西日本豪雨以後、d:id:happy-ok3 さんが毎日、被災地の情報を「はてなダイアリー」で発信されている。
印象に残る記事はいくつもいくつもあるが、8月3日付の記事に、こんな記載があった。引用失礼します。
東日本大震災や東京電力福島第1原発事故で
浪江町を離れ、二本松、福島両市などでまだ
【避難生活をしている浪江町の人たち】・・・。
しかし
浪江町の有志達は8月3日から、西日本の被災地を訪れ、4日、5日、広島県三原市のマックスバリュ本郷店で
恩返しとして「なみえ焼そば」800食を無料提供する。
このために【なみえ焼そば応援団】が結成された。
http://d.hatena.ne.jp/happy-ok3/20180803 より
恥ずかしながらこのニュースは知らなかった。だが、被災地で被災地からの支援を見かけたことは、7月17日付 と 23日付 の拙記事にも書いた。それぞれ倉敷市の災害ボランティアセンターで、つくば市と南相馬市の社協のビブスを着たスタッフを見かけた件である。被災地からの被災地支援は、かなりの規模で広がっているのだと思う。
そんな想像をするたび、目頭がじんと熱く感じてしまうのは、なぜだろう?
いや部外者のひとりよがりの感傷を許してくれるほど、現実が甘くないことは、わかっているつもりなのだが。このたびの災害で二度訪れた被災民家のご主人は、それぞれ異口同音に「自然災害というものがあることは知ってはいたのだが、頭で考えるのと現実に体験するのとでは全然違う」という意味のことをおっしゃっていた。日常を取り戻すためには、何ヶ月単位、何年単位という労力が必要となるのだ。いやこれも私が「頭で考え」たことにすぎないのだけど。
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ときに、弊ブログでたびたび言及している 愛知ボランティアセンター さんが、ボランティアバスの参加者を募集していたので、申し込んでみた。もろもろの事情で過去に二度、参加できなかったやつだ。私にとっては三度目の正直というやつだ。
スケジュールはこんな感じ。愛知ボラセン さんの公式ブログより引用させていただきます。
日程とスケジュール
8月10日(金)
23:00 東別院会館前集合、受付
23:30 同発
11日(土)
07:30 岡山県笠岡市着
08:00 ボランティア活動開始
15:00 作業終了
15:30 矢掛町着 入浴・夕食
入浴:矢掛屋・湯の華温泉
夕食:矢掛屋・花鳥風月 旧街道の古民家の温泉と夕食で疲れを癒してください。
※矢掛は旧山陽道の宿場町で本陣、脇本陣ともに残る全国唯一の宿場町です。わずかな時間ですが、
ご散策お土産のご購入をどうぞ。はっかが矢掛の名物です。
17:00 矢掛町出発
23:00 名古屋・東別院着(金山駅経由)
https://blog.goo.ne.jp/aichiborasen/e/942908f923c1dcc9dbfc5a50f7caef2f より
集合時間は東別院「お茶所」の消灯時間後なので、明かりは車のヘッドライトといくつかのランタンが頼りだった。
私のスマホは光量少ないと画質がさらに悪くなるので、見づらくてすみません。
今回はチャーターしたバスが満席で、代表の久田氏はじめ3名ほどのスタッフが補助席利用だった。夜行バスで補助席はキツいでしょ??
車中での久田氏の挨拶によると、災害ボランティアにおける最大の問題はやはり需要と供給のミスマッチとのことで、全体としてボランティアの絶対数が足りていないことのほかに、「集まるところにばかり集まりすぎてしまう」という問題点もあるのだそうだ。報道が被害の激しかった地域に集中する上に、被害に遭った住人の側も、被害が甚大だった地域と比べて「うちはまだマシだ」と支援要請を遠慮してしまう傾向があるとのこと。
それに対する解決策の一案として、この日向かった岡山県笠岡市では、おそらく日本初と言われる地元有志の設立による民間ボランティアセンターが発足し活動中とのことだった。社協など行政主体のボラセンでは、個人財産などが絡むと対応が難しいことがある。要するに一人暮らしの高齢者のお宅などに、こちらから押しかけることはできないということだ。いっぽう民間主体のボランティア団体はいくつもあるが、本拠地が東京、名古屋など大都市に所在するため、どうしても「よそ者」感が出てしまうとのこと。
笠岡市の場合、市内の被害を免れた地域の方お二人ほどが中心になり、行政の協力を受け、住人のニーズを聞き取りながら活動を続けているとのことだった。
ブログこれかな? ネットでは Facebook での発信の方が情報量多いようだが、「はてなブログ」からは Facebook へのリンクがうまく貼れなかったので。ちなみに久田氏も設立者に名を連ねているが、名前を貸しているだけで何もしていないとのこと。謙遜かも知れないが。
早朝5時頃、勝央サービスエリアというところでの休憩中に撮り直したバスの写真。
熊本や大分に行ったときは、このあたりでようやく道半ばだったから、近いことは近いんだよね。あくまで比較的だが。
愛知ボラセンさんはいつもバナナをくれるが、今回は他にもいろいろもらった。
勝央SAの休憩室のテーブルの上で撮ったため、観光宣伝が下敷きに写っている。
往路、事故渋滞があったため、予定より約1時間遅れで岡山県矢掛町の役場前に着いた。
ここでいくつかのグルーブに分かれ、マイクロバスやワゴンに分乗して、矢掛町と笠岡市の活動現場に向かった。
上の写真の奥に写っている「矢掛町農村環境改善センター」なる建物が、災害ボランティアセンターになっていた。
休日のため役所はお休みだが、ここは開いていて、トイレや更衣室を開放してくれていた。活動から戻ってきたとき、更衣室があるのがすごくありがたかった。
いつもの通り作業現場の写真はありません。
私は矢掛町の現場に割り振られた。この日の作業は、民家の裏山が崩れて庭先に流入した土砂を、土嚢に詰めて山の斜面に積み戻すというものだった。
うむ、確かに「二階が床上浸水」に比べればマシだ(・∀・)← 鬼畜
しかし、こちらのお宅にお住まいなのは高齢のご夫婦なので、助力がないと片付けもままならないというのは、よくわかるのである。
こういう時こそボランティアの出番だ。まかせなさい!
