しいたげられたしいたけ

空気を読まない 他人に空気を読むことを求めない

仏教における「しっと・妬み」について

一週間ほど前のことです。2012年10月8日付拙記事 に、b:id:nekoseijin さんからブックマークコメントにて質問をいただきました。引用失礼します。

黄檗山萬福寺〔おうばくざんまんぷくじ〕〜宇治平等院〜浄瑠璃寺〜岩船寺〔がんせんじ〕と回ってきた - しいたげられたしいたけ

しっとや妬みについて仏教がどういっているのか、ちょっと調べているのですけど、大した事が出て来ません。何かご存知ありませんか?

2019/05/21 12:47

b.hatena.ne.jp

「はてな」のシステムの改訂で、ブコメからのIDコールは飛ばなくなりましたが、ブログ本文からの通知は可能だと思ったので、次のような追記を行いました。しかしどこから通知されたかはわかりにくかったようです。失礼しました。

b:id:nekoseijin さん、しっとや妬みに関しては、『浄土三部経』では『無量寿経』の「三毒」(貪・瞋・癡)が有名です。しかしこの部分はサンスクリット原文にはなく漢訳時に付け加えられたという説が有力(ほぼ定説)で、一筋縄ではいきません。

 

その後、いろいろ検索したところ「三毒・五悪段」を含む『無量寿経』は、漢文白文、読み下し文、現代語訳ともwebで全文が読めるのを発見しました! 『無量寿経』は日本で一位・二位の門信徒数を有する浄土真宗と浄土宗の根本経典とはいえ、ちょっとすごいです!

仏説 無量寿経 (巻下)-漢文 - WikiArc

仏説 無量寿経 (巻下) - WikiArc

現代語 無量寿経 (巻下) - WikiArc

 

ただ問題は、「三毒」=貪・瞋・癡、「五悪」=殺生・邪淫・偸盗・妄語・飲酒というまとめが古くから行われているにも関わらず、原文を読むとすんなり腑に落ちるものではないということです。

全文にはリンク先から当たることができるので、「瞋」に当たると思われる部分を抜き出してみます。

まずは漢文白文から。後世の人により「瞋恚」と段落分けされた部分の、約半分です。

世間人民・父子・兄弟・夫婦・家室・中外親属 当相敬愛 無相憎嫉。
有無相通 無得貪惜 言色常和 莫相違戻。
或時心諍 有所恚怒。
今世恨意 微相憎嫉 後世転劇 至成大怨。
所以者何 世間之事 更相患害。
雖不即時 応急相破 然含毒 畜怒 結憤精神 自然剋識 不得相離。
皆当対生 更相報復。

 仏説 無量寿経 (巻下)-漢文 - WikiArc より。

 

三毒・五悪の段落分けはなぜか読み下し文のサイトでしか行われていないのですが、そこからの引用は省略して、上掲引用部の現代語訳を。

世間の人々は、親子・兄弟・夫婦などの家族や親類縁者など、互いに敬い親しみあって、憎みねたんではならない。また持ちものは互いに融通しあって、むさぼり惜しんではならない。そしていつも言葉や表情を和らげて、逆らい背きあってはならない。争いを起して怒りの心を生じることがあれば、この世ではわずかの憎しみやねたみであっても、後の世にはしだいにそれが激しくなり、ついには大きな恨みとなるのである。なぜならこの世では、人が互いに傷つけあうと、たとえその場ではすぐ大事に至らないにしても、悪意をいだき怒りをたくわえ、その憤りがおのずから心の中に刻みつけられて恨みを離れることができず、後にはまたともに同じ世界に生れて対立し、かわるがわる報復しあうことになるからである。

現代語 無量寿経 (巻下) - WikiArc より

 

ごらんの通り抽象度が高く、文意が焦点を結びにくいという印象を受けます。

 

他の部分を、もう一箇所引用します。これは「五悪段」の第二、後世「邪淫」と段落分けされたところの三分の一ほどです。

仏言 其二悪者 世間人民 父子・兄弟室家・夫婦 都無義理 不順法度。
奢婬・驕縦 各欲快意。
任心自恣 更相欺惑。
心口各異 言念無実。
佞諂不忠 巧言諛媚。
嫉賢謗善 陥入怨枉。
主上不明 任用臣下 臣下自在 機偽多端。
践度能行 知其形勢。
在位不正 為其所欺 妄損忠良 不当天心。
臣欺其君 子欺其父。
兄弟・夫婦・中外・知識 更相欺誑。
各懐貪欲・瞋恚・愚痴 欲自厚己 欲貪多有。
尊卑上下 心倶同然。
破家亡身 不顧前後 親属内外 坐之而滅。

仏説 無量寿経 (巻下)-漢文 - WikiArc より

 

当該箇所の現代語訳を。

釈尊が言葉をお続けになる。

  「 第二の悪とは次のようである。世間の人々は、親子も兄弟も夫婦など一家のものも、道義をまったくわきまえず、規則にしたがわず、贅沢を好み、みだらで、人を見下し、勝手気ままで、各自が快楽を求め、思いのままに互いを欺き惑わしあっている。言葉と思いが別々で、そのどちらも誠実でなく、へつらい上手でまごころに欠け、言葉巧みにお世辞をいい、賢いものをねたみ、善人を悪くいい、他人をけなしおとしいれるのである。

