しいたげられたしいたけ

空気を読まない、他人に空気を読むことを求めない

雨宮処凛『プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方』(洋泉社 新書y)

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

プレカリアート―デジタル日雇い世代の不安な生き方 (新書y)

カバー折り返しより。

プレカリアート【precariato】「Precario(不安定な)」と「Proletariato(プロレタリアート)」の造語。不安定な雇用・労働状況における非正規雇用者・失業者を総称していう。

著者は、いわゆるフリーターやワーキングプアなど若年低所得者層に対する、「努力していない」とか「好きでやっている」というような世間からの先入観を、なんとか打ち破ろうと苦心しているようだ。
夥しい事例が紹介されるが、一例として、本書p61〜62に登場する7年間もネットカフェに住んだフルキャストの派遣労働者は、週のうち3日ほどはネットカフェに泊まる金もなくなり、夜中じゅうずっと歩き、朝になったら京浜東北線を始発から何往復もして睡眠をとって仕事に備えるという生活を送っていたため、職を探す体力も残っていなかったというのだ。このような状態を「努力していない」と形容するのは、ふさわしいだろうか?
そうした境遇にある若者達が、「このままではいつまでたってもこの生活から抜け出せない」と気づいて声を上げはじめたのが「プレカリアート運動」で、日雇い派遣最大手のグッドウィルに対し「データ実装費」という名目で日々の賃金から天引きされていた200円の返還を求めた集団訴訟(p84〜)などは、けっこう大きく報道もされた。
しかし驚くべきことに、世間一般はもとより著者の取材によると現にプレカリアートの境遇にいる当事者たちの間ですら、「プレカリアート運動」に対する理解や支持が広まっているとは言えないようだ。本書第四章では敷金・礼金・保証人なしかつネットカフェとさして変わらぬ月額費用で入居できる「ゲストハウス」で暮らす5人の若者に取材をおこなっているが、「プレカリアート運動」に意見を求めると「賛成」「参加したい」と言ったのは2人、逆に2人は「理解できない」「くだらない」と言い切り、残りの一人は「勝手にやればって感じ。興味がない」とのことであった。さすがに著者も章末で、斎藤貴男の「弱い者同士が対立し、傷つけ合う間隙で上前をハネ、雲の上でほくそ笑んでいる人々が他にいる」という言葉を引いたりして(p131)、疑問を呈している。
第五章の「【超世代座談会】就職氷河期世代の逆襲!」と銘打った座談会では(おお、赤木智弘も参加している!)、著者らがいくらネットカフェ難民の置かれた苦境を説明しても「彼らは努力していない」という持論を曲げない出席者がいたりする。25日(金)深夜(というか26日早朝というか)の『朝まで生テレビ』の出演者に著者の名前を見つけたので、何年ぶりかで『朝生』を少しだけ観たのだが、予想通りというか何と言うか、同じような対立構造の再演のように見えてしまった。
追記:
『朝生』に関しては、それ自体で一つのエントリーを書くべきだったかなと思うほどいろいろな感想が頭をよぎった。とりあえず「はてなキーワード」のリンクを辿っていて気になったエントリーのトラックバックと引用を貼らせてもらおう。
http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20080426/1209152069

   ネットカフェを見ていて思うのは、もう「スキル」とかの問題じゃないんだよね。寝る場所とかないと、毎日「体力」も「気力」もなくなって鬱に近い状態になってスキルとか無理なんだよね。でもそうして「排除」だれてきたのも、彼らに理由がないわけではないのもまた残酷な事実でもあるわけで(これはニート論壇の人は認めないだろう。でも、常に人に攻撃的な人とか、迷惑を掛けることしかしない人とか、すぐに嘘ついたりずるいことをする人もいるんですよ)。ホームレスの人とかも精神とか知的とかに問題がある人とかもいて、かわいそうに、本当にゴミ袋の中の泥だらけの腐ったご飯とか食べてたり、寒すぎて地下鉄の通風孔の上に倒れてたりとか、マジで本当に死ぬだろうと言うのはあるよね。新宿ではほぼ毎日そういう光景を見る。「スキル」とかよりも、この「鬱」とかをなんとかするべきでは。

そう、"No one's perfect."たまたま今「ネットカフェ難民」や「ニート」になっていない人であっても、誰もが必ずなんらかの問題を抱えて生きている。そういう状態で、なにかのはずみで転落を始めたときに、「自己責任」とか「お前が悪い」とか言われて斬って捨てられてしまいそうなことが嫌だ。
思いついたのでついでに書いておくと、「自己責任」とはえてして「お前が悪い」と言っているのにほかならず、そうだとすると言われた相手は「そうだ、私が悪い」と認めるか「いいや、お前の方が悪い」と言い返すかぐらいしかできない。そうなるともはやどっちにしても子どものケンカにしかならない。
ネットでは「そんなに国に助けてもらいたいか?」みたいな意見もよく見かけるが、この国の法体系が「生存権」を認めている以上、公的支援を期待するのは当然であることとは別に、そこには「お前が悪い」に対する「いいや、しかし」「そうかも知れないがしかし」という議論の構造があることも、見逃してもらいたくない気がする。
追記の追記:
おお、lessorさんも『朝生』について書いとる。
笑い事ではないが思わず笑ってしまった痛烈なコメントを、引用させてもらいつつトラックバック。
http://d.hatena.ne.jp/lessor/20080426

自民党議員からは「スキルを身につけろ」もあった。スキルによって十分な賃金が得られるなら、看護師とかヘルパーとか、さぞかし安定した仕事に違いない。最近「再チャレンジ」とか言わなくなったが、ぜひとも新しい貧困層にヘルパー研修の受講など勧めて「これであなたも高収入のチャンス」と教えてあげてほしい。低所得にあえぐ若者を今以上に増やすこと請け合いである。