と言いつつ、真夏の直射日光の中での土嚢作りと土嚢積みは「どこの強制労働?」と言いたくなるような重労働だった。熱中症対策のため20分作業の10分休憩、午後からは15分単位に短縮とは言え(@_@;;;
ところで斜面への土嚢積みは、斜面に合わせて並べるのは、もしまた豪雨があったら滑落する恐れがあるからダメで…
奥側(斜面側)がむしろ低くなるくらいの感覚で、レンガ状に積めばよかったんだよね? 山の斜面は奥に行くほど角度が急になり、全然思った通りに積めなかったんだけど、こんな感じに積めばよかったんだよね?「はてな」土木建築セクターの人、いたら誰か教えて!
という訳で、午後2時過ぎくらいに作業は無事終了。 決して長い作業時間とは言えないが、疲労が膝と腰に来て、バテバテだった。
庭先から撮った矢掛町。風光明媚という形容がぴったりなところだった。
いらんこと言いの悪癖を発揮すると、おじゃました民家の軒先に、棒の先に千代紙を、神主が振るやつみたいにぶら下げた謎の道具があるを見かけた。ちなみに本物の神主の振るやつを検索で調べたところ、「大幣」または「大麻」と言うそうだ。「おおぬさ」と読む。
同行した若いボランティアが、住人の方に「これは何に使うものですか?」と尋ねていた。「スズメ除け」とのことだった。
疲れていたので、「すずめ除けなら『映画監督になる』と言えばよい」と、思いついたことをそのまま口に出してしまった。
通じなかったらしく「ジェネレーションギャップですか?」と言われてしまった。『半分、青い。』だ!
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矢掛町役場に戻って笠岡市に向かったグループと合流し、入浴と夕食のためにバスで移動した。
道すがら、「笠岡ぞうきんプロジェクト」の民間ボラセン本部に、激励のため立ち寄った。
スタッフから感謝の挨拶をいただいた。私は何もしてないんだけど。
驚くべき偶然があった。「笠原ぞうきんプロジェクト」には多くのボランティアが参加しているが、たまたま遠く大分県から駆けつけたボランティアがいたとのことで、やはり挨拶があった。日田市の農産物直売所で働いている人とのことだった。
去年の7月17付拙記事 に書いたところだよ!
この時は今回とは逆に予定より2時間ほど早く着きすぎて、時間調整のために直売所の泥出しを手伝ったのだった。直売所の社長は、被害状況のすさまじさに打ちのめされて、一時期廃業も考えたとのことだった。しかし多数の人力投入により、とにもかくにも一日で泥出しだけは完了してしまったことに勇気をもらい、見事に営業再開を果たし、今は「道の駅」登録も考えているとのことであった。
社員派遣は、恩返しとしての被災地からの被災地支援だったのだろうか。
そんな話をされたら、また行かずにはいられないじゃないか!・゚・(ノД`)・゚・
次の予定はいつだ? 来週か? わし体力ないねん…(@_@;
矢掛屋という旅館で、お風呂と夕食をいただいた。さきの引用部にもあるように、矢掛町は全国で唯一、本陣と脇本陣の残る宿場町なのだそうだ。
言われてみれば、街並みに風情が感じられる。
「矢掛屋・湯の華温泉」は、この建物の奥のほうにあった。
湯の華温泉のはす向かいにあった「矢掛屋・花鳥風月」館。上二枚は東向きに、この写真は西向きに撮ってます。
ここの二階で割子弁当の夕食をいただいた。
老舗旅館だけあって、魚の切り身、煮物、だし巻きなど多くの品数が詰められた上品な食事だった。
しかしエネルギーを消耗したボランティア参加者たちが、帰途のSAでめいめいジャンクフードを買い込んでお腹に詰めていたことは、好意でよくしてくださった旅館の関係者には内緒にせずばなるまい、と例によって言わなくてもいいことを言って今回の締めにしてしまう。
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