とは言うものの、とりあえずはありのままの事実をレポートしてくれる新聞記事というものは、すいすいと読みやすいし読んでいてそれなりに面白いからありがたいものだ。
中国の経済発展が、共産党幹部や官僚の底なしの腐敗、人権抑圧、都市部×農村部や沿海部×内陸部の貧富の差の拡大、資源の大量消費と自然破壊などの深刻な諸問題を抱えていることは、今や周知であろう。
にもかかわらず、今の中国経済は、やることなすこと片っ端から当たりまくっているという印象を受ける。例えばほんの一例だが、経済発展から取り残されていると言われる農業でさえ、ソウルと気候が似ている青島(チンタオ)市でキムチを作って韓国に輸出すると、たちまち本家の製品を押しのけて市場を席捲しかねない売れ行きを見せる(本書p123〜124)という。日本の農業製品で国際的な競争力を有するものがあるだろうか?
私には経済学の理論はわからない。「どこそこの油田の採掘権をどこの国が押さえた」という話は、さっぱり実感を伴わない。だが、商売というものの感覚は、ある程度肌で知っている。非常に単純なことなのだ。自分がつけた希望の値段で、商品が売れれば、経営は順調に行く。希望の値段で仕入れができれば、何の苦労もない。ところがなかなかそうは行かないから、誰もが苦労するのだ(とは言うものの、ごくごく短い期間ではあったが、そういう夢のように順調な時期がこれまでに二度か三度はあったなぁ、と遠い目をしてみる)。
一つ思い当たることは、1985年のプラザ合意に始まる大幅な円高誘導で、あれによって日本の勤め人は塗炭の苦しみを舐めさせられることになる。日本の人件費はじめとする生産コストは、とにかく高すぎるのだ。一方、ひところ話題になった人民元の切り上げは、2005年のわずか2.1%で決着し、再切り上げの要請には今のところ応じる気配すらない。本書では共産党が一党支配を守るため(p91〜92)とか結論づけているが、こうした中国のタフ・ネゴシエイターぶりをこそ日本の政権が見習うべきではないのか、という気がする(時系列的な因果関係はもちろん逆で、中国は日本の事例を研究しつくした上で経済政策を決定しているのだというが)。
まぁ、日本がアメリカの要請を拒み続けられるわけがない、とは思うんですけどね。そしてなにより中国の「手ごわい」と思わせるところは、ひょっとすると中国なら、そしてひょっとすると中東や中南米で失策を重ね体力の落ちた今のアメリカ相手であれば、要請を拒み続けてしまうことができるのではないか、と思わせる点である。
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