 もし上に立つものが愚かであり、よく考えずに下のものを用いると、下のものは、思うがままにいろいろな策を弄して巧みに悪事をはたらく。国法を守り世情によく通じたものがいても、上に立つものがその地位にふさわしい力量をそなえていないから、そのために欺かれて、忠義を尽すものはかえって不遇な目にあうばかりである。これは道理に反している。このように下のものが上のものを欺き、子は親を欺き、兄弟・夫婦・親族・知人に至るまで、互いに欺きあっているのである。それは各自が貪りと怒りと愚かさをいだいて、できるだけ自分が得をしようと思うからであって、この心は身分や地位にかかわらず、みな同じである。そのために家を失い身を滅ぼし、先のことも後のこともよく考えないで、親類縁者まで被害にあって破滅してしまう。

 現代語 無量寿経 (巻下) - WikiArc より

 

姦淫に触れている部分がないわけではないが一部のように思われ、むしろこの部分を「瞋恚」あるいは「ねたみ・嫉妬」と題することも可能のように思われます。

仏教には「五戒」=不殺生・不邪淫・不偸盗・不妄語・不飲酒というのもあるので、あるいはそれを牽強付会したのかも知れません。

 

 『無量寿経』に限らず大部の仏典の多くは、今日の長編小説のような単独の著者によって一気に成立したものとはどうも違うようで、別々に成立したものを誰かがくっつけたり、くっつけたものに誰かがさらに付け足したりしてできたものが大半のようです。2012年10月8日付拙記事 への追記5にも書いた通り「三毒五悪段」のサンスクリット原文は見つかっておらず、漢訳時に中国で付け加えられたとの説が有力です。

 

『無量寿経』にわかりにくさを感じるのは、私のようなどこの馬の骨とも知れぬチンピラだけではないようです。

例えば真宗大谷派の学僧である坂東性純は『浄土三部経の真実』(NHK出版)の中で、次のように書いています。

後半の終わりの方で、ようやくあさましい娑婆世界のことが述べられますが、順序が逆のような気がします。煩悩の汚れに満ちた娑婆世界の現実の中で、人びとが自ら悩み苦しんでいる姿を自覚して初めて、自他ともに苦悩から自由になりたいと、四十八の本願、つまり極楽浄土建立の願いをおこし、浄土を建立するのが順当な筋のように思われます。

 『浄土三部経の真実』NHKライブラリー版P29

 

また東京大学名誉教授の末木文美士(西村玲の指導教官です)は『仏典をよむ: 死からはじまる仏教史』(新潮社)に、こう書いています。

『無量寿経』の叙述は錯綜していて、決して読みやすい経典ではない。それ故、東アジアで実際に浄土教の中心テキストとして綱要書のように読まれたのは、『観無量寿経』(以下、『観経』)であった。『観経』はきわめて整然とした構成を取っており、その中に浄土教のエッセンスが寵められている。

 『仏典をよむ―死からはじまる仏教史』単行本版P53、ルビ省略しました

 

そんなわけで、もし創作の典拠として言及するのであれば、どんな文脈から言及しても、まあ怒られることはないんじゃないかと思います。

 

 『浄土三部経の真実』と『仏典をよむ』は次のような新版が出ていますが、手元にある古い版のページを示しました。

浄土三部経の真実

浄土三部経の真実

  • 作者: 坂東性純
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2010/12/02
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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仏典をよむ: 死からはじまる仏教史 (新潮文庫)

仏典をよむ: 死からはじまる仏教史 (新潮文庫)

 

 

では物語性の高い仏教説話で嫉妬をテーマにしたものはというと、真っ先に思いつくのはブッダのライバルであったデーヴァダッタ(ダイバダッタ、提婆達多)です。

以前もタネ本に使ったことのある野村耀昌編『仏教説話百選』という本には、ジャータカ(前生譚)を含めデーヴァダッタが登場する物語が、ざっと数えたところ六編ほど収められていました。

そのうちたぶん最も有名と思われるものは、検索したところネットであらすじを読むことができました。

次のサイトが読みやすいと思います。

buddha-tree.com

他にもヒットするサイトがありますが、

  • ブッダの弟子に自分の弟子五百人を連れ去られる
  • 岩を落としたりゾウに襲わせたりしてブッダ暗殺を試みるも失敗
  • 最後に毒を塗った爪でブッダを殺そうとし生きながら地獄に墜ちる

というあらすじは、だいたい共通しているようです。

ただし『仏教説話百選』には、地獄に墜ちた後のデーヴァダッタがブッダにより救済されるくだりと、『増一阿含経第四十七』という出典が記されていました。出典が書いてあるとSAT大正新脩大藏經テキストデータベースで検索が可能なので、個人的にはありがたく感じます。

 

史実上のデーヴァダッタはブッダと同時代に教団を率いた人物で、彼の教団は玄奘の時代においても存続が確認されたといいます。また『法華経』には、提婆達多は過去生においてブッダに『法華経』を授けた仙人、すなわち善玉として登場します。

いろいろと興味をかき立てられる人物です。

 

 『仏教説話百選』は、残念ながら版元品切れです。

仏教説話百選 失われたロマンのエンタテイメント

仏教説話百選 失われたロマンのエンタテイメント

 

 

ところで説話をいろいろと読み返していたら、思いがけない発見をしました。nekoseijin さんの質問とは無関係な、もっぱら自分の興味の範囲です。『大乗涅槃経』と『金剛般若経』が意外なところでつながったというものです。私が知らなかっただけで、仏教研究者の間では常識かも知れませんが…

これに関しては、稿を改めて述べたいと考えます。

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