🍉しいたげられたしいたけ

NO WAR! 戦争反対!Ceasefire Now! 一刻も早い停戦を!

4年ぶり開催という桶狭間古戦場まつりの武者行列と合戦再現劇を見てきた(後編:合戦再現劇)

チラシの予定表によると、武者行列の解散から合戦再現劇の開始まで20分ほどあるとのことだった。じっさい武者行列が何時に終わったかはチェックしなかったけど。

ともあれ神社仏閣の境内に足を入れたからには、お参りをしておこうと思った。そういう習慣があるのだ。

境内にいっぱい植わっていたアジサイが、ちょうど見頃を迎えつつあった。

石碑は「今川義元公本陣跡」。

 

上の写真左奥の本堂の方向に進んだところ。新緑に囲まれているのは今の季節らしいが、写真としては見づらくなったような気も。

右の方の石碑は「三笠宮殿下御手植」。マツのことだろう。

 

お参りを済ませて、チラシ裏面に載っていた会場略地図を頼りに特設ステージに向かった。

ちょうど劇の始まるところだった。

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劇の前に、市長、県知事、地元選挙区選出の国会議員、県会議員のあいさつがあった。

なんだそれ? えらく大がかりな祭礼だったのだな!

市長は、隣接する名古屋市にあるのは桶狭間古戦場公園というあくまで公園で、この市にあるのは国の史跡の桶狭間古戦場だと言っていた。うちの市のほうが格上だと言外にアピールしたかったのだろう。だが名古屋市の古戦場まつりもよろしくと、フォローも忘れなかった。さすが政治家だね(←褒めてるようには聞こえない

県知事はNHK大河ドラマ『どうする家康』に何度か言及し、桶狭間の戦いは第1回だったが今夜(6/4)は長篠で、その他にも小牧長久手とか県内が続々と舞台になることをアピールしていた。うむ、観たぞ。時透無一郎v.s.玉壺戦決着の回だったな(それ違

国会議員と県議のあいさつは、ごく短いものだった。急遽で準備がなかったそうだ。話は短い方がいいから、そのほうが歓迎。

 

以下の何枚かの写真はスマホを頭上にかざすようにして撮ったもので、実際には舞台は前の人の頭に隠れほとんど見えなかった。

上の写真は中央に主人公格の今川義元、右後ろに松平元康、左後ろに築山殿。松平夫妻が語り手だった。

その他の登場人物も含めて、みな直前の武者行列に参加していた。なんつーか「やるじゃない!」な趣向だと思った。

チラシによると古戦場まつりは今年で54回目だそうだが、毎回こんな凝った企画をしていたのだろうか?

 

舞台上手。ごらんの通りのかなりの人出。

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下手。カメラを操っているのはTVクルーとかではなく素人観客のようだった。

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ストーリーは、今川義元の沓掛城入場、松平元康の大高城兵糧入れ、丸根砦・鷲津砦の陥落、織田信長の敦盛舞い、熱田神宮参詣、そして桶狭間における決戦というオーソドックスなものだった。

出てくる地名が、地元民には馴染み深いものばかりというのがポイント。

 

これは桶狭間に陣を構えた義元が、油断して酒盛りをしたり女性に舞を舞わせたりしている場面。

義元の敗因、信長の勝因については、いろんな人がいろんなことを言っている。

私は弊ブログにてたびたび述べている通り、この周辺の地形が大きな要因だった説。決して高くはないが上るに難く下るに易しい丘陵地の尾根が、テーブルの上に手のひらをパーの形で置いたように四方八方に延びているのだ。義元はその谷の部分に陣を構築し、織田方は尾根道伝いに進軍して今川方の大軍を分断するように攻撃したのではないかと想像している。戦功第一とされた簗田政綱は、このあたりの地形を熟知し織田軍を巧みに先導した人物ではなかろうかと思っている。

大河ドラマ『麒麟がくる』では、信長が戦略を駆使してあたかも数学の数式を用いるように今川方の参戦可能な兵力を少しずつ削減した様が描かれた。なるほど面白いと思いつつ、余計なことながら「『銀英伝』の影響あるな」とも思った。

NHKバラエティ『歴史探偵』では、織田家と今川家の領土には大差があったように見えるが、耕作可能な面積はべったり平地の尾張と山がちな駿遠ではあまり変わらず、すなわち動員できる兵力にも言われているほどの差はなかったのではないかという説ほかが紹介されていた。現代の愛知県と静岡県の人口を考えると、腑に落ちる部分がある。「ほか」は忘れた。

『どうする家康』の第1回は見逃がした。ぜってー何か凝った説を採ってると思ったのだが、残念。

TV好きだね俺。

 

