しいたげられたしいたけ

人権を守るには人権を守るしかない。人権以外の何かを守ることによって人権を守ろうとする試みは経験的に全て失敗している

10大弟子+紅一点という法則または系譜

今回はすべて敬称略です。敬称の付け方のルールの一つとして「生者は敬称つき、故人は敬称なし」という単純明快なものがあり、弊ブログはだいたいそれに則っていますが、今回の話題では、そうするとかえって不自然に感じたので。

総務部総務課山口六平太』の高井研一郎の訃報が伝えられてから、もうすぐ一ヶ月である。ニュースを知って最初に浮かんだことが「そう言えばこの人も赤塚不二夫の弟子だったな」ということである。

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念のため「赤塚不二夫」でぐぐると、『釣りバカ日誌』で現在も健筆をふるう北見けんいちはじめ、フジオ・プロ参謀格にしてパロディマンガの元祖ともいうべき長谷邦夫、蘊蓄マンガの元祖とも言うべき古谷三敏、『トイレット博士』がオールドマンガファンには懐かしいとりいかずよし、おげれつ少女マンガの元祖ともいうべき『つる姫じゃ~っ!』の土田よしこら、アシスタント出身の10人以上のマンガ家の名前が出てくる。元祖という形容に関しては諸説ありそうですねすいません。

考えてみれば、赤塚不二夫が主宰したフジオ・プロは、インキュベーターとして超優秀だったのではないだろうか。同時代の藤子不二雄の門下から出た人気マンガ家というと『まいっちんぐマチ子先生』のえびはら武司くらいしか、すぐには思い出せない。あくまで個人の感想です。

オールドマンガファンとして両方の全盛期にリアルタイムで立ち会う幸運を得、子ども心にはとっちかというと赤塚の方が好みだったのだが、今になって読み返すと赤塚作品は、やっつけっぽく完成度がイマイチで、正直時代の変化に耐えられていないという感想を抱く。ドロボウとかキチガイとかが毎回のように出てくるのだ。ネタに苦労していたんだろうな。しかし現実にドロボウやキチガイに遭遇したら、一生もののトラウマじゃないか。

むしろ完成度がより高く今の時代でも楽しめると感じるのは、藤子作品の方だ。ただし「異世界の友達が平凡な主人公に特権を与える」と構造分析して、「そう構造分析したからと言って藤子と同じ作品が描けますか?」と構造分析批判ネタによく使わせてもらっている…この話は始めると長くなるのでやめよう。

逆に考えると、赤塚作品の完成度の低さこそが、アシスタントたちに「俺だったらこう描く!」「俺だったらもっと面白くできる!」というインスピレーションを与え、結果として彼らの才能を伸ばしたのではないかと想像する。

その傍証として、まさかの大ヒットとなった新作アニメ『おそ松さん』を挙げてみたい。第二シーズン放送開始が目前ですね。藤子アニメは現在も継続して放送されているが、藤子作品であんなふうにオリジナルのフォーマットを崩すことは、決して許されまい。

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ところで、その赤塚不二夫藤子不二雄も、さらに辿ると「トキワ荘」出身である。今日ではトキワ荘と言えば手塚治虫というイメージがあるが、手塚がトキワ荘に住んだのは比較的短期間で、トキワ荘の兄貴分つかリーダー格は『スポーツマン金太郎』の寺田ヒロオだったのだ。こちらもウィキペると石ノ森章太郎ら10人内外の出身マンガ家の名前が出てくる。

ただしマンガ家は世代交代が激しいから、若いマンガファンには絵柄がもはや思い浮かばない人の方が多いんだろうなと思うと寂しい。本宮ひろ志の『サラリーマン金太郎』が、『スポーツマン金太郎』のタイトルパクリとわかる人が、いまやどれだけいるか。いやそれは赤塚や藤子の弟子の世代のマンガ家でも、すでにそうなってるか。

トキワ荘勢では、紅一点の水野英子の存在が目を引く。ただしウィキペを参照すると、トキワ荘に在住した期間はごく短いようだ。しかしトキワ荘に言及するなら、この人の存在は外せまい。それまで男性マンガ家がいわば片手間に執筆していた少女マンガを、女性作家の手に取り戻すきっかけになった一人である(これも諸説ありそうだが)。

