しいたげられたしいたけ

空気を読まない。他人に空気を読むことを要求しない。

大分県日田市に災害ボランティアに行ってきた。体力が持つか心配だったが幸いなんとかなった

年一回のペースで災害ボランティアに行っている。去年の記事は、こちら。本当は災害ボランティアは、ないのが一番なんだけど。

www.watto.nagoya

今回も愛知ボランティアセンターさんが、ボランティアバスをチャーターし参加者を募集していた。前回の熊本は5月で気候的にはマシだったが、今回は7月なので、汗っかきで体力ないから足手まといにしかならないんじゃないかと応募に逡巡を感じた。

ツイッターにも書いた通り、背中を押してくれたのは、愛知ボラセン代表の久田氏によるブログ記事に引用されていた、このコメントである。

blog.goo.ne.jp

上掲記事から孫引き引用。

>ボランティアなのに金とるのかよwww
>被災地にいるが素人は来るなよww
>ジャマや
>お前らも被災地をネタによう金儲けできるよなグズども

なぜボランティアが自ら費用を負担する必要があるかについては、久田氏が上掲記事中で丁寧に説明している。つかボランティア活動にコストが発生することは、自明ではなかろうか。ネット語でいわゆる「ゲスパー」というやつだが、このコメントの投稿者は、どこかでボランティアに対して交通費など一部費用を補助するところがある(それもそれで、ちゃんと理由があるんだけど)と聞きかじり、それと混同して批判をしてるんじゃないかとも想像する。違うかもだが。

ネットでは、ごく薄い妄想に近いような根拠でも、批判の材料になりうる。そういうのはほっとけばいい。そうじゃなくて個人的にちょっと心配だったのは、ここ一、二年の久田氏の書く文章を読んでいて、ときどきメンタルにダメージを受けてるんじゃないかと思わせられる箇所に突き当たることだった。

愛知ボラセンでは東日本大震災発生以来、被災地に向けたボランティアバスを派遣し続けてきた。それが、大型バスの事故が何件か続いたという理由により、国交省による規制が強化され、派遣の難度が上がった。細かい説明は私にはできないが、要するにちゃんとした業者のバスを利用するしかなくなり、それに伴い費用も高くなったとのことだ。

費用が高くなれば参加者の人数も減るため、ボランティアバスを派遣できる頻度もかなり少なくなったようだ。久田氏はバイタリティのカタマリのような人だが、ブログを読んでいると、「長年ボランティアをやってきたことに対する国の仕打ちが、これか?」とまではっきり言っていないが、いわゆる「心折れる」というか、ちょっとネガティブになっているように感じられる文章があって、少し心配になったことがあったのだ。

ボランティアバスは、当然のことながら参加者が増えれば増えるほど、経営的には楽になる。私にできることは参加者を一人増やすことだけだから、一人増やそうと思った次第である。

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以下、とりとめもなく写真を貼る。

集合場所の、名古屋東別院の「お茶所」という建物。6月5日付の京都に行ったときの記事 に、屋根の上に載っている小屋根のことを「煙抜き」というと知った旨を書いた。「お茶所」には何度も来ているが、ここにも「煙抜き」らしきものが乗っていることには、初めて気づいた。

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中央やや右の、黄色い蛍光色のビブス(チョッキ)を着ている人物が、代表の久田氏。久しぶりに挨拶のスピーチを聞いたら、昔と変わらぬエネルギッシュな口調だったので、少し安心した。私が心配しても仕方がないが。

今回は、支援物資として使い古しのタオルも募集していた。被災したお宅の、泥出し後の拭き掃除に使うのだそうだ。

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拡散ということでうちのブログにもリンクを貼ろうかと思ったが、愛知ボラセンの公式サイトの告知だけでも集まりすぎるくらい集まってしまったとのこと。実際あとでバスに積み込むところを見ていたら、収納スペースぎりぎりだった。やらなくてよかった。拡散は慎重に。なお追加募集はしてないそうです。

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受付開始。いつもながら顔消しすいません。

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ここはいつもバナナをくれるが、今回は他にもいろいろもらった。写ってないけど塩分補給キャンディももらった。右のビブスは、もらったんじゃなくて貸与。

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ビブスの愛知ボラセンのロゴ。あんまりしげしげと見たことなかった。

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バスに物資や道具を積み込んでいるところ。

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これまでの経験的に言って、体力温存にはバスの中で眠れるかどうかが決定的に重要。今回は、往路も復路もわりとよく寝られたので助かった。

生命保険会社のポイントでもらったネッククッションが、今回も役に立ってくれた。今回というのは以前も何か役に立った記憶があるが、ブログには残してなかった。「ショボかった」と書いてごめん。

www.watto.nagoya

現地には7:00a.m.頃に着いた。予定より早く着いたとのこと。

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大鶴地区というところの公民館前の広場に、テントが設営されボランティアセンターのようになっていた。