義元が服部小平太と毛利信助に討ち取られたシーン。

 

終演後の舞台あいさつ。監修は東映さんとのこと。道理で本格的だったわけだ。こんな立派な演劇を、無料で見せていただいてありがとうございます。

 

屋外ステージのとっつきに貼られていた会場案内図。

 

甲冑武者との撮影スポット。

 

「グルメゾーン」には、キッチンカーや屋台が何軒も出店していた。

 

「雑貨・お菓子ゾーン」のくじ引き。露店は祭りの華だよね、やっぱり。

 

ということで、祭りメイン会場のある高徳院の境内を後にした。

 

アジサイがいっぱい咲いていた。アジサイの写真もたくさん撮ったけど、今回貼るのは枚数控えめにしておこう。

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高徳院の向かいにある「史跡桶狭間古戦場」の敷地に「桶狭間ガイドボランティア」なる幟が立っていた。

 

上の写真右奥の紺色テントのさらに奥にある「桶狭間古戦場跡」の石碑。国の指定だと市長さんの話に出てきたところであるが、まあ公園である。

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2枚上の幟の左側つか通路反対側にある今川義元の墓。白布が敷かれているのは、ここで霊前祭がおこなわれたから。一般客も焼香はできたようだが、私が来たときには間に合わなかった。

 

案内書き。上の写真では人が見ている。

文字起こしは2018年6月2日付拙記事でやっていたので省略する。断りのない限り、以下同じ。

www.watto.nagoya

 

その右側にあった「桶狭間の戦」および「桶狭間古戦場 石碑配置図」の案内書き。

 

さらにその右側の説明書きパネル。恒久的なものではなく祭り期間の展示物だったようだ。

 

顔出し看板。

 

「弔古碑」。これも4年前に文字起こしをやっていた。

 

「七石表(一号碑)」これも4年前に…くどいですねすみません。

 

「古戦場」の案内書き。正門つか駅に近い側の入口とっつきにある。4年前はここから入ったのだが、今年は裏口(?) から入ったのだな。

 

「史跡桶狭間古戦場」門標。4年前は、この敷地内と高台院の境内の一部しか見ていなかったのだ!「見たつもり」「知ってるつもり」というのがいかに危ういか、戒めにしなければならない。祭礼くらい、いいけど(一言多い

 

帰宅は電車を使うか往路と同じく徒歩で帰るかちょっと迷って、徒歩にすることにした。

枯木(?)になんか説明書きが張ってあるぞ! これは4年前は気づかなかった。

弊ブログ勝手に恒例、文字起こし。改行位置、変更しています。以下同じ…ってこのエントリーそろそろ終わりで文字起こしもう出てこないよ(←この文言のどこがおかしいかというと、弊ブログを以前から読んでいただいている人にしかわかりませんすみません

駒つなぎのねず
今川義元がこのねずの木に駒をつないだという。
ここに酒宴を張り、たまたま、雷雨となり信長の急襲を受け戦死した。

 

しかし何時間だか歩き回ったあとでさらに自宅まで歩いて帰るのは、やっぱしんどかったかなと思っていたら、なんとタイミングよく市のコミュニティ―バスが目の前の停留所に停まったではないか!

2時間に1本くらいしかないのに、なんたる幸運! 乗るっきゃない!

バスが停まったリアルタイムでスマホ写真を撮ることはさすがに不可能だったので、これは目的地の最寄駅前ロータリーで下りたときに撮ったものです。すなわち写真はイメージです。

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ちなみに「前編」には、パレードの交通規制が始まる直前に目の前を通り過ぎて行ったコミュニティーバスの写真も貼ったのだった。

期せずして伏線回収みたくなった。フィクションはともかく現実で伏線回収が起きることも、そうあることではない。

 

乗らなきゃ撮れない車内の写真。これも弊ブログ勝手に恒例。だが西日の差す時間だったからか、コントラスト激しくてわかりにくかった。

現住所に移り住んでから10年以上経つのに、自分の住んでる市のコミュニティーバスに乗るのは実はこれが初めてだ。

なぜか隣の市のコニュニティーバスには乗ったことあるけど。

www.watto.nagoya

 

コミュニティーバスはいちがいに始発が遅く最終が早く、また本数が少ないので使いにくい。だが料金は安いし、またルートがくねくねと入り組んでいるので所用時間さえ気にならない時であれば、乗っていて「近所にこんなところもあったのか」と新鮮な思いがすることが少なくない。

ただし終点の最寄駅前ロータリーに着いて、念のためにと私鉄一駅分の料金を確認したら、10円単位の違いしかなかった(バス100円、電車170円)。

それでもバスに乗る価値は大いにあった。何より楽をさせてもらった。

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