なんの変哲もない近所の神社への、勝手にやっている代参である。今回は3週間100回限定の予定である。
今回のシリーズの1回目 に、なんとなく一日5回参拝で 3 × 7 = 21日という気もしたと書いたが、予定があったりして毎日来るのは絶対無理なので、この日は回数を稼いでおくことにした。
なお3週間を待たずに退院できる可能性があるとのことでした。もちろん早期の退院は大歓迎で大いに期待するところです。ただし当方が勝手に決めて勝手にやっている代参は、退院しても3週間100回、必ずやります。
今回の参拝先に隣接する大蔵池公園の南側堤防。まだ寒いけど花壇の花が鮮やかだ。
なんとなく今回のシリーズは、花の写真だらけにしてやろうと決めた。
いつものスマホカメラなので写りよくないけど。
同じ花壇を池を背に撮ってみた。
池の西側に、公園の門標があった。前回は気づかなかったので撮ってなかった。
接写。
弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。
大蔵池公園
大蔵池由来
大蔵池は応永年間(1394-1428)に築造されたという はじめは大喰池のち大蔵井池 明治期になって大蔵池と呼称されるようになった
池の面積は当初2町8反余歩 受益耕地は約33町歩であったが開発に伴い 池は4町8反となり45町歩余(45ヘクタール)の美田を潤す用水溜池として今日に至っている
池の西斜面には平安 鎌倉期の窯址があったが池の拡幅により池底に沈んでいる
大喰らい…おしょぶ~ さんを思い出した(本人が言うのはいいけど他人が言うなよ
osyobu-osyobu-3889.hatenadiary.jp
大変失礼しました。それはともかく 前回3/16付記事 には周辺は住宅だらけなので灌漑池として現役なんだろうかと疑問を書いたが、どうやら現役だったようである。
池の西斜面というと、このへんかな? 光線の具合が悪くてうまく撮れないけど。
坂の下に咲き残りの寒椿があった。
坂の上の道標。「九左山古窯址」と書いてある。九左山〔くざやま〕というのは、このあたりの地名である。
道標の先に、石碑と案内板がある。
石碑。
案内板。
案内板をもうちょっと接写。
こちらも文字起こし。
この古窯は昭和二十九年に発見され、同四十八年の発掘調査で、九左山古窯址と命名した。奈良様式須恵器、平安瓷器等が出土している。
九世紀から十世紀頃、陶器の焼かれたことが推定される貴重な窖(あな)窯である。今は地下に埋れて見ることはできない。
豊明市教育委員会
「瓷器」は読めなかったので検索した。「しき」または「じき」と読むとのことだった。瓷器 - Wikipedia
石碑を背に池面を撮ってみた。
池の周囲を反時計回りに引き返し、さあお参りだ。
お馴染みとなった社務所。いつもながら、茶色い化粧板が青空に映える。
参拝開始。前回と同じような角度の写真を撮ってしまった。まあいいや。
境内から大蔵池公園方面を撮ってみたが、やはり光線の角度がよくなかった。
今回はちょっと多めの20回参拝で合計30回。
残り70回だから、来週の週末と再来週の週末でクリアできる回数だな…って他人事みたいに言うなよ自分事なのに。ぜぇぜぇ。
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