消防団の消防車。タイヤが半分以上土砂に埋もれている。

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公民館のサッシに貼られた手書きの告知。

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文字起こし。

支援物資無料配布中


〇来れない人や近所の人にも
  必要な物資を必要な分だけ
  持って行って下さい。
〇ある物はありますが
  無い物はありません。
〇7月中は9:00~17:00開てます。


鶴の恩がえし。

10:00a.m. 頃、ミルクやおむつの段ボールを満載した軽トラックがやって来た。

乳飲み子や幼いお子さんをお持ちの「はてなブロガー」の皆さんへ。そんなことがないのが何よりですが、万一被災したときには、必要なものは誰かが必ず届けますから、そんな折にはどうか心配しないでお待ちください(お前が届けるんじゃねーだろ > 自分

公民館に隣接する農産物直売所。ここも深いところでは50cmくらい泥が入っていた。

現地のコーディネータさんが未着ということで、まずはここの泥出しをお手伝いした。

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本格的な活動の前の、時間調整であったにもかかわらず、これで疲労困憊してしまった。こんなで一日どうなることかと先が思いやられた。

暑かったのと、あといつものことだが臭いがキツかった。今回は生ゴミの腐臭に似た臭いだった。

今回は、地元名古屋のテレビ局であるメ~テレの取材スタッフさんが同行していた。取材以外の時間は、作業に参加していた。

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ネットには「マスコミも取材してないで作業しろ」などと批判する奴がいるが、ディスプレイの前から動かない奴が想像でそういう批判をしているのだろう。

とは言うものの、普段はパソコン仕事で暑いからとつい空調つけっぱで生活しているこちらも、偉そうなこと言えた義理ではない。ボラセンの方から熱中症予防のためこまめに休憩をとるようにというお言葉に甘えての、休み休みの作業であった。

休憩時間にテントの日陰に入ると、空調がなくても楽だ。時おり微風が吹くと、それが案外涼しい。なんとなく、そういう感覚は、たまに取り戻しとかなくちゃと思った。

本格的な作業は、グループに分かれて一般民家に入っての泥出しだった。こちらは写真はありません。災害ボランティアのエントリーを上げるたびに書いている通り、被災した住宅にカメラを向けることほど被災された方々の神経を逆撫でする行為はないので。

それを言ったら消防センターや農産物直売所の写真を掲載することも、誰かの心を傷つけているかも知れない。ご指摘があったら消します。

   *       *       *

被災地の近くにおすまいの さるオヤジ(id:fukubuggy)さんが、最新エントリーで、土砂に埋もれた水田を背景にスマホで自撮りをするボランティアのことを書かれていた。

www.saru-oyaji.xyz

さるオヤジさんは、彼らがその写真をSNSにアップして、ボランティア活動への参加を呼びかけてくれればいい、と書かれていた。しかしボランティアに入る側としては、心身ともに痛めつけられている被災地の方々を、なにげない行為でさらに傷つけてしまう可能性があることについては、常に自覚的じゃなければならないと思っている。

だけどなかなかそれができない。ついやっちゃうのは「ボランティア・ハイ」というやつで、無自覚のうちに高揚して、心ならずも現地ではしゃいだような言動をとってしまうことがありがちだ。他のボランティアを後ろから撃つようなことは書きたくないが、他人の目で見ていて「これはどうなの?」と思うことは、実は一再ではない。

ボランティアはしょせん完璧ならざる人間、それもドシロウトの集団がやることだから、無謬であろうはずがないと言ってしまえばそれまでだが。

今回の記事はネット上のボランティア批判から筆を起こしたので、そこに立ち戻ってみる。悪意から出たものに対応するのは、まだ容易なように思う。善意から出た不本意なものに対応することこそが、現実社会においては、むしろやっかいなんじゃないかな。

ボランティアは、ただのエエカッコシイだろう、自己陶酔だろう、目立ちたがりだろう、野次馬だろう、ブログのネタ作りだろう…等々といった批判に対しては、「ああ、そうですが、だから何か?」と平気で返すことができる。少なくとも私は、ボランティアにしろ何にしろ、そうしたあらゆる邪念を統合して行動の契機にしている。

しかし、これもボランティアに限ったことではないが、相手が善意でやっていることが明らかにわかっている場合のほうが、対応に困ることがままあるのだ。

もし私に才能があるなら、三谷幸喜風の群像劇ということで、ウエメセとか、仕切りたがり屋、教えたがり屋とか、スタンフォード監獄実験の看守タイプとか、勝手にルールを作って押し付ける奴とか、自分大好き人間とか、愛国無罪とか、とことん自己評価が低い奴とか、さまざまな「善意の困ったちゃん」を集めて、それぞれが他人がどのタイプかは知っているが自分がどのタイプかは無自覚で、そしてその中に凶悪極まりないほんまもんの悪人が一人紛れ込んでいるというフィクションを書いてみたいと思っているが、果たせていない。

   *       *       *

現地ボランティアセンターとなった公民館前の広場からは、おそらく土砂崩れで山肌が見えたと思われる光景が、何箇所か見られた。

これは光線からすると北側だろうか。

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これは東側だと思う。自然の営みに比べて、人間の存在は、本当に卑小だと感じざるを得ない。

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