なろうことなら、赤塚門下の土田よしこには、少女ギャグマンガ家の元祖ということで、水野英子に匹敵する栄誉は授けられないものか。つか『つる姫』なんて大人しい方で、初期作品は凄まじかったんだぞ! ヒロインがウンコもらすのは朝飯前、残念ながらタイトル忘れたが、女子小学生の主人公が同期生の男子に恋をして、ところがその男子は別の同期生と小学生結婚し子どもまで設けており、主人公はその赤ちゃんを弟だと思ってあやそうとして、手が滑って落としてというかブン投げて殺してしまい…というものすごいのまであった(しかし全作品を通じて性的描写が一切ないというのが、今にして思うと不思議というか、そらそうだろうなというか)。少なくとも伝説となる要件は満たしていると思う。

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同じ場所から10人(10組)前後のメジャーデビューと言えば、音楽業界だが福岡のライブハウス照和というのを思い出す世代です。チューリップ、井上陽水甲斐よしひろ武田鉄矢長渕剛…こちらの紅一点は、昨年訃報が届いたシーナ&ロケッツのシーナが真っ先に思いついたが、ウィキペを読むと、紅一点と表現すると苦情が来るかも知れない。

彼らの全盛期は1970~80年代くらいだったと思う。その頃は福岡出身のタモリが、名古屋いじりをよくネタにしていた。知人の知人くらいのバンドマンが、名古屋に照和のようなインキュベーターが存在しないことを指して、バカにされても仕方がないみたいなことを言っていたと人づてに聞いた。なにその一つ前の世代には、「中津川フォークジャンボリー」という伝説がある。中津川は岐阜県だが中央高速&中央本線ってことで事実上の名古屋の植民地…よそう、この話も始めるといろんな意味で長くなる。

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タモリと言えば、弟子をとらないことでも知られている。全盛期の重なるビートたけしが、たけし軍団というのを作って門下から多くの人気コメディアンを出したのと好対照である。ただし、たけし軍団から10人ほどを選定するのは、ちょっと面倒そうだ。タモリが弟子をとらないのは、「才能は教えられるものじゃない」というポリシーに基づくと聞いている。これは異議ありで、才能ある人の謦咳に接することにより才能が開眼する実例は、古来枚挙にいとまがない。しかしそれもまあ一つの考え方というものだろう。

一気に100年くらい時期を遡ると、明治の文豪・夏目漱石は、自分を慕う若者たちが自宅に押し掛けるのを拒まず、彼らの集いを指して木曜会とか漱石山房とか称する。検索して調べると、錚々たる面々の名前が並んでいて、ちょっと鳥肌が立つ。紅一点として野上八重子の名前が目立つ。文学にしろ何にしろ、あの時代に女性が自らの志を貫くことは大変だったろうなと思わずにはいられない。同時代の文豪・森鴎外が、組織人としての立場を通して弟子を持たなかったことと、これも好対照。木曜会のメンバーは、決して漱石の「弟子」ではなかったにせよ。

追記:ちょうど100年前の12月9日は夏目漱石の命日だそうです。

さらに一気に時代を遡ると、キリストは十二使徒というのがいた。紅一点はいないけど、福音書に登場するマグダラのマリアは「亜使徒」と呼ばれることもあるそうだ。もっともマグダラのマリアに関しては、キリストの妻説があったり娼婦説があったり、諸説紛々かまびすしいが。

仏教では十大弟子というのがある。やはり紅一点はいないけど、こちらは『法華経』にブッタの養母マハー・プラジャーパティーとブッダ出家前の妻ヤショーダラーが、十大弟子と同様の扱いを受けてブッダから授記が授けられる場面がある。授記とは来世において悟りを得て如来となるという予言である。

法華経』が古来人気を集める理由の一つに、女人成仏を認めていることがある。竜王女変成男子という今日から見たらPC 的にどうなのというエピソードも含むにせよ。

儒教では孔門十哲というのがある。残念ながら紅一点に準ずる存在は思い当たらなかった。

探せば他にもありそうだな。優れたインキュベーターは、だいたい10人くらいをブレイクさせるという法則って、あるんだろうか。単純に、人間が一度にカテゴリ分けして記憶できるのは10人程度が限度だからそう記憶されるだけということかも知れない。

ただし赤塚不二夫十大弟子(?)が、ずっと記憶されるかというと心もとない。とりいかずよしって、若い人は知ってますか? …と、言わんでもいいことを言ってオチにしてしまおう。

紅一点論―アニメ・特撮・伝記のヒロイン像 (ちくま文庫)

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