前回エントリーの「みんなの森 ぎふメディアコスモス」では、本を閲覧するとか借りるとかしたわけじゃないから、滞在時間は短かった。久しぶりに岐阜市に来たのだから、他にもどっか行こうと思った。
近かったのは崇福寺というところだった。「ぎふメディアコスモス」からは、金華橋という橋を渡って長良川を越えるとすぐだ。実は最初、「ぎふメディアコスモス」と「岐阜メモリアルセンター」をちょっと混同したのだ。「岐阜メモリアルセンター」というのは、J2のFC岐阜が本拠地とする長良川競技場や、たまにプロ野球が開催される長良川球場などがある、県営の総合スポーツ施設である。崇福寺は「岐阜メモリアルセンター」に隣接している。
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駐車場。参拝者は無料。車だと近かったけど、金華橋というのは土地勘がないとぜってー使いづらいと思う。岐阜市街側から直進する道路がないのだ。
「織田信長公霊廟所」と刻まれている石柱。
石柱の後ろにある案内板。文字が小さいけど、辛うじて読めますでしょうか?
箇条書きで要約すると…
・崇福寺は臨済宗妙心寺派で山号は神護山。
・創建は文明元年(1469年)、開基は守護代斉藤長弘、開山は独秀乾才禅師。
・三世の快川国師は武田信玄に招かれて恵林寺に任じたが、武田氏滅亡後に織田氏に攻められ「安禅不三必須二山水一滅二却心頭一火自涼」の言葉を遺した。
・境内には織田信長、信忠父子の野位牌(天正十年京都大徳寺の葬儀で使われた位牌)を安置した廟があり、徳川時代にも御朱印地として特別保護を受けていた。
「安禅不三必須二山水一滅二却心頭一火自涼」をぐぐると「安禅は必ずしも山水を須〔もち〕いず、心頭を滅却すれば火自ずから涼し」と読み下すのだそうで、後半は高名だが前半は「座禅をするのに人里を離れる必要はない」という意味だそうだ。知らんかった。
信忠に焼き殺された僧とゆかりの深い寺が信長・信忠父子の菩提を弔っているとは、縁とは奇遇なものである。
上の案内板の向かいに、こんな案内板もあった。
ここで「非情」とは「無生物」という意味らしい。「非情成仏絵巻」とは「付喪神絵巻」とも呼ばれ、「付喪神」というのは古道具の妖怪のことだそうだ。
暮れの煤払いで捨てられた古道具が一堂に集まり、捨てられた恨みを晴らすために妖怪になり、人間を脅かしたが、護法童子に鎮圧され仏門に入り、ついに成仏するという内容である。
「護法童子」というのは何か有名な別名があるんじゃないかなと予想してぐぐってみたが、「これは!」と思うものはヒットしなかった。花輪和一のコミックがヒットした。
山門へ至る道。なんとなく趣があると感じたので貼ってみた。
山門。
境内にあった鐘楼。九輪が乗っているのが珍しい。
案内板。
これが本堂で…
こちらが庫裏だと思う、多分。
本堂と庫裏の間に玄関が。
本堂は白壁の土塀で囲まれている。
土塀にもなんか由緒があるそうな。
本堂は拝観料大人200円。内部は撮影禁止だったので写真はありません。案内板にあった「非情成仏絵巻」の他にも、信長の書状など多数の展示品があった。公式HPのリンク貼っときます。
他に参拝客がいなくて貸し切り状態だった。受付の女性がテープの案内音声を流してくれた。こんな場所が京都・奈良の観光名所にあったら、観光客が引きも切らないだろうなぁ。いや駐車場にはバス用の駐車スペースも設けられていたから、繁忙期にはけっこう賑わうのかも。
土塀の中に入って庭園も見ることができた。いかにも禅宗風の石庭。
本堂裏手に「信長・信忠廟所」
位牌型の石碑に法名が左右分割で刻印されているとのこと。
石碑の右側に見える案内板。
またしても要点のみ抜き書き。ただし最後の段落のみ原文のままです。
岐阜市指定史跡 織田信長父子廟
・位牌型の墓標の高さは139cm、幅39cm、厚さ30cm。
・縦に分割して、父子の法名が左右に刻まれている。
憁見院殿贈一品大相圀泰岩大居士
大雲院殿産品羽林高岩第禅定門
・墓地の東側には位牌道があり、父子の位牌が安置されている。
・天正十年(一五八二)六月二日、京都の本能寺において父子が遭難すると、六日には側室から崇福寺に書状が送られており、直ちに崇福寺に安置されたものと思われる。
わさとおりかミ(折紙)にて申候、此そうふく寺、うへのいはいしゅ(位牌所)にて候まま、誰々いらん(違乱)申とも、御ことわり被申候へく候、そのため一筆申候、かしく
(「憁」は「総」の異字体)
現代語に私訳「念のため手紙を書きます。上様の位牌所はこの崇福寺のままです。誰かが異論を唱えても断ってください。そのため一筆しました。敬具」ってことか知らん。
これが位牌堂。
今回のエントリーのオチ代わりに、崇福寺の駐車場から撮った金華山(稲葉山)を貼ろう。
頂上に岐阜城天守閣を乗せた金華山は岐阜市のシンボルである。岐阜市の表玄関であるIR岐阜駅や名鉄岐阜駅から、長良橋通(神田町通)と呼ばれるメインストリートを、市役所、裁判所や岐阜新聞本社、岐阜放送、それに今回訪れた「ぎふメディアコスモス」などのある市の中心部に向かって北上すると、金華山がみるみる大きく、青くなってゆき、インパクト強いのだ。
人口40万というかなり大きな都市であるにも関わらず、市内にそこそこ高くて(標高329m)これほど山容の美しい山を有するところは、他にないんじゃなかろうか…と考えたら、藻岩山の札幌、大文字山(如意ヶ岳)の京都、六甲山の神戸などを次々と思い出し図らずも自己突っ込みを喰らった形になってしまった。
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