『とらちゃん的日常』(文春文庫)
飼い猫テーマ、写真多数掲載の、ゆるいエッセイ集。著者はこんなことを書いている。
最近おれのエッセイは面白くない。自分でこんなことを言うのは無茶苦茶だが、面白くないものは面白くないのだから仕方がない。
理由ははっきりしている。おれには「体験」が不足しているのだ。昔は体を張って無茶をしていたから、話すことは余って売るほどあった。それが最近は仕事部屋にこもって机の前に坐り、うんうん言っているだけなので面白いものができるわけがない。
いやいや晩年のらもさんのエッセイ集は、大便失禁あたりまえ、舞台衣装にウンコもらしてわかぎゑふにどやしつけられるという壊れっぷりが面白くて、愛読させていただいています。
『空からぎろちん』(双葉文庫)
「話すことは余って売るほどあった」頃のエッセイ集。著者はコピーライターの看板をまだ降ろしていない。確かに晩年のエッセイ集と明らかにトーンが違う。著者は「日本のビジネス社会」を、まるで密林の奥地の先住民の社会を観察するようにレポートしている。著者は「日本のビジネス社会」に同化したように見せかけて、最後まで部外者の目を維持していたのだ。思えば『頭の中がカユいんだ』『こらっ』『変』『とほほのほ』など著者が矢継ぎ早に出版したエッセイ集を、私が読み漁ったのは10年以上も前のことだが、当時は私もサラリーマンをやりながら、自分がサラリーマンであることに違和感を感じずにはいられなかった。だから著者の書くものに大いに共感したのだろう。スポンサーリンク