ではその道の人々はどうやって勉強しているのかというと、本書によれば周・秦の時代以来二千三百年にわたって、中国人自身が漢字の研究の分厚い蓄積を重ねてきており、我々はその恩恵にあずかっているのである。
例えば吉川幸次郎『漢の武帝 (岩波新書 青版 24)』p25には、こんなことが書いてある。
ふと天子は、手洗いに立った。ついて行ったのは衛子夫であり、そこで天子の愛を受けた。「漢書〔かんじょ〕」の「外戚伝〔がいせきでん〕」には、「軒中にて幸いを得たり」としるす。「軒中」とはどこであるか。古い註には、蔽いをした車の中だというが、それはおかしい。友人高木正一君の説に、「軒」とはすなわち便所のことであるとするのが正しい。後漢〔ごかん〕の末にでた辞書「釈名〔しゃくみょう〕に、「厠〔かわや〕のことを或いは軒と曰〔い〕うというのが、その証拠である。
「釈名」は本書p49〜に登場する。語源辞典の元祖みたいな本なのだという。
それから、興味深く感じたのが「韻鏡〔いんきょう〕」(p179〜)で、これは漢字の中国語の音を正確に写し取ることを目的とした「韻図」と呼ばれる字引きの最も古いものだそうで、中国では早く失われてしまったが日本で残り清朝末に中国に里帰りを果たしたという。なぜこれが日本で生き残ったかと言うと、一つ一つの漢字がどのような「仮名遣い」で表記されるかを知るために用いられたようである(p183)というのだ。
私はこれまで、本を読んでいてどんな難しそうな漢字が出てきても、それに日本語の読みを示す振り仮名がちゃんとついていることを、内心不思議に感じていたのだが、その謎が解けた気がした。タネ本が存在したのだ!
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