先週に続いて実家周辺のネタです。街路樹が色づいてきたので、そろそろ紅葉が見頃かなと思い、例によって身内を車に乗せて近場に当たってみた。
今回の行き先は、岐阜市の岩戸森林公園と弘峰寺というところにした。実家から車で近かったという以外に、深い意味はない。
公園正門前に無料駐車場があった。ありがたい。この門標の真向かいあたりである。
だが、紅葉にはまだちょっと早かったようだ。
色づいたところを狙ってスマホ写真を撮ってみた。
なぜかごく一部だけ、ひときわ赤かったところ。モミジとピラカンサが隣り合っていた。
接写。
ピラカンサにつられてモミジが赤くなったのだろうか? なんだかそうとしか思えない。
岩戸森林公園は岐阜金華山麓の谷間のようなところにあって、谷の奥に弘峰寺という寺院がある。
日本では珍しい、洞窟内に本堂がある寺院だそうだ。検索すると本堂に入れるようだが、同行の身内が足弱なため入らなかった。
上の写真の左奥に見える案内板を接写。
弊ブログ勝手に恒例の文字起こし。改行位置変更しています。ルビ省略しています。和文のみです。以下同じ。
岐阜市指定重要文化財
木造不動明王及二童子立像
昭和五十年九月九日指定
木造不動明王及二童子立像は弘峰寺の本尊で、制作年代は鎌倉時代と考えられています。この像は、長く高野山三宝院護摩堂に伝来していたものですが、弘峰寺の落慶にともない、この地に迎えられたものです。
この三体はいずれも木を組み合わせて彫刻された寄木造で、目は、彫りこんだ木肌で表現される彫眼です。中央の不動明王は儀軌(仏教儀礼などに関する様々な規定)のとおり、左手には綱状の法具である羂索、右手には剣を持ち、火炎後背を背にして、岩の形を表した盤石座に立っています。これらのうち羂索、剣、後背は後世に取り付けられたものと思われます。不動明王には両眼を見開いたものと、左目を閉じたものとがありますが、この明王はやや左目を閉じている状態で、憤怒の形相は控えめです。
仏像配置の形式として、中央の不動明王は中尊といわれ、向かって右側の矜羯羅童子や同じく左側の制吒迦童子は脇侍といわれます。この二童子については、中尊に比べて小さいことが目立っています。
本堂右手。右奥の崖面には、仏像がずらりと並んでいた。
弘峰寺由来
鎮護国家済世利人を根本となされた弘法大師高野山真言宗新寺建立を昭和二十八年に発願せり爾来幾年間現在観光地に指定されて万人の集ふ岩戸公園地内に同三十五年建立地を求む同四十年は高祖弘法大師御開創一千百五十年の記念すべき年に當り同じく三十九年に建立に着工同信同行の御協力に依り瑞暁山弘峰寺たる道場を四十一年十一月二十八日を以て茲に完寺せり幸にも高野山三宝院より今を去る事六百五十余年前の木造「重文」不動明王を弘峰寺本尊とし四十二年十二月二十一日下賜給る昭和四十三年十一月三日落慶入佛大法要を嚴修せり以後祈祷寺今に至
昭和四十三年十一月吉日
開山一世 住職良導
駐車場に引き返したところ、立派な茅葺屋根が目に入った。一般民家らしい。
駐車場から見上げると、茅葺屋根の上に岐阜城が見えた。
だが肉眼ではくっきり見えていたのに、スマホ写真では拡大しないとわからなかった。
こういうことがきっかけでカメラ沼、レンズ沼に嵌まるんだろうなと想像した。
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