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早島鏡正『正信偈をよむ―入門教行信証』(日本放送出版協会)

正信偈をよむ―入門教行信証 (NHKライブラリー)

正信偈をよむ―入門教行信証 (NHKライブラリー)

実家は浄土真宗とは言え、私にとって一番なじみがあるのは、浄土三部経でも歎異抄でもなく、正信偈なのだ。真宗の家庭では、今でも朝な夕なにこれを毎日読誦するところが少なくない。
ところが七言一二〇句の漢字の羅列が、お経なんだから当然とは言えこれがまた意味不明なんだわ。
さらに困ったことに、かの有名な「不断煩悩得涅槃」というフレーズなど、意味がとれてしまう部分もないわけではない。してみると、全体の意味が知りたくなる。
で、読んでみた。こりゃ、わからなくて当然だわ(^▽^;
どう難解なのか?何というのか、神秘的な難解さではなく、学問的というか、人文科学的な奥深さを背景に秘めたものであったことが、私にとってはある意味意外であった。
前半四十四句は、予想通り『無量寿経』など浄土三部経の要約、そして後半七十六句はインド・中国・日本の七人の高僧たちの、業績への賛になっているのだという。
すなわち、南インドの龍樹(ナーガールジュナ、150?〜250?)、大乗仏教の中観派という学派の祖だそうだ(p94〜)。同じくインドの天親(ヴァスバンドゥ、320〜400?)、瑜伽行唯識派というのを大成した学者とのこと(p124〜)。中国は梁代の曇鸞(476〜542)は天親の『浄土論』に注釈を施した『浄土論註』の著者(p156〜)。同じく中国の道綽(562〜645)は『安楽集』の著者(p188〜)。同じく中国は唐代の善導(613〜681)は観無量寿経の注釈書『観経四帖疏』の著者(p219〜)。本朝は平安期の源信(942〜1017)は『往生要集』を書いて日本に念仏運動を広め(p262〜)、そして親鸞の直接の師匠である源空こと法然(1133〜1212)は『選択本願念仏集(選択集)』の著者として讃えられているという(p293〜)。
いやはや、歎異抄の「いかなる行も及びがたき身なれば、地獄は一定すみかぞかし」というとても有名なフレーズは、これほどの学識というか勉強を経て、出てきた言葉だったのだ!
あるいは毎日、読誦すべきとされた経典にこうした人名・書名が織り込まれているのは、「こういう人がいてこういう書物があるんだよ、興味が湧いたら自分で勉強してみてね」とでもいう、時限爆弾的な仕掛けなのかも知れない。
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