホカメラのズーム機能を使って撮ってみたが、これが限界のようだった。

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角度を変えてみた。

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こちらもズーム。あんまり変わらないか。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/w/watto/20191215/20191215105729.jpg


それから 前回の代参記事 に、秋葉祭というのをやっていたと書いたが、摂社末社の一柱は確かに秋葉神社のようだった。

しめ縄に隠れているが、右の房の下に社名を記した木札があった。

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もう一柱は山の神神社で、これは木札がわかりやすい。

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それから摂社末社の門柱には、風化しているが「秋葉社」と刻まれていた。気づかないものだな。

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写真からは読み取れないが、常夜灯の灯明の台座の部分の石(「常夜燈」と刻まれた長方形の石の上に乗っている、台形の石)にも、左から右に「社神葉秋」と刻まれていた。

右手前に見切れている案内板は、第一回目の代参記事 のとき文字起こししたもので、山の神神社のほうの説明書きである。

 

常夜灯を反対から撮ると、「坂部上組 前後坂部 日参團建之」という刻印があった。坂部も前後も、このあたりの地名である。

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順番が逆のようだが、本社拝殿も一応。

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例祭のあった先週とは違い、社務所の扉は固く閉ざされていた…と書こうと思って写真を撮ったら…

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この日のお参りの終わりころになって、扉が開けられていた。

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(多分)氏子さんが一人で、落ち葉や剪定した枯れ枝を自治体のゴミ袋に集めていた。

社務所前に見えるピンク色の袋がそれだ。正月準備の一環だろうか。

「お世話になります」と声を掛けた。「ええ」と返された。相手にしてみれば、どう返したらいいか困ったかも知れない。

 

百度石代わりに使っている消火栓の手前には、タマゴ自動販売機の設置されたプレハブ小屋があるが…

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その奥には、タマゴの即売所と喫茶スペースがある。

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気まぐれで入ってみた。

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去年の1月に入ったとき には、喫茶スペースは有人営業だったが、今は自販機とテーブルだけになっていた。ちょっと寂しい。

だが即売所は健気に(?)営業していた。

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あんぽ柿300円(税込)というのが、小さいけど安かったので買ってみた。柔らかくて甘味が強く美味だった。また買おう。

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