7月に書いたこの拙エントリーの、続編みたいなものである。実家の町内では、戦没者慰霊行事として岐阜市の護国之寺への参拝が恒例行事となっていたが、実家の身内は参加をずっと断っていた。だがどんなところか一度くらい見ておきたいということだったので要望に応えて車を出したが、どうも長良川の対岸にある岐阜護国神社の間違いだったらしいというのが要約である。
今回は四か月越しのリベンジ(?)ってことらしい。天気がよく風もない小春日和だったので、どこでもいいから外出したかったんじゃなかろうか。車で1時間もかからない距離だから、要請に応じた。ブログのネタにもできるし。
ナビに従って車を走らせたが、前回の護国之寺は長良川の北岸、今回の岐阜護国神社は南岸ということでか、ナビはまるで違った経路を表示した。
それはそれで、よかった。岐阜市の神田町通り*1というかつての目抜き通りを部分的に走ったが、昔の繁栄を覚えている身としてはその衰退ぶりが印象に残ったり…歌謡曲にもなった柳ケ瀬商店街の現状は、なにかと話題にされる。
とは言え神田町通りを北上して右(東方)に曲がると、とたんに眼前いっぱいに展開する金華山*2の光景は、久しぶりに見ると新鮮だった。残念ながら運転中なので、スマホを取り出して写真を撮ることはできない。
写真があるのは参拝者用無料駐車場に着いて以降である。
駐車場は上の門標の右側あたり。左側には平和記念の碑と大きな供養塔があった。
岐阜護国神社は金華山の北側にある。今回はこの光線の角度の悪さに、ずっと悩まされた。そんなで振り向き気味の写真が多くなった。
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境内はかなり広く、いろんなものがあった。これは「鵜飼桜」というらしい。
手書きなのでOCRにかからなそうだったため、文字起こしは断念。
振り返りざまに全景を。
少し進むと池があった。
写真を撮ろうとするとコイが寄ってきた。エサは売ってなかったけど。
二の鳥居というのだろうか? 本殿前の鳥居。
由緒書きを探したが見当たらなかった。これは鳥居の右側に立っていた「ご奉賛のお願い」
これはOCRにかかったので文字起こししてみた。改行位置、変更しています。
天皇陛下ご即位三十年 並 御代替奉祝記念
岐阜護國神社ご創建八十周年記念事業
ご奉賛のお願い
岐阜護国神社は昭和十五年に岐阜・中濃・東濃各地区出身のご英霊をお祀りする神社として創建されました。
以来、平和を打ち立てる神様、家内安全の神様として県内外より篤い崇敬をいただき、昭和三十七年には天皇皇后両陛下にご親拝賜りました。
平成の御代となりましてからも、広く崇敬をいただいて参り、来る令和二年にはご創建八十年の佳節を迎えます。
この佳節を奉祝し、より一層ご英霊のご神威を高め、またご参拝いただく皆様に気持ちよくお参りいただけるよう境内の参道を整備致したく存じます。
何卒皆様におかれましては、この事業の意義をご理解いただきまして温かいご協力とご奉膂を賜りますようお願い申し上げます。
平成二十八年八月吉日
≪後略≫
さらに進むと、田刈りの終わった田んぼのようなスペースがあり、中央にカッパのような置き物があった、
拡大。カッパだよね、これ?
気になったので角度を変えてもう一枚。
あとで 公式HP を見たら「河童堂」という摂社末社があるようだったので、カッパで間違いないと思う。
本殿。着飾った幼いお子さんを連れたご両親が、神職さんからお祓いを受けていた。ちょっと遅めの七五三だったのかな?
本殿を背に境内を。
社務所。パンフレットが置いてないかなと思ったけど、なかった。
この向かいに、鉄筋コンクリートの立派な会館があった。参拝を終えた町内会の会合は、ここで行われたのだろうか?
参拝者用駐車場のそばにあった大掛かりなモニュメント。3~5枚目の「鵜飼桜」の背後に小さく写っている。
個人的にこういうのは正直苦手だが、素通りするわけにもいくまいということでノーコメントで写真だけ載せる。
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