10月30日付拙エントリーにて参加経緯を示した災害ボランティア@長野市豊野地区より、おかげさまで無事、帰ってきました。
さすがに疲れているので、あとで乱筆乱文気になるところが出てきて手直し入ると思いますが、リアルタイムでツイッターに流した写真の再掲を中心に、帰宅報告を兼ねて速報的にエントリーを上げます。おうちに帰るまでが災害ボランティアです。
11月2日(土)10:00p.m.より、名古屋市東別院お茶所にて受付開始。愛知ボランティアセンターさんの、いつもの集合場所である。
恒例いつもくれるバナナと、貸与のビブス。それから今回は「ボランティア活動証明書」なるものも全員に配布してくれた。「どうせ何人かから要求されるから」とのことだった。私はいらないけど。
ボランティアバス。11:00p.m.出発と、比較的近場とあって遅い出発だった。
乗らなきゃ撮れない車内風景。
日付変わって11月3日(日)。長野市役所豊野支所には午前6時台に着いた。
明るいところで撮ったボラバス。今回は気づいたら前半分しか撮ってなかった。
今回の作業場所の一つのコミュニティセンター。民家じゃないから撮っていいとのことだった。
「中央組コミュニティセンター」という看板の、「央」と「組」の文字の間で色が変わっている。よく見ると壁にも浸水した跡が残っていた。
作業場所はもう一箇所、豊南町公会堂というところだった。いずれも公民館のようなところだと思う。
台風19号から3週間。災害ボランティアは一般民家の片づけの手伝いを最優先してきたが、こういう時だからこそ集会場所も必要ということで要望があったとの由。
コミュニティセンターのほうは先週愛知ボランティアセンターが派遣したボランティアバスの第一陣がすでに作業に着手していたが、公会堂のほうは全くの手つかずで、足を踏み入れたとき床の上に溜まったチョコレート状の汚泥がまだぜんぜん乾いていなくて、長靴の足に容赦なくへばり付いてきた。
いろんな作業をやったが、個人的にいちばん印象に残ったのは、一ヶ月前の佐賀 でもやった「モグラ」すなわち床下にもぐり込んでの泥出しだった。
「モグラ」と一口に言っても、現場ごとに作業内容は少しずつ違ってくる。
今回の現場では、なぜか床下にビニールが敷いてあって、その上に泥が溜まっていた。ビニールは建築したときに敷いたものが、そのまま残っていたのだろうか?
それを巻き寿司のように丸めて引っ張りだすと、効率的に泥出しができた。
ただし泥はすごく重いから、いっぺんには出せない。少しずつビニールを切っては出し切っては出しした。巻き寿司は全部巻いてから巻いた方向に垂直に包丁で切るが、今回の作業ではビニールを少し巻いては巻く方向に平行にハサミでビニールを切って小出しにした。
すみません、この説明でイメージ掴めますでしょうか?
もう一つ、ぜひ書いておきたいのは、作業をやるため床下にもぐり込んだところ、壁面にはめ込んであった断熱材が、たっぷりと水を含んで床下に垂れ下がっていたことだ。
台風来襲から3週間も経つのに、台所の水を吸ったスポンジのごとく、ぜんぜん乾いていなかった。
手で引っ張ったら、簡単に取れた。取れるところだけ取ったが、おそらく断熱材は建物の四面全部に張り付けてあると思われるので、取り外したのはごく一部のはずである。
もしこのまま放置すると、建材に痛みが広がる恐れがあるように思われるが、1日限りの災害ボランティアではどうすることもできない。速やかに業者を手配してもらうことを期待するしかない。
断熱材がスポンジのように水を含んでいて、手で引っぱるだけでいくらでも取り外せた現場は、他の被災地でも経験したことがある。災害大国である日本列島に居住している以上、我々の誰もがいつ被災者になってもおかしくない。拙記事を読んでいただいた読者の皆さんには、現在お住いの住居に断熱材が入っているかいないか、お調べいただくことをお勧めしたい。うっかり気づかず放置してしまったときのことを想像すると、そら恐ろしくなるので。
差し入れのリンゴをもらった。サンふじという銘柄だと思う。ツイッターにこの写真を流したら一部誤解があったが、一人で全部もらったわけではありません。一人一個です。
いや、写真はないがもう一個もらった。シナノゴールドという、まっ黄色い品種だった。
帰途に立ち寄った小布施温泉。硫黄泉だった。
計画に必ずこういう行程を加えてもらえるのが、愛知ボラセンの企画するボラバスのいいところである。
追記:
愛知ボラセンさんの公式ブログに活動報告がアップされたので、リンクを貼ります。
クリックで拡大できる現場写真が、多数掲載されていました。
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